ファミコンやスーパーファミコンはカセットを差し込むことでゲームを切り替えることができますが、そんなゲームの情報が書き込まれた「ROMカートリッジ」の先駆けとなった「チャンネルF」の開発者たちが、「どのようにしてカートリッジを発明したのか」ということをインタビューで語っています。

The Untold Story Of The Invention Of The Game Cartridge | Fast Company | Business + Innovation

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40年前に初めてカートリッジ式のゲーム機「チャンネルF」を発明したのがウォレス・キルシュナー氏とローレンス・ハスケル氏。ゲーム機にカートリッジを差し込むだけで起動できるという、ユーザーフレンドリーなソフトウェア体験によって、ゲームカートリッジはビデオゲームのビジネスモデルを革新しました。

1972年にAtariのPONGや、マグナボックスのオデッセイが登場するまで、ビデオゲームは単に1種類のコンテンツをスクリーンに映し出すだけのもので、どの製品もアーキテクチャの中心にコンピュータを据えることはありませんでした。

Atariの創業者ノーラン・ブッシュネル氏は、1969年当時のミニコンピュータ用ソフトとしてゲームの開発を思案していましたが、あまりにハイコストだったために実現しなかったとのこと。この状況を打開したのが、1971年のインテルのマイクロプロセッサ「Intel 4004」。ゲーム機で必要となる情報を全て、小指サイズのシングルチップに書き込めるようになったとのこと。1974年には4004の性能を劇的に向上させたIntel 8008が登場しており、フェアチャイルドセミコンダクターRCAのような半導体企業は、独自のマイクロプロセッサの開発を始めました。

この時、チャンネルFの開発者であるキルシュナー氏は、専用のハードウェアではなく、ビットマップディスプレイを備えたマイクロコンピュータ上でソフトウェアを実行することで、より精巧なビデオゲームができるかもしれないことに気付いたとのこと。

1974年までに発売されていた家庭用ゲーム機は、カードを差し込むことで数種類のゲームに切り替えられるオデッセイのみでしたが、同年に生産を終了。キルシュナー氏とハスケル氏は、1974年前半にチャンネルFの開発を開始しています。キルシュナー氏は当初、8ビットのCPUであるIntel 8008を中心にシステムを書き上げ、高価な8キロビットのRAMを使った128×64の映像をディスプレイに描画できるデバイスを開発。「当時のメモリはとても高価であり、ゲームの各ソフトウェアは2キロビット未満か256バイト未満という制限があったことから、システムのグラフィック能力とシステムの複雑さの両方に制限があったのです」とハスケル氏は話しています。

これらの制限をクリアするソフトウェアとして、チャンネルFに内蔵されている「ホッケー」と「テニス」が完成。これはゲームプログラミングを担当していたハスクル氏が、AtariのPONGに影響を受けたものとのこと。ホッケーに続いて「三目並べ」「射的」「Doodle」などのゲームソフトが開発されました。開発チームは、消費者が最初だけ高価なハードウェアを購入し、あとは様々なソフトウェアを購入すればよいシステムを開発することで、ゲームソフトをユーザーが簡単かつ低価格で交換できるようになる方法を考えていました。

当時の汎用電子計算機のリムーバブルストレージには「紙テープ」「磁気テープ」「磁気ディスク」といったものが使われていましたが、消費者向け製品としては非常に高価だったとのこと。そこでキルシュナー氏とハスケル氏は、プログラムの書き込み・消去が可能なROM「EPROM」に注目。ROMチップのピンを耐久性のあるコネクタに切り替えることで、ユーザーがソフトを何度も抜き差しできるプラスチック製の「カートリッジ」が生まれたというわけです。

なお、チャンネルFで実際にカートリッジを抜き差ししている様子は、以下のムービーから見ることができます。

commercial for Fairchild Channel F video game system at JC Penney - YouTubeチャンネルFのカートリッジ式ゲーム機は、ゲーム業界に大きな影響を与えましたが、最終的に販売された台数は35万台ほど。一方で同時期にカートリッジ式ゲーム機として追随した「Atari 2600」は数百万台の本体およびソフトウェアを売り上げたとのことです。