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夏近し。涼しいプールにバツっ!と飛び込む男の話を。
坂井丞、25歳。7月23日から始まる世界水泳選手権ブダペスト大会の飛び込み競技代表選手だ。高校時代にすでに日本選手権を制した逸材も、昨年のリオ五輪では予選敗退と振るわなかった。ハンガリーの地で再び世界のステージへ。視線はもちろん、3年後の東京五輪に向かっている。

撮影 岸本勉 中村博之(PICSPORT) 取材 田坂友暁(SpoDit) 構成 編集部



○飛び込み競技の魅力「入水に注目を!」



ーーシンプルにお聞きしましょう。高いところから水に飛び込むのは怖くはないですか?

むしろ飛び込み競技は、誰もができるものじゃない、というのがいちばんの魅力だと思っています。知名度はまだまだですけど、飛び込みをはじめて観た方にも「すごい、あんなことできるんだ」って驚いてもらえますし。
なかでも、水しぶきが立たない入水をぜひ見てほしいです。リップクリーンエントリーというんですが、それがいちばん飛び込み競技で注目されるところなんです。その入水をいちばん自分が得意としています。その瞬間、爆発音じゃないですけど、バツ!っていう音が水中でも聞こえるんですよ。それができたときはものすごく気持ち良くて、やみつきになりますね。

ーーバーンと水に入る瞬間には、体が痛いんじゃないかな、とも思うんですが。

いえいえ。入水するとき、水しぶきが立たないことを“水が切れる”というんです。自分でも不思議なんですけど、ある日突然水が切れるようになったんです。

ーーそれはいつ頃から?

小学校低学年か、中学年くらいのときには、切れるようになりましたね。7.5mの高さから入水の練習をしているとき、急に水切れが良くなって、周りの人から、すごく水が切れているよって言われて。最初は自分でもあまり分からなかったんです。でも、何度も繰り返していくうちに、入水する音がどんどん変わっていったんです。それで、水が切れるという感覚が分かるようになりました。

ーー自分から“水を切ろう”というふうにコントロールできるようになる?

いえ、じつはこうすれば水が切れるとか、こうすれば水しぶきが立たない、ということはあまり考えていません。昔から考えれば考えるほど色んなことが分からなくなってしまうタイプなので。あまり考えずに、自分の感覚に任せて、えい!って手を伸ばして入水するくらいがちょうど良いのかもしれませんね(笑)。

ーーではそんな飛び込み競技をはじめて観る方に、おススメの観戦法を。

演技の美しさが違ったり、演技の高さが違ったり、入水の音が違ったり、十人十色の特長があります。同じ種目を飛んでいるのに、違う演技に見えることだってあります。ですから、決まった選手だけを応援するよりも、出場している選手全員を見ていただいて、それぞれの演技の特長を観てもらえると楽しめると思います。欧米では人気のスポーツで、アメリカでは飛び込みの初心者の人に、どこまでの演技を指導できるか、なんていうテレビ番組があるくらいです。



ーー弾力性のある板を使って1m・3mから飛び込む「飛び板飛び込み」と5m・7.5m・10mの高さからの「高飛び込み」があります。坂井選手は7月23日から始まる世界水泳選手権(ハンガリー・ブダペスト)では「飛び板飛び込み」に出場します。

世界水泳選手権出場は、今年で5回目になります。はじめて出場したのは2009年のローマ大会だったんですが、そのときは高飛び込みでの出場だったんです。

ーーリオ五輪も3mの「飛び板飛び込み」で出場しました。「高飛び込み」とはどんな違いが?

