民放キー局の女子アナが大手外資系企業幹部との食事会に応じていたと写真週刊誌が報じた。こうした会食接待はなぜなくならないのか。元テレビ朝日プロデューサー鎮目博道氏は「テレビ業界が相変わらずの男社会であることが原因だが、それに加えて『会社員であって会社員ではない』というアナウンサーの特殊な事情も関係しているだろう」という――。
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■「女性であることを武器に」という発想の古さ

民放キー局の女子アナが、大手外資系企業幹部と食事会をしていたと、写真週刊誌「フライデー」(10月16日号)に報じられた。「まだ女子アナはホステスみたいなことをしているのか」と話題になっているようだが、なぜこうしたことがいまだに起きるのか。編集部から解説を依頼され、私の胸には二つの異なる思いが浮かび、複雑な気分になった。

ひとつの感情は、美しくて知名度のある女性を、あたかも切り札のように使って商売をしようとする放送局の男性幹部たちの発想が、今も全く変わっていないことに対する「怒り」とか「呆れ」である。

一昨年、テレビ朝日の女性記者に対する財務省事務次官によるセクハラ事件が明るみに出て、大きな社会問題となった。多くの女性記者たちが声を上げたが、いまだにその程度の認識でビジネスを行っているのであれば呆れてものが言えない。まさに「やれやれ」である。

確かに今でも他の媒体の記者などから、「テレビ局はやっぱり若くて美人の女性記者さんが多いですもんね」といった話を聞くことも多い。それが報道志望の女性たちをどんどん現場に登用していった結果であればなんの異存もない。

しかし、「若い女性記者が相手なら、男性政治家や捜査関係者も簡単に口を開くだろう」「女性であることを武器にネタを取ってこい」といった発想で続いているとすれば、やはり何も変わっていないのだなと暗い気持ちになる。

■「相変わらずの男社会」女子アナが直面する事情

テレビというメディアは、広告的に考えれば、女性をメインターゲットとしている。女性向けのコンテンツがどちらかといえば望まれているのに、いまだに民放各局の幹部に女性は少なく、女性社長に至ってはほぼ皆無に等しい。この現状が物語るように、テレビ業界は相変わらず「男社会」なのだろう。

だから「大事な商談は女子アナを同席させれば、相手方のお偉いさんが喜ぶから有利に進む」という発想で、今夜も当然のように女子アナたちはホステスの如く重要な飲み会の席に同行させられることになるのだ。

しかし、私の胸にはもうひとつ、異なる思いも浮かんだ。

それは、「女子アナが現在のあり方であり続ける限り、飲み会の席に同行させられるというより、むしろ喜々として自発的に飲み会の座に行っている場合も多いのだろうな」ということである。

「なぜ女子アナがあたかもホステスのように飲み会に連れ出されるのがなくならないか」という問題の背景には、2つの理由がある。ひとつはこれまでも述べたように「美しくて知名度のある女子アナを切り札の如く使うおっさんの存在」だ。

そして、もうひとつの理由は「そうしたおっさんからの誘いをむしろ喜んで受ける女子アナたち自身のメンタリティ」があるのではないかということである。

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■喜んで飲み会に参加する女子アナの動機

女子アナは「会社員であって会社員ではない」とでもいうべき複雑な立場に置かれている。彼女たちは放送局の局員であるという意味では会社員に間違いはない。

しかし、同僚であるプロデューサーなどの制作系の局員からお声がかからないと基本的に仕事を得ることができない。その意味では多分にタレント的で、局内で営業活動的なものを行わざるを得ない側面からすれば「会社員であって会社員ではない」ような感じでもある。

あたかも個人事業主であるタレントのように「自分の仕事は自分でゲットする」ことが求められている部分があるからだ。

そうした意味では、自分に仕事をくれる可能性がある「局内の有力者」の申し出は断りにくい。局内有力者とは友好な関係を維持しなければ「発注」が来ないのだ。

まして欧米などと違い、日本の女子アナは「30歳を過ぎると極端に仕事が減る」と当事者たちが語るように、いまだに実力本位というよりも「若くてキレイな女性」としての役回りを求められている面がある。

本来そこが非常に問題なのだが、発注先である局内有力者からの「会席へのお呼び」に積極的に応じないと、たとえ人気絶大な女子アナであっても若い後輩女性アナウンサーたちにいつその座を取って代わられるかもしれない危険性が常にあるわけだ。

■30歳過ぎれば仕事が減る……将来に備えた人脈作り

さて、ここまではなんとなく読者のみなさんも「そんなことはわかっているよ」「多分そうなんだろうと思っていたよ」という感じではないだろうか。

競争が激しい女子アナの世界で、仕事を確保するために男性上司たちからの無茶ぶりに女子アナたちは「営業ツール」として応じていることは、業界を知らないみなさんにも想定内だろうと思われる。

だが私が先ほど「そうしたオッサンからの誘いをむしろ喜んで受ける女子アナたち自身のメンタリティがあるのでは」と書いた理由は実はもうひとつある。

それは「女子アナたちがむしろ積極的にそうした飲み会の席を、自分たちの人脈作りの場として積極的に利用しているのではないか」ということだ。こちらもどういうことか詳しく説明しよう。

