阿南出身の版画家・吹田文明さん 100年のドラマをたどる特別展【徳島】
阿南市出身の版画家・吹田文明さん、現代を代表する木版画家の一人です。
2026年で100歳を迎える吹田さんの作家人生をたどる作品展が今、徳島市で開かれています。
深い闇に散りばめられた光の点、その集中と拡散はまるで花火を思わせます。
作者は阿南市出身の版画家、吹田文明さん。
作品を見た海外メディアは、彼をこう呼びました。
「花火の男」。
吹田さんが思う人生とは。
(版画家・吹田文明さん)
「人生はドラマなんですよ」
(記者)
「そのドラマを追体験できる作品展が、徳島市の近代美術館で開かれています」
(記者)
「こんにちは、今日はよろしくお願いします」
案内してくれるのは、久米千裕 主任学芸員です。
会場には、吹田さんの作品など121点が展示されています。
吹田さんは1926年、現在の阿南市富岡町に生まれました。
14歳で徳島師範学校に入学、日に日に戦時色が濃くなる中でも油絵を描くなど、制作活動に励みました。
1945年、18歳のとき徳島大空襲で被災、その後入隊し、鳴門で軽機関銃の射手として訓練に励みましたが、軍隊生活はわずか10日ほどで終戦を迎えました。
その戦争体験が反映された作品がこちら。
(記者)
「友に捧ぐというのはどういう意味?」
(県立近代美術館・久米千裕 主任学芸員)
「蝶が南の空に飛んで行っている。戦闘機に乗って先に散っていた友を、重ねて見ることができる」
(記者)
「20歳の吹田さんは、現在の美波町にある日和佐小学校に着任し、教員としての道を歩み始めました」
「こちらの椅子と机は、日和佐小学校から借りてきたもの。一体どんな授業が行われていたんでしょうか」
2006年、吹田さんは56年ぶりに最初の赴任地である、日和佐小学校の教壇に立ちました。
(版画家・吹田文明さん)
「油の絵の具、水に浮きますから、このぐらい混ぜて水の上に消えてもうた、この画用紙にとったら模様が映るわけや」
(児童)
「うお~」
(版画家・吹田文明さん)
「これ面白いだろ」
教員をしながら版画制作に取り組んでいた吹田さんだからこそ、生み出された技法があります。
「ラワン・メゾチント法」です。
(県立近代美術館・久米千裕 主任学芸員)
「体育祭や学芸会などで使い終わったラワン板をもらってきて、自身の版画制作に使っていた」
「目が粗い板で、この板を縦横で重ねて刷ることで、独特の模様が出ます」
(記者)
「木目の粗さが表現されていますね」
1950年代後半から、日本には版画ブームが巻き起こりました。
なかでも、棟方志功さんは世界有数の国際美術展「サンパウロ・ビエンナーレ」で、日本人として初めて版画部門の最高賞を受賞しました。
(県立近代美術館・久米千裕 主任学芸員)
「吹田さんは(制作を始めた頃は)版画と油彩画の両方発表していたが、当時の版画ブームの影響で版画に絞って制作するようになった」
吹田さんが40歳のとき、人生の大きな転機が訪れました。
(県立近代美術館・久米千裕 主任学芸員)
「吹田さんが1967年に、サンパウロ・ビエンナーレという展覧会で、版画部門で最優秀賞をとった作品」
(記者)
「インパクトがあって、まるで夜空に浮かぶ花火のようですね」
(県立近代美術館・久米千裕 主任学芸員)
「とても、キラキラした作品です」
(記者)
「版画部門 最高賞を受賞した2年後、1969年42歳さんの吹田さんは、多摩美術大学の教授として招かれました」
「そこから吹田さんの表現は、さらに広がりを見せるようになりました」
(見に来た人)
「絵が若いっていうか、力がある」
(県立近代美術館・久米千裕 主任学芸員)
「日本の現代版画を牽引したひとり、吹田さんのロマンチックな世界観を感じてほしい」
抽象の作家として活動を始めるも、身近なものを題材とした具象性の強い作品も作るようになった吹田さん。
2026年で100歳を迎えます。
現在は車いす生活を送りながらも、元気に過ごしています。
この特別展は、6月28日まで徳島市の県立近代美術館で開かれています。