実は、昔は高飛び込みのほうが成績が良かったんですよ。でも、元々10mから飛ぶのが怖くて、練習からも逃げ回っていました(笑)。それでも両方を練習していたんですが、高校3年生の3月くらいに、高飛び込みの練習中に大失敗しちゃったんです。本当は3回転半の演技をする予定だったんですが、それが1回転半になってしまって。そこまでは怖くてもなんとかごまかして飛んでいた高飛び込みだったんですけど、本当に怖くて飛べなくなってしまって……。自分は1個ダメになると、全部辞めたくなっちゃう性格なのもあって、もう飛び込み競技自体をしたくない、って思ったんですけど、低い位置から飛ぶ、飛び板飛び込みだけでも良いからやってくれ、ってコーチでもある父から言われて。

ーーじつは怖かった!

友人などには、怖いから高飛び込みをやらない、などと公言しないほうがいいよ、と言われているんですけど、本当の理由がそれですし、隠すことでもないので、普通に話しちゃってます。

○子どもの存在は「ストレス解消になるし、ストレスにもなる」



ーーあらためてですが、坂井選手が飛び込みを始めたきっかけは?

両親がコーチだった、というところですね。両親が飛び込みのコーチをやっていたこともあって、自分は物心もまだついていないときからプールに行っていました。常に身近な存在にプールがあったので、今でもプールがない生活というのは、想像がつかないですね。

ーー当たり前の存在、プールを離れたとき、オフはどんな感じで過ごしますか?

ショッピングだったり、みんなでカラオケにいったりとか、そういうことはあまりしていません。かつては寝て過ごしていたことが多かったですね。
でも、今は自分の家族ができて男の子も生まれたので、一緒にサッカーをしたり遊んだりするのを楽しんでいます。もちろん、子どもにはミキハウスの服を着せて遊びに行きますね(笑)。去年のリオデジャネイロ五輪前に生まれました。めっちゃ可愛いです。名前も、夢に羽ばたく、という意味を込めた名前にしました。自分の名前は、中国の一番上に立つ人が呼ばれる役職のなかに使われている「丞」という字を使っていて、両親が意味を大切にしてつけてくれた名前なんです。なので、将来子どもに「こういう意味を込めてその名前にしたんだよ」ということを言いたくて(笑)。



ーーやっぱり子どもの存在は癒やしやストレスの解消になる。

ストレス解消にもなりますし……ストレスにもなるときもありますけどね(笑)。ただ、ここ最近で飛び込み競技に対する意識が変わってきたんですけど、子どもの影響は大きいです。やっぱり、自分のお父さんはこういう人なんだよ、って子どもに自慢してほしいなって思うこともあって。今までは、試合でも練習でも、ここぞというところで踏ん張り切れなかったんです。でも、今は踏ん張れるようになりました。ちょっと辛い想いをすると、すぐに妥協してしまうところが今までの自分には多かったと思うんですけど、家族を持つことによって、辛いときでも妥協しなくなりました。

○世界水泳から東京五輪へ「鳥肌が立った瞬間を忘れずに」



ーー昨年、はじめての五輪を経験しました。あらためてどんな戦いでしたか?

五輪は、出るだけで終わってしまったというのが、振り返っていちばん感じているところです。五輪に向けて、今までにないくらい努力して本番を迎えましたけど、やはりどこか気持ちが追いついていない部分があったり、五輪という場所の雰囲気を想像しきれなかったり。探りながらの大会になってしまって、結局良い結果で終われなかったというのはありますね。

ーーその経験は今、どのように生きていますか?

中学や高校時代の大会、世界水泳選手権でもそうなんですが、いつも最初の結果は良くなくて。2回目、3回目と大会の経験を重ねるごとに結果が良くなっていく、という流れが多いんですね。でも、さすがに五輪は大舞台だから、一度で結果を出そうと思っていたんですが、今までと同じく初参加の大会で力が発揮できなかった。でも一度経験できたことによって、次の五輪に対して不安はなくなりました。いつも通りの流れに乗れば良いですから。それに、以前は目の前の試合だけに目を向けていましたが、今は次の五輪に向けて4年間かけて作り上げていこう、という考え方に変わりました。五輪を通して、自分の戦略や攻め方が変わってきたんです。



ーー試合の回数を重ねれば成績が良くなっていく。まずは今夏の世界水泳選手権で期待してもよさそうですか?