■年齢を重ねて失われるものを補う

私はかつて民放キー局で局員をしていた。私のような「なんの力もない一般の局員」と「アナウンサーのような特別な局員」の間にどのような違いがあるか。一番大きなものは「見えている世界や景色が全然違う」ということだ。

私は、確かに局員として、それなりに良いお給料をもらい、それなりの良い待遇をいただいていた。だが「見えている世界」は普通のサラリーマンの方々とほぼ同じだった。普通のサラリーマンなのだから当たり前である。普通に通勤をし、仕事が終われば同僚や友人とそのへんの居酒屋で酒を飲み、普通に家に帰る。きわめてフツーの人なのだ。

しかし、アナウンサーは「普通の人とは見えている世界や景色が違う」のだ。芸能人やセレブが見ている世界や景色に近いと言えば分かりやすいだろうか。

会社員でありながら出演者でもあるという立場から、交友関係にも芸能人や有力者がおのずと増える。呼ばれる席も「特別な人限定」でクローズドな会食が多くなり、「社交界」的な場に顔を出す機会も増える。それが彼女たちの普通の局員とは違う特別さである。

そんな「普通の人とは見えている世界や景色が違う」という自分たちの特別さを、言ってみれば一層強化してくれるのが、「局内有力者から同席を求められる飲みの席」なのだ。

女子アナの「過酷なサバイバル」には頼れる柱が不可欠

局内有力者がビジネスを有利に運ぶために同席を求めるような場であるから、そこに来るのはそんじょそこらのオッサンや一般男子ではない。それなりの地位にある社会的成功者がそこには来るわけだ。

むしろそうした席に積極的に参加し、お知り合いになり特別な人脈を作ることは、言ってみれば女子アナたちを一層強化し、その実力を高めることに直結する。

言葉の端々で「私はこんな有力者と面識がある」といったことを匂わせてくるアナウンサーはたくさんいた。そうした話を聞くたびに「へえー、俺とはずいぶん住んでいる社会が違うのだな」と感心させられたものだ。

そうした「私はこんな有力者と面識がある」というステータスは、過酷なサバイバルを求められている彼女たちには、とても頼りになる柱のような存在になり得る。

また、実際にアナウンサーたちは「結婚式の司会」や「イベントの司会」で、1本数十万円単位のお金が得られる副業を休みの日にこなしている場合も多い。そういう副業の発注は「飲みの場で知り合った社長さん筋」からくる場合も多いのだろうから、金銭的にもそうした人脈は彼女たちをエンパワーしている。

■テレビ界の奇妙な風習は残念ながら無くならない

「若さも人気も無くなったら、残るのは『トーク力』と『ど根性』と『人脈』よ」

これはある先輩女性アナウンサーから最近聞いた言葉だ。局に残るにしても人脈は大切だが、ましてやフリーになれば女子アナにとって大切なものはまさに人脈なのだ。

フリーになっても画面に出演し続け、人気者であり続けられる女子アナはほんの一握りしかいない。年齢を重ねるほど、その競争は激しくなる。そんな彼女たちは、必然的にテレビ以外の仕事で生計を立てていくことになる。

キャビンアテンダント出身のマナー講師が驚くほどたくさんいるように、フリーアナウンサーとして「話し方セミナーなどの企業向け講座の講師」をしている人はたくさんいる。そんな時にも、局アナ時代に培った特別な人脈は大切な営業ツールになるのだ。局アナ時代に飲み会で懇意になった経営者たちに、局アナ時代に培われた「トーク力」と「ど根性」で営業をかけ、仕事をゲットしていくのだ。

そう考えると、女子アナにとって「上司の局内有力オッサンから声がかかる飲み会の席」は、一生モンの頼れる財産である「人脈」を作る場とも言えるのである。

女子アナにとって人脈は大切だ。そういえばバレンタインデーのたびにランク分けされた大量のチョコレートを局内にバラ撒いていた後輩女子アナもいたことを懐かしく思い出した。ま、それはどうでもいいが……。という訳で「女子アナがあたかもホステスのように飲みの席に同席させられる」というテレビ界の奇妙かつ時代遅れの風習は、残念ながらしばらくは無くなることはないのではないか、というのが私の結論だ。

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鎮目 博道(しずめ・ひろみち)
テレビプロデューサー・ライター
92年テレビ朝日入社。社会部記者として阪神大震災やオウム真理教関連の取材を手がけた後、スーパーJチャンネル、スーパーモーニング、報道ステーションなどのディレクターを経てプロデューサーに。中国・朝鮮半島取材やアメリカ同時多発テロなどを始め海外取材を多く手がける。また、ABEMAのサービス立ち上げに参画。「AbemaPrime」、「Wの悲喜劇」などの番組を企画・プロデュース。2019年8月に独立し、放送番組のみならず、多メディアで活動。上智大学文学部新聞学科非常勤講師。公共コミュニケーション学会会員として地域メディアについて学び、顔ハメパネルをライフワークとして研究、記事を執筆している。Officialwebsite:https://shizume.themedia.jp/Twitter:@shizumehiro
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(テレビプロデューサー・ライター 鎮目 博道)