アパレルや水道事業などを経営する関谷有三氏は、スーツに見える作業着の開発者でもある。コロナ禍で売上は前年比400%を超え、導入企業は800社にも上る。なぜここまで売れたのか。当時を振り返って解説する――。(後編/全2回)

※本稿は、関谷有三『なぜ、倒産寸前の水道屋がタピオカブームを仕掛け、アパレルでも売れたのか?』(フォレスト出版)の一部を再編集したものです。

写真=iStock.com/Wako Megumi
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Wako Megumi

■「スーツみたいなスタイルで作業できませんかね?」

春水堂の日本での展開が、なんとか軌道に乗って店舗もどんどんと増えていくなか、2016年、創業10周年を迎えた。何か記念事業をしようと何人かの社員にヒアリングをする。雑談するなかで、こんな話が出てきた。

「若い人を採用するために、水道事業の作業着をカッコよくしませんか」「作業着は確かに変わり映えしない。面白いね! よしやってみよう」

そうして、ユニフォームプロジェクトをスタートさせた。世界中の作業着の資料を色々と取り寄せてみる。知り合いのデザイナーに頼んでデザインしてもらう。つなぎにしてみようか。ストリートファッションぽくしてみようか。色々試すが、どうもしっくりこない。

作業着をカッコよくしようとすると、なんだかちぐはぐになる。気がつくとすでに1年近く経っていた。ダメだ、もうやめよっかな、と行き詰まるなかでの、ある日のミーティング。人事にいた女性が、ポツリとこんなひと言。

「スーツみたいなスタイルで作業できませんかね? ホテルのコンシェルジュのような感じでパリッと決まったスーツのような作業着」「おい! 何言ってるんだよ。そんなの無理だろ。スーツで作業なんかできるわけないだろ」僕は怒鳴りつけるように一蹴(いっしゅう)した。

けれどその日から、なんだかずっと心にモヤモヤが残った。子どもの頃のことをふと思い出した。水道屋の息子なので、作業着姿の人たちに小さな頃から囲まれてきた。作業着で働く姿はカッコいいと思っていたし、ガテン系のプライドの表れだと思っていた。

■服装だけで敬遠されてしまった苦い思い出

だが、とあるクリスマス。イタリアンレストランで作業着姿の父と食事している時、同じ店で、ピシーッとスーツを着ている父親と食事をしている同級生と出会う。(あの時とっさに、ふと恥ずかしいって感じてしまったんだよなあ)就職活動をする大学生に向けた様々な企業が集まる採用説明会でのこと。

僕のつくった会社「オアシスソリューション」。オゾンを使って水道管のなかを殺菌洗浄する特殊な工法で、成長してきた。全国展開も達成した。社名もIT企業のように今どきだ。通りすがりの学生になんの会社ですか、と聞かれ、僕は待ってましたとばかりに、「水道管メンテナンス事業だ。急成長しているよ」誇らしげに答えると、学生が軽く失笑しながらこう言った。

「えっ? 水道管? なんか地味でダサいっすね。作業着とか着るの無理っす」

実際、若い社員の採用には当時もの凄く苦戦していた。なんだか悔しかった。そんなにホワイトカラーって偉いのか。ブルーカラーは職業的に2軍、3軍扱いなのか。

それまで深く考えたことはなかったが、確かに服装で職業のイメージって決まってしまう。スーツはスーツ、作業着は作業着。イメージも機能もまったくの真逆。そして、どちらもずっと長らくなんの変化も進化もない。スーツと作業着の境目をなくす。そうすれば、職業観が変わるかもしれない。業界に一石を投じることができるかもしれない。熱い想いが腹の底から込み上げてきた。「よし、やろう」あの日ポツリとアイデアを口にした、人事の女性社員を呼び出した。

■スーツに見える作業着の開発が始まる

「あのスーツのアイデアを採用する」「えっ。社長、単なる思いつきだし、半分冗談ですよ。本気にしないでください」「いや、俺は本気だ。やると決めたらやる。発案者として一緒にやってもらう」「えーーー、勘弁してください」

