カート・コバーンの娘フランシスが挑んだ、父の真の姿を伝えるという使命
終盤の30分間には、乳児期および幼少期のフランシスがスクリーンに登場する。中にはカートに抱きかかえられた彼女が、バスタブではしゃぐ微笑ましいシーンもある。カートの膝の上で髪を切られるシーンでは、泣き出した彼女を前に困惑する彼の姿が映し出される。額に苦痛を滲ませた彼は、気怠そうにこう反論する。「ドラッグはやってないよ、ちょっと疲れてるだけさ」その発言に潜む嘘は、忌まわしい真実と同じ冷たさを宿している。
「カートは心の底から彼女を愛していたわ」ラヴは改めてその事実を強調する。「あの映画はそのことを物語ってる。でもローマでのあの出来事の後…」ニルヴァーナにとって最後となったツアー中の1994年3月に、カートは薬物摂取による自殺未遂騒動を起こした。「まるで心の灯火が消えてしまったようだった」
サンダンス映画祭でのプレミアには、ラヴとフランシス以外にも、同作でインタビューされているカートの母親のオコナー、彼の妹のキム、そしてニルヴァーナのベーシストであるクリス・ノヴォセリック等が出席した。フランシスは上映中に席を立った。「泣いているところを見られたくなかったの」彼女はそう話す。それでも、母親と2人だけで映画を観た日のことについてはこう振り返る。「ママと過ごした数少ない、心温まる時間だったわ」
またフランシスはスクリーニング後、モーゲンにあることを明かしたという。「彼女の子供時代に関することで、コートニーが謝罪の言葉を口にしたのは初めてだったらしいよ」
ハリウッド・ヒルズに続く静かな通りにある、ロサンゼルスの自宅のドアから姿を見せたフランシスは、小柄な体に似つかわしくないほどのエネルギーを感じさせる。『モンタージュ・オブ・ヘック』に関する唯一のインタビューであり、これまでで最も大掛かりな取材の開始を前に、彼女はその日最初のタバコに火をつけた。キッチンでいれてくれた筆者のコーヒーを手に戻ってきた彼女は、ちょうどいい砂糖入れが見つからないのと恥ずかしそうに話しながら、リビングルームのソファに腰を下ろした。真っ赤なショットグラスに入った砂糖には、プラスチックのスプーンが添えられている。
身長167センチ、体重46キロという華奢な体について、フランシスはこう話す。「体格はパパ似なんだけど、男みたいな肩幅だけはママ譲りなの」女性らしい魅力に満ちた体型と、鋭い光を放つ大きなブルーグリーンの瞳は、彼女が2人の子供であることを強く意識させる。しかしマルーンの口紅、黒く長い髪、フロントに毛沢東の写真をプリントした黒のTシャツ、そして「ITS NOT ROCKET SCIENCE(決して不可能じゃない)」の文字をあしらったペンダントという、ゴシックとパンクを組み合わせたスタイルは、あくまで彼女独自のものだ。
「(私の両親は)互いを傷つけ合ってた。私は2人を繋ぎ止めるためだけに生まれたのかもしれない。それでも、パパは私を心の底から愛してくれた」
彼女の嗜好性はリビングの内装にも反映されている。彼女は哲学と絵画の講義に通いながら、現在はヴィジュアルアーティストとして活動している。ホラームービーを好み、「対象にホラーなタッチを添えるディストーションが得意」と語る彼女は、ロサンゼルスで自身のエキシビションを開催したこともある。ピアノの上にはH.R.ギーガーがデザインした『エイリアン』のモンスターの巨大な頭部模型があり、今にも動き出しそうな等身大の骸骨がベンチに腰掛けている。未開封のスパイス・ガールズのフィギュアセットの隣には、額に入れられたチャールズ・マンソンによる絵が飾られている。(購入前に物件の下見に訪れた際に、フランシスは気づいたことがあったという。「前に住んでた家族には子供がいたんだけど、そのうちの1人の部屋にパパの像が置いてあったの」しかしそのことで購入を思いとどまることはなかった)
「あの映画と私の関係は特殊だと思う」フランシスはそう話す。「制作過程で何度も感情を激しく揺さぶられたけれど、私はあの作品を客観的に見ることもできるの。だって私にはパパの記憶がないから。これはいい、これは良くない、すごく美しい、そういう自分の意見をブレットにはっきり伝えたわ。そういう立場でありながら劇中にも登場している私は、文字通り地球上でただ一人の存在だからね」
