驚きも発見もなかったトゥーロン国際
U−23代表が出場したトゥーロン国際は、1勝2敗でグループリーグ敗退に終わった。最大で5試合を経験できるはずが、3試合のみで帰国することになってしまった。
すべてが想定内に収まってしまった、という気がしてならない。
0対2で完敗したトルコとの初戦は、球際の攻防で劣勢を強いられ、自陣で何度となくファウルを犯した。相手に与えた直接FKが、失点にもつながった。
チームとしての逞しさに欠けたのは間違いない。だが、個々が逞しくなるための経験を、このチームは積んできたのか?
そもそもが、U−20W杯に出場していない世代の集合体である。09年の同大会を逃した権田、山村、山本康、永井らの世代は、U−17W杯の出場も逃した。アジア以外の国々との対戦量が、絶対的に少ないのだ。
関塚監督指揮下のゲームを振り返っても、アジア以外の国との試合は昨年8月のエジプト戦だけだ。しかも相手は、ラマダン(断食)のさなかで水さえ口にしていない選手がピッチに立っていた。コンディションが万全でなかったのは明らかで、2対1の勝利もフレンドリーマッチの域を出ないものだった。
今回対戦したエジプトのメンバーは、10か月前と極端に変わっていない。そして結果は2対3である。今大会のグループリーグ敗退は、アジアの枠組みでばかり強化をはかってきた代償である。
選手個々のパフォーマンスにも失望させられた。何よりも残念なのは、Jリーグでプレーする既存のメンバーである。
指宿、宇佐美、高木、酒井高、大津らの海外組がアピールするのは、大会前から分かっていた。最終予選に出場していない、あるいは出場機会が限定的だった彼らは、ここで結果を残さなければロンドンへの道が開けない。危機感溢れるプレーには迫力があり、それが対戦相手への脅威につながっていた。
ひるがえって、国内組はどうだったか。僕には不満である。とりわけ、これまでコアメンバーとしてチームを形作ってきた鈴木、山村、比嘉、東、大迫といった選手たちから、海外組が見せた剥き出しの闘志が感じられなかった。目の前の攻防に全力でぶつかることで、チーム内の競争に打ち勝っていくという気概も感じられなかった。海外組に負けないメンタルを見せたのは、斎藤ぐらいではなかったか。
海外組を含めたコンビネーションやコミュニケーションが高まったのは成果だが、それは想定内だったはずだ。想定外と言える驚き、つまり発見が、トゥーロン国際にはなかった。
チームが底上げされたとは思えないのである。
すべてが想定内に収まってしまった、という気がしてならない。
0対2で完敗したトルコとの初戦は、球際の攻防で劣勢を強いられ、自陣で何度となくファウルを犯した。相手に与えた直接FKが、失点にもつながった。
チームとしての逞しさに欠けたのは間違いない。だが、個々が逞しくなるための経験を、このチームは積んできたのか?
そもそもが、U−20W杯に出場していない世代の集合体である。09年の同大会を逃した権田、山村、山本康、永井らの世代は、U−17W杯の出場も逃した。アジア以外の国々との対戦量が、絶対的に少ないのだ。
関塚監督指揮下のゲームを振り返っても、アジア以外の国との試合は昨年8月のエジプト戦だけだ。しかも相手は、ラマダン(断食)のさなかで水さえ口にしていない選手がピッチに立っていた。コンディションが万全でなかったのは明らかで、2対1の勝利もフレンドリーマッチの域を出ないものだった。
今回対戦したエジプトのメンバーは、10か月前と極端に変わっていない。そして結果は2対3である。今大会のグループリーグ敗退は、アジアの枠組みでばかり強化をはかってきた代償である。
選手個々のパフォーマンスにも失望させられた。何よりも残念なのは、Jリーグでプレーする既存のメンバーである。
指宿、宇佐美、高木、酒井高、大津らの海外組がアピールするのは、大会前から分かっていた。最終予選に出場していない、あるいは出場機会が限定的だった彼らは、ここで結果を残さなければロンドンへの道が開けない。危機感溢れるプレーには迫力があり、それが対戦相手への脅威につながっていた。
ひるがえって、国内組はどうだったか。僕には不満である。とりわけ、これまでコアメンバーとしてチームを形作ってきた鈴木、山村、比嘉、東、大迫といった選手たちから、海外組が見せた剥き出しの闘志が感じられなかった。目の前の攻防に全力でぶつかることで、チーム内の競争に打ち勝っていくという気概も感じられなかった。海外組に負けないメンタルを見せたのは、斎藤ぐらいではなかったか。
海外組を含めたコンビネーションやコミュニケーションが高まったのは成果だが、それは想定内だったはずだ。想定外と言える驚き、つまり発見が、トゥーロン国際にはなかった。
チームが底上げされたとは思えないのである。
関連情報(BiZ PAGE+)

1968年生まれ。'91年から'98年まで『サッカーダイジェスト』編集部に所属。'98年秋よりフリーに。2000年3月より、日本代表の国際Aマッチを連続して取材している