嫌がる彼女を無理矢理に引きずりこんだ。前代未聞のプロジェクトがここにスタートする。服づくりなんてしたことのない水道屋。もちろん簡単にいくはずがなかった。まずは試作からはじめてみるかと、様々な生地を取り寄せ、つくってくれるところを探し、サンプルをつくり現場で試してみた。

耐久性がいい生地を使うと、着心地が悪くなった。着心地がいい生地だと、耐久性が悪くなった。見た目を重視すると、機能性が悪くなった。機能性を重視すると、スマートさが消えた。そして作業着なので、毎日、洗濯機でガシガシと洗えなくてはならない。流石にそう簡単ではないと思ってはいたが、まったくもって上手くいかない。

最新の生地を様々なメーカーから何十種類も取り寄せた。試作を何度も何度も繰り返した。しかし、すべてダメだった。普通は、ここでやめるか、妥協するだろう。だって、社内のユニフォームのことだから。だが、根っからの負けず嫌いの僕の心には火がついていた。

■「ここまできたら、なんとしてでもやりきりましょう」

俺は、単なる服をつくっているのではない。職業観の垣根をぶっ壊すためにやっているのだ。絶対にやり遂げてみせる。災難だったのは巻き込まれた人事の担当者、中村有紗(ありさ)。東大経済学部を卒業し、数ある大手企業の誘いを断り、新卒で僕の水道会社に入社をしてきた変わり種である。

長く水道の営業を担当したのち、人事として採用を担当していた。アイデアを口走ってしまったばかりに、巻き込まれてしまった。しかし、はじめはうんざりしていた彼女も、いつしか僕の熱にほだされたのか、そのうち感覚が麻痺してしまったのか、何やら楽しそうにのめり込んできた。

「社長、ここまできたら、なんとしてでもやりきりましょう」

やはり変わり種だ。

どこにも理想的な生地がないなら、もうつくるしかない。最後はとうとう自分たちで生地から開発することにした。社内のユニフォームのためにだ。もはや狂気の沙汰。相談を持ちかけた大手生地メーカーには、笑われ、あきれられ、当然相手にもされず散々に断られた。しかし、捨てる神あれば拾う神あり。とある東海地方の小さな生地メーカーが、コンセプトに興味を持ち協力してくれることになった。

そこから1年以上かかり、試行錯誤の末、ようやくオリジナルの生地が完成した。機能性と着心地のバランスを追求した、僕たちが追い求めた世界で唯一の理想の生地だ。ユニフォームを変える構想からすでに2年近くが経っていた。

■コンセプトムービーが大炎上

生地の開発にまで手を出したので、つぎこんだ額は、数千万円にものぼった。その間、いい加減もうやめてくれという役員や経理とは何度も衝突していた。正論はもちろん彼らのほうだ。その後、想像もしなかった展開が訪れる。完成した“スーツに見える作業着”を、社員が着て現場に出かける。

だぼっとした作業着と違って、スーツスタイルだと作業員の身だしなみや言葉づかいが自然によりよく改善されてきた。はじめはお客様や周囲には驚かれ、不思議がられるばかりだったが、次第に、あれ、どうしたの? いいじゃん! スマートでいいね、と徐々に評判になっていく。

出所=『なぜ、倒産寸前の水道屋がタピオカブームを仕掛け、アパレルでも売れたのか?』
六本木ヒルズにオープンしたポップアップショップ - 出所=『なぜ、倒産寸前の水道屋がタピオカブームを仕掛け、アパレルでも売れたのか?』

ある日、取引先の日本有数の大手不動産会社から、こんな話が舞い込む。

「うちのマンションの管理人たちのユニフォームに導入したいんだ」

これは社会を変えるようなビジネスになるかもしれない。2017年12月、世界初ともいえる“スーツに見える作業着”を手掛けるアパレル会社「オアシススタイルウェア」を設立した。そして、その服を「ワークウェアスーツ」、略して「WWS」と名付けた。

宣伝のためにユーチューブにコンセプトムービーをつくって流してみた。するとたちまち、ネット上で騒がれた。評判になったのではない。大炎上してしまったのだ。ふだん作業着を着ている人たちからは、作業着をなめるな、と。スーツを着ている人たちからは、スーツを侮辱している、と。さらには多くのアパレル関係者からは、素人のアイデア商法だと笑われバカにされた。「これは服ではない、おもちゃだ」とまで言われた。