彼女はこう続ける。「両親のラブストーリーを目撃するのは不思議な気分だったわ。劇中の2人は、年齢的に今の私とさほど変わらないから」1990年に2人が出会った時、カートは22歳だった。ホールのヴォーカリストであり、過去に両親の離婚を経験していたラヴは、当時25歳だった。2人は1992年2月に結婚し、同年8月18日にフランシスが生まれた。
「まるで友達が恋に落ちるのを見てるみたいで、自分でも驚いたわ」フランシスはそう話す。「2人の関係が必ずしもピュアじゃなかったことは知ってる」彼女が示唆するのは、2人がドラッグによって結ばれていたという事実だ。「そんな2人を繋ぎ止めるために、私が生まれてきたこともね。そういう動機を肯定するつもりはないわ。でもホームムービーや私に宛てた手紙、それにママや祖母から聞かされた話だけでも、パパが心の底から私を愛してくれてたってことはわかるの」
「2人がそういう目的で君を生んだと思ってるのかい?」隣に座っていたモーゲンは、驚いた様子で彼女に尋ねた。
「2人とも複雑な家庭環境で育ったことは関係してたんじゃないかな」フランシスはそう話す。「きっと早く家庭を築きたかったんだと思う。子供を作ることで、あらゆる問題が解決すると思ってたのかもね」吸っていたタバコの火を消した彼女は、すぐさま次の1本に火を点けた。「実際には事態を何百万倍も複雑にしてしまったけどね」
中庭のスライドドアから差し込んでいた太陽の光は、気づけば夕焼け色に変わりつつあった。約3時間に及んだ取材の中で、カートの制御不能なまでのエネルギーについて初めて語ったフランシスのややしゃがれた声は、父親が1993年に残したカセットのことを否が応でも思い起こさせる。感情を隠そうとしない彼女は、Fワードを連発する一方で、あどけなさの残る一面を垣間見せることもある。筆者と彼女が過去にも顔を合わせていることを伝えると(シカゴでのニルヴァーナのライブを前に、筆者がバックステージでカートにインタビューした際に、当時1歳だった彼女は隣ではしゃいでいた)、彼女は笑ってこう言った。「じゃあ初対面じゃないんだね、久しぶり!」筆者が持参したテープレコーダーが、1993年のその夜に使ったものと同じであることをモーゲンが明かすと、彼女は目を輝かせ、携帯電話を手にとってこう言った。「写真を撮ってもいい?」
『モンタージュ・オブ・ヘック』の制作にあたり、モーゲンがフランシスと初めて会ったのは、2013年にプロジェクトが再始動する直前のことだった。カート・コバーンを題材にした映画の制作については、彼は既にHBOと契約を交わしていた。「僕の方から彼女を訪ねていったんだ」モーゲンはそう話す。「これからやろうとしていることを、自分の口から説明すべきだと思った。彼女の存在がプロジェクトを大きく変えることになるなんて、その時は思いもしなかったけどね。彼女は朝食用テーブルにつくやいなや、カートの伝記映画がどうあるべきかについて、自身の考えを語り始めたんだ」
モーゲンはこう続ける。「フランシスはカートをアーティストとして、そして真っ直ぐな人間として描くことにこだわった。『20年間、父は私にとってサンタクロースのような謎めいた存在だった。誰もが私の父親は最高にクールだって言うけど、私はその顔すら覚えてない。だからこそ映画では、父の人間らしい部分に光を当てたい』彼女はそう言ったんだ」
その言葉はモーゲンを安堵させた。「話し終えた彼女に、僕はこう言った。『どうやら僕たちの意見は完全に一致しているみたいだ』」2人が握手を交わした後、フランシスはモーゲンにこう言ったという。「握手しただけなのに、もうパパよりはあなたを身近に感じちゃうのよね」
ラヴ曰く、フランシスはカートがどういう人間だったか、彼が何をしていたかといった疑問を、子供の頃から滅多に口にしなかったという。ラヴはこう話す。「でも少し大きくなってから、『私とパパの共通の癖とかってあるのかな?よく爪を噛んじゃうこととかさ』なんて聞いてきたことがあったわ」『モンタージュ・オブ・ヘック』を観るまで、フランシスは父の人生を「詳細に、かつ時系列に沿って」振り返ったことはなかったという。子供の頃からずっと、彼女が思い浮かべるカートのイメージは断片的だった。それでも多感な10代の頃には、その断片が大きな意味を持ていたという。

カート・コバーンとコートニー・ラヴ、フランシス・ビーン・コバーン。1993年 (Photo by Kevin Mazur Archive/WireImage)
