量子力学の大問題「重力」。なぜか…世界を騒がせたヒッグス粒子の発見。その解析を支えた「朝永振一郎の理論」が、ただ一つ「解決できないこと」
物理学者たちが長年追い求め、そしていまだに未達成である「四つの力の統一」を説明できる可能性をもった、物理学の最新理論「ホログラフィー原理」。それは「重力が司っているこの世界は、じつは重力とは関係ない力とその力を受けて運動している物質からなるホログラムの像のようなものである」というもの。
量子力学よりもさらに不思議でつかみどころのない最新理論を、人気の物理学者である橋本幸士教授がわかりやすく解説した『ホログラフィー原理とはなにか』(講談社・ブルーバックス)が刊行されました。
この記事シリーズでは、本書の解説から、とくに興味深いトピックを厳選して、ご紹介していきます。
前回の記事で、取り上げたクーロン力。こうした無限大の問題は、量子電気力学における物理量の計算で発生します。今回は、こうした無限大の問題を解決した朝永振一郎(1906〜1979)の繰り込み理論についての解説をお届けしましょう。
*本記事は、『ホログラフィー原理とはなにか 宇宙と素粒子を統一する最新理論』(ブルーバックス)を再構成・再編集したものです。
無限大を消し去る「繰り込み理論」
朝永振一郎(ともなが・しんいちろう。1906〜1979)が唱えた繰り込み理論とは、観測される物理量の値に無限大(∞)を押し込む(繰り込む)ことで、計算で現れる無限大を消し去り、有限の計算結果を得る方法のことです。いったいどういうことでしょうか?
繰り込み理論では、例えば、私たちが観測している電子の電荷は実は“本当の電荷”ではなく、“本当の電荷”に量子揺らぎの効果を加えたものだと考えます。逆にいえば“本当の電荷”は、観測される電荷から量子揺らぎの効果を取り除いたあとに残るものだといえます。ここでいう“本当の電荷”は、繰り込み理論では「裸の電荷」と呼ばれています。
実際に観測される電荷をQ、裸の電荷をQ₀、量子揺らぎの効果をΔQとすると、
Q=Q₀+ΔQ……(※)
ということになります。
量子揺らぎの効果DQは、前回の記事で取り上げたクーロン力と同じく、計算上無限大になってしまうことが知られています。しかし(※)の式の左辺にあたる、実際に観測される電荷Qは有限の値です。
つまり、この式を成り立たせるためには、Q0=Q−∞となっている必要があります。そうすれば(※)の式は、Q=Q0+DQ=Q−∞+∞=Qとなり、左辺と右辺が一致します(厳密にいうと∞は数ではないので、この式変形はやや乱暴ですが、ここでは説明の都合上、∞を数のように扱いました)。
つまり裸の電荷は、ちょうど量子揺らぎの無限大を相殺して、さらに最終的に有限の値であるQを残すような値になっている、と考えるわけです。何ともご都合主義的な考え方にも思えますが、量子揺らぎの効果を取り除いた裸の電荷は、決して観測できないものであり、それが有限の値でなくても様々な実験結果との間に矛盾は生じません。
やっかいな無限大を、観測できない裸の電荷に押し込んで(繰り込んで)、無限大の問題を解決するわけです。
試験の時のカンニングと似ている
朝永自身は、このかなり奇妙なやり方について「試験の時のカンニングと似ている」と述べています。そして「計算で答えが出ないから、自然自身に教えてもらう」のだとも言いました。
繰り込み理論に基づいた量子電気力学の計算結果は、様々な実験結果と見事な一致を見せ、大成功を収めました。
その例として、電子の持っている磁気的な性質についての計算の成功がよく知られています。
電子は小さな磁石としての性質をもつことが知られています。電子の磁石としての性質を表す量(磁気モーメント)を、繰り込み理論を用いて計算すると、なんと小数点以下10桁以上まで実験結果と一致することが判明しています。
この実験は、「世界で最も精密な実験」とも呼ばれています。繰り込み理論は、人類のミクロの世界への理解を確実なものにしたのです。
朝永は繰り込み理論などの量子電気力学における業績によって、1965年にリチャード・ファインマンらとともにノーベル物理学賞を受賞しています。
大成功を収めてきた繰り込み理論…それでも解決できない大問題
繰り込み理論は、朝永がカンニングと似ていると述べたように、物理学者でもその正当性について悩むことがあるようです。しかし、これまで行われてきた素粒子物理学の無数の実験結果が繰り込み理論を支持しており、その意味で繰り込み理論の成功は確実なものだといえます。
成功例を挙げるときりがありませんが、例えば、2021年に世界的な大ニュースとなったヒッグス粒子(様々な素粒子に質量を生じさせる原因となっている素粒子)が発見された実験の解析でも、繰り込み理論が使われています。素粒子の標準模型を使って、計算によって素粒子の振る舞いを予言する際には、繰り込み理論がその根幹の手法として用いられているのです。
このように繰り込み理論は大成功を収めてきたのですが、大きな未解決問題を抱えています。それが「重力の繰り込み」です。重力の計算では、繰り込みができないのです。どういうことでしょうか。
重力の問題が繰り込み理論で解決できないわけ…解決する可能性のある期待の理論とは
ニュートンの重力の法則(万有引力の法)は、電磁気力のクーロンの法則と全く同じ形をしています(図「ミクロな視点から見た重力」)。二つの物体があるとき、重力の大きさはそれぞれの物体の質量に比例し、物体の間の距離の2乗に反比例します。
重力を伝える素粒子「重力子」が存在したとします。すると、電磁気力の場合と同じように、重力にも量子揺らぎが存在することになり、結果としてその量子揺らぎの効果は無限大という計算結果になってしまいます。
では、電磁気力で行った繰り込みの操作は、重力でも行えるのでしょうか? ニュートンの重力定数(万有引力定数)Gを“繰り込まれた重力定数”で置き換えるアイデアがありますが、実はこの方法ではうまくいかないことが分かっています。重力は「繰り込み不可能」、つまり計算で現れてしまう無限大を消し去ることができないのです*。
宇宙を支配する数式、すなわち、素粒子の標準模型の作用に重力の作用を加えたものは、重力と他の力が同じように記述され、表向きは問題ないように見えます。しかし、実際にミクロの量子揺らぎを考慮した計算を行うと、重力の量子効果の計算結果が無限大となり、意味をなさなくなってしまいます。
これが「量子重力理論はまだ完成していない」ということなのです。そして、ホログラフィー原理は、重力の無限大の問題を解決する可能性があるのです。
*重力は「繰り込み不可能」:重力の理論が繰り込めない理由は、ここでは説明が専門的になりすぎるため、省略します。理由の一つは、クーロンの法則が電荷の間の関係である一方で、ニュートンの万有引力の法則は質量の間の関係であり、そこが異なっているからです。アインシュタインの相対性理論によれば、質量はエネルギーと等価です。そのため、エネルギーの観点からは、重力の法則はクーロンの法則とは全く異なっているのです。
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次回は、無限大の問題が生じる“間違い”を考察し、ホログラフィー原理が示唆する解決方法についての解説をお送りします。
ホログラフィー原理とはなにか 宇宙と素粒子を統一する最新理論
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