■ファッション通販サイトで月間総合1位に

けれど、炎上すれば炎上するほど問い合わせが舞い込み、次第に売れていく。導入企業のなかには、新卒の応募が3倍に増えた、社員の意識が変わった、など喜びの声が数多く寄せられるようになった。

関谷有三『なぜ、倒産寸前の水道屋がタピオカブームを仕掛け、アパレルでも売れたのか?』(フォレスト出版)

その評判が評判を呼び、どんどんと売れてゆく。テレビにも何度も取り上げられるようになった。個人にも販売してくれと多くの人たちからの要望を受け、ネット販売もはじめた。

大手のファッション通販サイトで17万アイテム中、月間総合1位を獲得するなど、人気は沸騰。そして、コロナ禍においては、毎日洗える感染対策ウェアとして、また、楽に着られて身だしなみもよいテレワークウェアとして、さらに人気に拍車がかかった。百貨店やセレクトショップもこぞって取り扱いをはじめた。

大手航空会社とのコラボ商品も実現し大ヒットとなった。春水堂が入居している全国の商業施設の担当者からも話題を聞きつけ連絡が相次いだ。ルミネ新宿や六本木ヒルズをはじめ、グランフロント大阪、アミュプラザ博多などの日本を代表する商業施設でのポップアップの開催も広がり、想定を遥かに上回る売り上げを叩き出すことができた。

ついには念願だった初の常設店舗の1号店を東京駅直結の八重洲地下街にオープンすることもできた。

出所=『なぜ、倒産寸前の水道屋がタピオカブームを仕掛け、アパレルでも売れたのか?』
東京駅の八重洲地下街にオープンした記念すべき初の直営常設店 - 出所=『なぜ、倒産寸前の水道屋がタピオカブームを仕掛け、アパレルでも売れたのか?』

■導入企業は800社を突破、売上高は前年度比400%超の勢い

初年度の売上高は1億円にも満たなかったが、2期目はその200%を超える売り上げに成長し、さらに3期目である2020年度の売上高は前年の400%を超える勢いだ。WWSを法人で導入している企業は2020年12月時点でなんと800社にのぼる。コロナ禍にあって服の売れないこのご時世。

この異例ともいえる快挙に、アパレル業界のまさに注目の的となった。僕らが掲げるビジョンは「アパレル界のアップルになる」という壮大なものだ。どうせ目指すなら人から笑われるぐらいが丁度いい。アパレル業界はコロナ以前より環境汚染産業といわれ多くの問題を抱えてきた。服を売るために毎年作為的にトレンドが生み出され、大量に服がつくられ大量に廃棄されていく。

コロナがきっかけとなり、着飾るだけの服から様々なシーンで着回せるシンプルで機能的な服が求められるようになった。またSNSで簡単に自己表現できるようになり、ファッションだけが自己表現のための役割でなくなっていった。

水道屋が開発した「WWS」はまさにそんな時代に登場し、これからの時代に求められる服となった。ニューノーマルの象徴となる、あらゆる場面で活躍する「ボーダレスウェア」市場を創造し、日本だけでなく世界標準を目指して挑戦を続けていく。

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関谷 有三(せきや・ゆうぞう)
オアシスライフスタイルグループ代表取締役CEO
1977年栃木県生まれ。成城大学経済学部卒業後、倒産寸前だった実家の水道工事会社を立て直したあと、大手マンション管理会社と提携し業界シェアNO.1企業へと飛躍。さらなる事業拡大のためのアジア視察中、台湾で人気の老舗カフェブランド「春水堂」に惚れこみ、「春水堂」を3年かけて説得、日本への上陸を実現。タピオカブーム、台湾ブームの仕掛け人となる。その後、スーツに見える作業着「WORK WEAR SUIT ワークウェアスーツ」を素材の開発から行い商品化。コロナ禍にもかかわらず売上前年比400%を記録。水道、飲食、アパレルとまったくの他業種でヒットを収め、各メディアでは「令和のヒットメーカー」と呼ばれている。
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(オアシスライフスタイルグループ代表取締役CEO 関谷 有三)