祖母を含む彼の家族が今も暮らすカートの故郷、緑豊かなワシントン州アバディーンを訪れた時のことを、彼女は今もよく覚えている。オコナーはカートの寝室の床板を外し、彼がよくそこにマリファナを隠していたことを教えてくれたという。カートが15歳の頃に描いたという壁のアイアン・メイデンのロゴは、フランシスをはっとさせた。それは彼女がつい最近、カリフォルニアの自宅の風呂場のドアに同じグラフィティを描いたばかりだったからだ。「やっぱり親子ね」彼女は目をぐるりと回してそう話す。「血は争えないってわけ」
カートの母親と妹、そしてクリス・ノヴォセリックは、『モンタージュ・オブ・ヘック』についての本誌の取材を拒否した。ラヴは同作を観ることはもう2度とないかもしれないと話す。「涙が止まらなかった」彼女はそう話す。「古傷をえぐるかのようだった」それでも彼女は、同作が「娘との距離を近づけてくれた」こと、そしてフランシスの父親に対する思いを変化させたことを認めている。
その変化はモーゲンと彼女が握手を交わした直後、彼がフランシスと共にカートのアーカイブルームを訪れた時から現れ始めていた。そこに行くのは2度目だったが、弁護士による財産目録の確認等が目的だった前回は「奇妙な気分になった」と、彼女は顔をしかめる。しかしモーゲンに付き添われた今回は、保管された様々な物を手に取り、とりわけギターケースの中にぎっしりと詰め込まれた画材に強い関心を示した。「バービーのペイントキットに入ってそうなピンクのブラシが入ってたの。筆先は油性絵の具で固まってたわ」
「パパの匂いだと思った」彼女はそう話す。「子どもの頃大切にしてたクマのぬいぐるみと同じ匂いがしたの。あれがパパの匂いだってことは知ってるから。そのブラシを手に取って、これでいろんな絵を描いたんだなって思うと、いつになく父親を身近に感じることができたの」
「そうだったの」その話を聞いたラヴは深いため息をついた。「知らなかったわ。私にはそんな話をしてくれなかったから」
「曲を聴いてみるかい?」
家具がほとんどないロサンゼルスのオフィスで、無数のMP3ファイルを表示した2台のスクリーンを見つめるモーゲンは、ここで『モンタージュ・オブ・ヘック』のサウンドトラックの選曲作業を進めている。同作にはニルヴァーナの曲は収録されず、膨大なコレクションの中から厳選されたデモ音源、ソングライティング用のテープ、そしてカートの肉声としてモーゲンが劇中で多用したブリコラージュ等で構成されるという。
画面をスクロールさせながら、モーゲンは荒削りで情熱的、そして不吉さを漂わせる音源を幾つかかけた。「全部カートが自宅で録ったものだよ」モーゲンはそう話す。その中には、カートとラヴの自宅でのキスシーンで流れる、痛々しさを感じさせるビートルズのカヴァー『アンド・アイ・ラヴ・ハー』のフルバージョンも含まれていた。ブラック・サバスを思わせるギターリフとファルセットが印象的な、『リハッシュ』という仮タイトルが付けられたオリジナル曲には、「ソロ、ソロ」「コーラス、コーラス」という間に合わせのヴォーカルパートが収録されていた。チャーミングなアコースティックギターのインストゥルメンタルかと思いきや、突如意味不明な奇声が押し寄せる曲もある。「彼の作曲プロセスそのものが、こんな風に長尺の音源として残されているんだ」モーゲンはそう話す。「ストップ、スタート、またストップ、まったく新しい曲を始める、そんな具合にね」
カートのアーアイブルームを訪れたある日、モーゲンは「Casette」というラベルが貼られた箱を見つけた。200時間以上に及ぶ音源を収めた108本のテープの中には、カートが手書きで『モンタージュ・オブ・ヘック』と記したカセットもあった。「あのカセットの山は、ありのままのカートを知るための貴重な素材だった」モーゲンはそう話す。劇中のグラフィックノベルを思わせるアニメーションのシーンで、カートは高校時代に初めて自殺を試みた時のことについて、恐ろしいほど淡々とした口調で語っている。
「あのテープを見つけた時点では、僕はまだ日記の存在を知らなかった」そう話すモーゲンは、後になってその失敗に終わったセッションの日の記録を読んでみたという。「彼は歌詞を書き、ブースで録音し、中断し、テイクを繰り返していた」しかしモーゲンにショックを与えたのは、自殺を仄めかす記述そのものではなく、彼が自殺を考えるに至った理由だった。「彼が受けた侮辱は、どこまでも残酷だった」