今年のブダペスト世界水泳選手権は、2020年の東京五輪のことを考えたなかでの世界水泳選手権という位置づけにしたいですね。東京五輪でどの種目を飛ぶのか、どういう演技構成でいくのかを中心に考えて戦略を練っているところです。出場回数を重ねることで大会の結果が良くなるとはいっても、2011年に出場したロンドン五輪前年の世界水泳選手権(自身2回目の出場)では、五輪を意識し過ぎてしまった。練習でもしなかったようなミスをしてしまったんです。そのミスのせいで、採点で1点くらい足りなくてロンドン五輪には出られませんでした。

一方で、でロンドン五輪翌年の2013年のバルセロナ世界水泳選手権では決勝に進出して入賞することができました。しかし、物事は簡単には運ばないものです。「この入賞を続けていきたい」という気持ちが空回りしてしまって、再びリオデジャネイロ五輪前の2015年のカザン世界水泳選手権で失敗してしまった。すごくもどかしいというか、世界水泳選手権では毎回心に傷を負うような試合を続けてきました。なので、目の前の世界水泳選手権に集中する、というのではなく、五輪を見据えた戦い方をしていきたいと今は思っています。

ーー最後に、2020年の東京五輪をどういう風に考えて、そして東京五輪までの時間をどう過ごしていきたいですか?

五輪が東京に来るなんてことは、自分が現役選手をしている間に実現するなんて、全く想像していませんでした。招致が決定した瞬間、起きてテレビを観ていて、本当に鳥肌が立った。「出たい」と強く思いました。

大会に向けて、新たに初動負荷のトレーニングを採り入れています。これが自分のなかではしっくりきていて、身体の感じもかなり変わりました。また、リオ五輪の反省点として練習量不足も感じましたので、結構追い込んでトレーニングしています。今までは、自分の思ったように飛べない新しいスタイルについて、採り入れないことも多くありました。でも今はちょっとでも新しいことがあったら、まず自分に採り入れてみるようにしています。

あと3年しかありませんが、逆にあと3年もあるとも考えて、自分に合うトレーニングやテクニックを探しながら、1年1年、練習していきたい。リオデジャネイロ五輪を一度経験したことで、五輪に向けた戦略の練り方などを勉強できたと思っているんです。東京五輪が決まった瞬間の鳥肌が立つような想いを忘れず、日々練習をしていきたいと思っています。やっぱり一生に一度あるかないかの機会ですから、東京五輪でのメダル獲得しか考えていません。



失敗の経験、子を持つ責任感、鳥肌が立つほどの刺激。これらが25歳のアスリートを変えていくのか。これが坂井丞のこの先の見どころだ。抜群のセンスで国内を席巻してきたが、国際大会では最後の詰めの甘さが目立っていた。変わりゆく男が、まず挑むは世界水泳選手権。どんな演技が観られるだろうか。



<プロフィール>
坂井丞 さかい・ しょう
(ミキハウス)

水泳飛び込み競技選手。1992年8月22日生まれ、神奈川県出身。麻布大附属渕野辺高―日本体育大学卒業。両親、姉と妹(写真=莉那さん)がすべて飛び込み選手という一家に育つ。高校時代にすでに1m飛び板飛び込み、3m板飛び込みと高飛び込みで日本選手権優勝。インターハイは3年連続2冠。世界水泳選手権には今年7月13日から開幕する第17回世界水泳選手権を含め5回連続で出場している。最高位は2013年バルセロナ大会での3m飛板飛び込み8位入賞。ほか、2014年仁川アジア大会では3m飛板飛び込みで銅メダルを獲得した。リオ五輪では予選敗退。171cm、58kg。ミキハウス所属。