【我が好敵手・江夏豊を語る】有藤道世「あのオールスター9連続奪三振は僕から始まった」
シーズン401奪三振、両リーグでのMVP獲得などの大記録を残し、「プロ野球史上最高の左腕」と評される江夏豊氏。その江夏氏が78歳の誕生日を迎える5月15日、『江夏の遺言』(江夏豊・松永多佳倫の共著、小学館刊)を上梓した。同書では「オールスター9連続奪三振」「江夏の21球」など、球史に残る名場面を振り返ったほか、各球団での衝突と軋轢の真相、さらには引退後に起こした「過ち」からの再起の日々を赤裸々に明かしている。
【写真を見る】1980年、川崎球場の近鉄戦でソロ本塁打を放つロッテの有藤道世氏
「球界のヒール役」として鮮烈な印象を残した名投手を、同時代に躍動した選手たちはどう見ていたのか。
シリーズ第1回は、1968年のドラフト会議で東京オリオンズの1位指名を受け、江夏から2年遅れてプロ入りした有藤道世氏(79)。選手・監督としてロッテ一筋の"ミスター・ロッテ"は、江夏氏の代名詞「オールスター9連続奪三振」のトップバッターだった。(文/松永多佳倫 文中敬称略)
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高知で育ち"土佐のいごっそう"を地で行く有藤は、「1971年のオールスターは"生き恥"だった」と振り返る。
「江夏豊という名前が自分の頭に刻まれたのが、この年のオールスターです。"パ・リーグに有藤あり"と名を売ろうと意気込んで出させてもらったのに、大恥をかかされた」
西宮球場での第1戦で全セの先発を務めた阪神・江夏は、打者9人から連続で三振を奪い、伝説をつくった。その1人目が全パの先頭打者・有藤だ。
「まさか自分の三振から9連続なんて、思いもしないでしょ。あの頃のオールスターは今みたいに人気先行の選手じゃなくて、ちゃんと成績を残した連中しか出場しない。とりわけ僕らパ・リーグの選手は、"本当に力のある者が集うのがオールスターだ"と思っていましたから」
全パのベンチの異様な空気
投票するファンも実力重視。監督推薦は成績に準じた選出がなされていた時代。3年目の有藤は2度目のオールスター出場で、1971年は栄えあるファン投票1位で選出された。
ルーキーイヤーからレギュラ──に抜擢された有藤は、2割8分5厘、21本塁打、55打点で新人王に輝き、2年目には3割6厘、25本塁打、80打点、27盗塁。ロッテ不動の三塁手となった。
1950年代後半から1960年代にかけてパ・リーグで活躍した野村克也、張本勲、山内一弘といったスーパースターたちはベテランの域に入っており、全パのスタメンには有藤のほか、長池徳士(阪急)、土井正博(近鉄)といった新世代の強打者が名を連ねた。そんな若武者たちから次々と三振を奪う江夏を目の当たりにして、全パのベンチは異様な空気になったという。
「僕は3年目の下っ端ですからベンチの隅っこに座っていたのですが、中央にどっかと座る野村さんや張本さんは『おい、お前ら、なんとかしろ!』と真剣に怒っていました(苦笑)。
3回には8連続となり、いよいよ最後の1人。"(打順がピッチャーなので)代打で張本さんが出るだろう"と僕は思っていたのですが、どうもこの日のベテラン勢は試合後半からの出場と決まっていたようです(有藤と同期プロ入りの阪急・加藤秀司が起用されて空振り三振)。もしあの連続三振が試合の後半だったら、野村さんや張本さんが打席に立って、バットに当てていたかもしれませんね」
江夏にとっても、有藤は強烈な印象を与えたバッターだった。
江夏が阪神から南海に移籍した初年度の1976年。4月29日のロッテ戦で、初回一死一塁で三番・有藤を迎える。初球を得意のアウトコース低めに投げ込むと、ものの見事に左中間スタンドに運ばれた。セ・リーグでは初球のアウトローに手を出すバッターはいなかったので、江夏にとって衝撃のひと振りだった。
「江夏はものすごい寂しがり屋だったんじゃないか」
当時のセ・リーグは川上哲治率いる巨人に象徴される"セオリーの野球"。それに対してパ・リーグは打てる球が来たら振っていく"ひらめきの野球"──その違いを、身をもって有藤に教えられた。
近畿大学からプロ入りした有藤は江夏の2学年上。南海に移籍して対戦が増えた有藤を、江夏は「おっさん、おっさん」と呼び、親しげに距離感を詰めてきたという。阪神時代に飛ぶ鳥を落とす勢いだった江夏のやんちゃぶりは、パ・リーグでも変わらなかった。
「おっさん呼ばわりされても、"まぁ、江夏だからしゃーない"と諦めていましたね(笑)。江夏はものすごい寂しがり屋だったんじゃないかな。マウンドではあえてふてぶてしい態度だったのでしょう。マウンドではたったひとりでバッターに向かっていくわけですから、遠慮していたらあんなピッチングはできなかった。ある意味、偏屈者だったんだろうね。もっとも、そういう人間じゃないと当時のプロ野球では通用しなかったとも思います」
投手・江夏のすごさはどこにあったのか。
「右バッターからカウントを取る外角低めのコントロールは、本当に素晴らしかった。スピードだけなら鈴木啓示(近鉄)のほうが上だったかもしれないけれど、江夏の球も本当に速かった。
南海に移籍してリリーフに回ってからは、投球術が光っていました。今のピッチャーのようにいろいろな球種を駆使するタイプではなかったけれど、バッターにファウルを打たせてカウントを稼いだり、コースの出し入れで打ち取ったりと、とにかくバッターのタイプを考えた投球でした。バッターに襲いかかるような阪神時代の投げ方もすごかったですが、僕はパ・リーグに来てからの完成度の高い投球と配球が印象に残っています。
僕らの世代のピッチャーは、"下半身で投げろ"と教えられてきました。理想は"重心の低い投球フォーム"で、体にタメができて腕が遅れて出てくるので、バッターからはボールが見えにくい。まさに江夏は下半身で投げるピッチャーでした。年配の名投手たちは"数多く投げなきゃ下半身はつくれない。練習でも全然投げない今の投手では、身につくわけがない"と言いますが、僕も同感です。上半身のパワーで投げる現代のピッチャーのほうが、ボールは見やすいのでしょう」
現役通算で2057安打、348本塁打を記録して名球会入りした有藤は、今でも「あの屈辱」を忘れられないという。
「オールスターでの三振は、悔しくて今でも頭にきています。オールスターの名場面特集では、僕の空振り三振が映像や写真で何度も流されてしまうんですから(苦笑)。だけど、その悔しさをバネにしたからこそ、その後の僕の野球人生があったといっても過言じゃない。江夏がいたから、有藤はここまでやれた。本当にありがたいと思っています」
【第2回】へ続く
〈プロフィール/松永多佳倫(まつなが・たかりん)〉
1968年生まれ。琉球大学卒業。出版社勤務を経て沖縄移住後、ノンフィクションライターに。プロ野球界の重鎮のインタビューをはじめ、スポーツ取材に定評がある。『怪物 江川卓伝』(集英社)、『92歳、広岡達朗の正体』(扶桑社)、『沖縄を変えた男 栽弘義』(集英社文庫)、『マウンドに散った天才投手』(講談社+α文庫)、『最後の黄金世代 遠藤保仁』(KADOKAWA)など著作多数。5月15日に江夏氏との共著『江夏の遺言』(小学館)を刊行。