カートより1歳年下のモーゲンは、1968年にロサンゼルス近郊に生まれた。カートと同様に、彼も9歳の頃に両親の離婚を経験した。「カートの気持ちが、僕には痛いほどよく分かった」モーゲンはそう話す。彼は1990年にマサチューセッツのハンプシャー大学で、また1993年にはロサンゼルスのザ・フォーラムで、それぞれニルヴァーナのライブを観ている。
「普通じゃ考えられないくらい細かな部分にまで、ブレットは徹底的にこだわるんだ」本作におけるカートのアートと日記のアニメーション化を担当した、ステファン・ナデルマンはそう話す。「彼ほどディティールにこだわる人間には会ったことがないよ」彼の作風に関して、フランシスやカートの家族、そしてHBOから出されていた意見を、モーゲンは一切彼に伝えなかったという。「彼自身が完全に納得するまで、彼は僕が作ったアニメーションを誰にも見せなかった。おかげで完成品には一発でオーケーが出たよ」
制作が進められていた2013年のクリスマスに、ラヴはメリークリスマスの言葉と共に、「映画の進行状況はどう?」と綴ったメールをモーゲンに送った。彼は簡潔にこう返信したという。「フランシスのための作品になりそうだよ」それに対してフランシスは、彼の思う通りに進めてほしいと念を押した上でこう伝えたという。「私の役目は、完成した作品を見届けることだから」
そうは言えど、レアな写真やインタビューの発掘という面で、彼女は作品に大きく貢献している。『モンタージュ・オブ・ヘック』のアーカイヴ・プロデューサーを務めたジェシカ・バーマン・ボグダン曰く、同作の制作における課題の一つは、カートの友人だったフリーランスライターやフォトグラファーといった、表立って活動していない人々に連絡を取ることだったという。「フランシスが作品に関わっていることを知って、彼らは未編集のテープや、カートにゆかりのある人物の連絡先を提供してくれたの」彼女はそう話す。「インタビュー音源の提供者の中には、こんな風に言ってきた人もいたわ。『このテープを彼女に聴かせてあげてほしい。彼女が持っているべきだって、ずっと思ってたんだ』」
幼少期のカートの姿を収めたホームムービーは、彼の母親から提供されたものだ。「彼女の協力なしでは、この映画は成立しなかった」モーゲンはオコナーへの感謝の気持ちをそう口にする。「初めてアバディーン高校のフットボールマッチを観に行った時の半券なんて、彼が4歳の頃のものなんだよ」過去にはバーテンダーとして働いていたキム・コバーンは、カートに関する資料の収集と管理、および各資料の作成日や背景の特定に尽力し、本作には「写真および各種資料コーディネーター」としてクレジットされている。「彼女にも助けられたよ」モーゲンはそう話す。「彼女はカートに最も近い人物の1人だからね。ランチを共にしながら、いろんな話を聞かせてもらったよ」それでもモーゲンは、最も大きかったのはやはりフランシスの存在だと話す。「彼女こそが精神的支柱だった。カートの娘の頼みを断れる人物なんていないからね」
本作に収録されなかった素材のひとつに、ニルヴァーナのドラマーだったデイヴ・グロールのインタビューがある。グロールが『ソニック・ハイウェイズ』の制作に追われていたため、インタビューは12月まで先延ばしにされていた。しかしその頃には、モーゲンは必要な素材はすべて出揃ったと感じていた。編集作業後になってグロールのインタビューを挿入することも検討されたが、最終的には見送られることになった。「作品は完成していた。これ以上手を加える必要はないと判断したんだ」
昨年、フランシスがモーゲンのオフィスで同作を初めて観た時、映画はまだ未完成であり、劇場公開版よりも長かった本編にはアニメーションが一切登場しなかった。彼はティッシュの箱を残し、彼女を独りにしようと部屋を出た。「戻ってきた時には、ゴミ箱がティッシュで溢れかえってたよ」モーゲンはそう話す。彼女はその場で、作品の公開を許可する書類にサインしたという。モーゲン曰く、彼女の一番にお気に入りのシーンは「画面が真っ暗になるあの瞬間」だったという。『モンタージュ・オブ・ヘック』のラストに登場する、1993年11月に行われた『MTVアンプラグド』での『ホエア・ディド・ユー・スリープ・ラスト・ナイト』のパフォーマンス後、画面には黒のバックに白い文字で「ローマから戻った1ヶ月後、カート・コバーンは自ら命を絶った」という文章が浮かび上がる。彼が唐突にこの世を去ったことを示すかのように、本作のエンディングにはコーダもトリビュートもない。

