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成功例 イノチェンティとデ・トマソ

ちょっと変わった名車というのは人気があるが、これほど変わったクルマはそうそうないだろう。イノチェンティがベルトーネのデザインによる独自のミニを販売したのは1974年のこと。当初はイギリス本国オリジナルのミニに由来するAシリーズ・エンジンを搭載していたが、1982年からはダイハツが供給する3気筒エンジンに変更された。デ・トマソが改良を重ね、ミニとダイハツ版ミニが売り出された。ダイハツ版にはターボチャージャー付きモデルもあった。

成功例 ジャガーとTWR

スコットランド生まれのトム・ウォーキンショーは、1976年に自らのレーシング・チームとエンジニアリング社を設立した。それから6年以内にジャガーXJSを開発し、ヨーロッパツーリングカー選手権に参戦することになる。その後はル・マン・カーや、バージョンアップさせたXJ220、さらにはXJR-S 6.0ℓを含む輝かしいXJSロードカーを手掛けた。

成功例 メルセデスとポルシェ

W124はメルセデスの最高傑作の1つであり、さまざまな仕様が存在したW124の中でも特に際立っていたのが同郷シュトゥットガルトのポルシェとともに製作した500E(1994年からはE500に名称変更)だ。当時のSLクラスに搭載されていた4973ccのV8を採用した327psのスーパーセダンは、1990年から1995年の間に1万台以上が作られた。その生産を担ったのは、アウディRS2を製造したのと同じポルシェの工場である。

成功例 ルノーとゴルディーニ

アメデ・ゴルディーニは、1930年代にレースに参戦したりクルマのチューニングを手掛けたりしていた。1957年には新たなパートナーとしてルノーと手を組み、まずはドーフィーンをベースとしたチューニングカーを世に送り出した。

1962年にゴルディーニがチューンしたルノー車がル・マン24時間レースに初参戦し、その2年後にはルノーとゴルディーニのコラボ史上最高モデルと呼べるR8が登場した。それからR12とR17が続いたが、17の方は1978年になくなってしまった。

ルノーは2010年から再びゴルディーニ・ブランドを利用することにしたものの、実際はただトゥインゴやクリオの最新バージョンに「ゴルディーニ」の名を冠したに過ぎなかった。

成功例 ルーツとシェルビー

魅力的なルックスをしていたサンビーム・アルパインだが、1.6ℓのエンジン性能はあまりパッとしなかった。特に米国市場ではもう少し力強いクルマが好まれこともあって、売れ行きはいまいちだった。

当時サンビームはルーツ・グループの傘下にあり、ルーツの米国西海岸部門の重役イアン・ギャラードはこのクルマを盛り上げる方法を思い付く。

彼がアプローチしたキャロル・シェルビーは、ACコブラに用いたのと同じ手法でノーズに4.2ℓV8を押し込んだ。こうしてかなりスピードを出せるようになったアルパインは、その名をタイガーと変えたのだ。

成功例 スバルとトヨタ

このコラボはちょっとばかり不公平なように感じる。スバルBRZも、トヨタGT86も、どちらも走りは素晴らしいが、いつもメディアに取り上げられ、販売台数が多いのは後者の方だ。BRZの方がお買い得なのにもかかわらず、だ。

しかも、開発作業のほとんどをスバルが行った。半年間BRZを運転したわれわれは、このクルマをとても気に入った。

成功例 ヴォグゾールとブラバム

ヴォグゾールとロータスの共同作業を覚えているひとは多いが、F1チャンピオンになったオーストラリア出身のジャック・ブラバムとのコラボを覚えているひとはあまりいないかもしれない。それはきっと1960年代に行われた1回限りのプロジェクトだったからだろう。

1967年に発表され、1968年に生産終了を迎えたブラバムHBビバの生産台数はごくわずかだ。ツイン・キャブと特注マニフォールド、ストレート・スルー・エグゾーストのお陰で9psのブーストを余分に叩き出すことができた。

成功例 ヴォグゾールとロータス

ロータス製エンジンを搭載したヴォグゾール・カールトンは、最高出力382ps、時速285km/hを誇るスーパーセダンだ。あまりに速くパワフルだったので、各紙面をざわつかせたほどだ。

当時はなぜか速いクルマを作るのはフェラーリなどの限られたメーカーだけで、大衆車メーカーが作るのは異例のことだったから世間を驚かせたのだ。家族や荷物を乗せて超高速で大陸を横断できるこのクルマの評判はすこぶる良かった。

成功例 フォルクスワーゲンとギアとカルマン

パートナーはひとりよりもふたりの方がいいかも?この三角関係に巻き込まれたのは1950年代初めにビートルやトランスポーターを生産していたフォルクスワーゲンだ。

高級車を投入したかった同社はカルマンに話を持ちかけ、そのカルマンがギアにデザインを任せたのだ。ギアはビートルのフロアパンと駆動装置をベースにしたデザインを手掛け、カルマンが製造を担い、フォルクスワーゲンのディーラーで販売された。クルマは1955年から1974年の間に累計50万台以上も製造された。

失敗例 クライスラーとマセラティ

1980年代というのはクライスラーにとってあまり良い時代とは言えず、マセラティにとっても暗黒の時代だった。なので、両社が高級コンバチでコラボしたとしても名作は生まれそうになかった。

実際その通りで、クライスラー・TC バイ・マセラティは見るひと見るひとから酷評された。粗末な作りでパワーがないくせに高額だったので、販売期間3年間でたったの7300台しか製造されなかった。実はクライスラーは当初、毎年最大1万台の販売を見込んでいたのだ。

失敗例 ランチアとフェラーリ

V8を積んだランチア・テーマ8.32はノーズが重く、2.0ℓ4気筒ターボを搭載したクルマよりも遅かった。そのため、存在意義の薄い、驚くほど時代遅れのクルマだと言える。ランチアがフェラーリ製ユニットを搭載するのはこれが初めてではなく、ストラトスにディノのV6を採用している。

失敗例 三菱とボルボ

三菱とボルボのタッグによるクルマが画期的なモノだと主張するのには無理があるだろう。ひどく名前負けしているカリスマ、440、460、さらにボルボのオリジナルとなるS40やV40があるが、どれもこれも冴えない。コラボによってボルボ初の前輪駆動車が誕生したわけだが、奇抜な480 ESとは違って記憶に残らないような代物だった。

醜い例 アルファ・ロメオと日産

最も悲惨な例を挙げるとすると、1980年代初頭のコラボによるこのクルマだろうか。両社の共同開発により、アルファ・ロメオ・アルナ(合弁会社Alfa Romeo Nissan Autoveicoliの略)と、日産チェリー・ヨーロッパ(和名パルサー)のふたつが作り出されたが、両モデルともそれぞれのメーカーにとって大失敗だったのである。

日産チェリーは、アルファ製水平対向エンジン、アルファ・スッドとパルサーのサスペンション、そしてイタリア製の電装系を織り交ぜた構造をしていた。イタリアのファンはこれを日本のクルマと見なして避け、逆に日本のファンはイタリアのクルマと見なして敬遠した。このプロジェクトは最初から最後まで大失敗だったと言える。