David LaChappelle for Rolling Stone
「父の死に関する情報はいくらでもあったはずなのにね」フランシスはそう話す。「でもブレットは何ひとつ使わなかった。そのうちの99パーセントは、ただロマンチシズムと神格化を煽るものだったから」
モーゲンが8年間にわたって取り組んだ同作が完成したのは、サンダンス映画祭の開催数日前だった。「最後の『アンプラグド』のシーンまで編集を終えると、僕はバスルームに行って膝をつき、ただ涙を流し続けた」彼はそう話す。「それは作品が完成したからじゃない。彼がもうこの世界に存在せず、二度と会えないという悲しい事実を、改めて突きつけられたからだ」
「僕は彼に会ったことはない」モーゲンはそう話す。「多くの人々がなぜ彼を守ろうとするのか、僕にはよく分かる。『彼はこの映画の公開を望んでいるだろうか?』『自分にそんな権利があるのだろうか?』僕自身、ずっとそう自問自答し続けているんだ」
彼はこう続ける。「でも、彼自身がその判断を下すことはもうできないんだ」
2014年4月10日、ニルヴァーナはロックの殿堂入りを果たした。ブルックリンで開催された式典では、グロールとノヴォセリック、そしてパット・スミアの3人が、ジョーン・ジェットやロードをはじめとする女性シンガーたちと共に、カートが残した曲の数々を演奏した。ラヴとグロールは壇上で、互いに笑顔でハグし合った。式典にはカートの母親と妹も出席していた。
しかし、会場にフランシスの姿はなかった。彼女は体調を崩しているという、壇上でのラヴの発言は事実だった。「それもあるけど、家族のドラマじみた光景がテレビで放送されることに抵抗があったの」式典に出席しなかった理由について、自宅のリビングにいる彼女はそう話す。「それに私はニルヴァーナとは関係ないしね。あの日ステージに立っていた人はみんな、私よりもずっとバンドに近い存在だもの。父が残した功績の証を、私は何一つ受け取るつもりはないの」それでも、式典に出席しなかったことで悔いていることがひとつだけあるという。「ジョーン・ジェットに会う機会を逃しちゃったことね。私は彼女の大ファンだから」
フランシスが言う「誰もが与えられるはずのプライバシー」を失うことなく成功したいという思いは、彼女の父親がずっと抱いていた願いでもある。1993年のMTVニュースでのカートの発言は、今でも強く彼女の印象に残っている。「ジョン・レノン並みの名声を得つつ、リンゴ・スターの匿名性が欲しい」
フランシスにとって、父親と比較されることは日常茶飯事だ。嫌味たっぷりの笑顔を浮かべ、自身を「カート・コバーンの卵」と揶揄する彼女は、赤の他人のみならず、時には友人たちの前でも「K.C.の背後霊」の存在を感じることがあるという。「まるでお化けを見るかのような目で接してくる人もいるわ」昨年サンディエゴのコミックマーケットに行った時のことについて、フランシスはこう話す。「当時はブロンドヘアで、その日はカーディガンを着てた。そしたら知らないやつがこう言ってきたの。『見事なカート・コバーン・ルックだ』」
カートはもちろんのこと、彼女は才能ある母親についても誇りに思っている。奇しくもカートがこの世を去った週に発表された、ラヴ率いるホールの1994年作『リヴ・スルー・ディス』について、フランシスはこう語る。「あのアルバムが売れたのは、人々が彼女に同情したからなんかじゃやないわ。あれがマジで最高の作品だからよ」
フランシスとカートのもう一つの共通点、それは幼い頃に引越しを繰り返したということだ。両親の離婚後にカートが親戚等の間でたらい回しにされたように、彼女はラヴやオコナーだけでなく、親戚やナニーと暮らした時期もあり、合計28回もの引越しを経験したという。最も子供らしい日々だったというオコナーとの生活について、フランシスはこう語る。「毎日『バフィー〜恋する十字架〜』を観て、あったかい手料理を食べて、雪が降った日は叔母さんと雪合戦したわ」15歳の夏には、彼女はニューヨークでローリングストーン誌のインターンを経験している。
「その後はコートニーと暮らすようになったわ。何だかんだ言っても親子だし、私は母さんを愛してるから」そう話した後、フランシスはためらいながらこう付け加えた。「でもあの頃、母さんはものすごく忙しかったの」

フランシス・ビーン・コバーンとコートニー・ラヴ 『アメリカン・アイドル』のバックステージにて 2005年 (Photo by Ray Mickshaw/WireImage)
フランシスが10代だった頃の自身の状況について、ラヴはぶっきらぼうながらも率直に語っている。「彼女には辛い思いをさせたこともあった」ラヴはこう続ける。「彼女が13歳になる頃くらいまでは、とても平穏な日々だった。でもその後、私は身も心もボロボロになってしまった」そう話す彼女の声は、次第に小さくなっていった。「なんとか持ちこたえたけどね」最近では、ラヴは『サン・オブ・アナーキー』や『Empire/エンパイア 成功の代償』等のテレビドラマに出演しているほか、5月にはラナ・デル・レイのツアーで前座を務めることが決定していた。
フランシスは自身の私生活、過去、そして今後について率直に語りながらも、慎重な姿勢は崩そうとしない。彼女はロサンゼルスのロックバンド、ランブルズでギターヴォーカルを務めるイサイア・シルヴァと婚約したと言われているが、インタビューの間は彼を「彼氏」と呼ぶにとどめていた。自身のドラッグの経験について尋ねられると、彼女は間髪入れずにこう返してきた。「マリファナだけだよ」彼女はこう続ける。「何がオッケーで何がそうでないかは、コートニーを見ててわかったから」やや穏やかな口調になり、フランシスはこう付け加えた。「彼女が身をもって示してくれたからね」
「本を読まない日はないわ」日常生活について尋ねられた彼女はそう答える。「あと週に一度は絵を描いてる。客観的になれるよう、数日おいてから作品を見直すようにしてるわ」彼女はカートの財産の管理については、今後も積極的に関わっていくつもりはないという。「本当に必要な場合にだけ関わるようにしてる。自分の人生を父親の財産管理に費やすなんてまっぴらだもの」
「彼女は自立した女性だ」『モンタージュ・オブ・ヘック』のエグゼクティブ・プロデューサーであり、カートの財産管理に携わる弁護士のデヴィッド・バーンズはそう話す。「ヴィジュアルアーティストである彼女のアートへの関心は、カートとの共通点のひとつだ。でも彼女は、父親が残した作品の管理で食べていくなんてことには、これっぽっちも興味を持っていないんだ」
モーゲンと共に作り上げた『モンタージュ・オブ・ヘック』が自身にもたらした影響について問われると、フランシスはことも無げにこう答えた。「そんな大袈裟なものじゃなかったわ。ただカートに対する私の印象は、少し変わったかもしれないわね。憎いと思う気持ちは薄れたと思う。今は父のことをもっと理解できるようになったし、共感できる部分も少なくないから」
それでもモーゲンは彼女について、2年前に初めて会った時とは違った印象を持つようになったという。彼女が試作版を観た数日後に送ってきたメールの内容に、彼は驚きを隠せなかった。「カートという存在に彼女がどう向き合ってきたか、そしてあの映画に彼女がいかに救われたかということが、そのメールには綴られていたんだ」
ラヴもモーゲンに同調する。「あの子は強くなったわ。堂々と胸を張って歩いていけるようになった」さらに彼女はこう続ける。「今フランシスは人生の岐路に立ってる。これからどこに向かうのか、何を成し遂げるのか、すべて彼女次第ね」
インタビューの終盤になって初めて、彼女は『モンタージュ・オブ・ヘック』が大きな影響をもたらしたことを認めた。「あの作品は私の人生のチャプターのひとつに決着をつけてくれた。これからもずっと、私にはカートのイメージがついてまわると思う。それは構わないの、受け入れる覚悟はできてるから。でもこの映画のおかげで、私はこう口にできるようになったの。『私が携わったこの作品を、カートはきっと誇りに思ってくれる。そして私は今、自分の足でこの人生を歩んでる。それはニルヴァーナとも、カート・コバーンとも、もちろんコートニー・ラヴとも関係ないの』」
「野心家なところは両親譲りね」フランシスは自身についてそう語る。「でも私は、自分自身の手で成功を掴みたいの」
