【緊急提言】球審に「バット直撃」の悲劇を繰り返してはならない…野球界は一刻も早く安全対策を!
「野球は絶滅危惧種」と私は案じている。第一に「危険」だ。しかも野球界は、その危険の大半を直視せず、放置し続けている。第二に「野球人口の減少」。これに対する危機感も薄く、対策は限定的だ。こうした楽観的な姿勢自体も、私が「絶滅危惧種」と警鐘を鳴らす一因である。【小林信也(作家・スポーツライター)】
なぜもっと本質的な行動を取れないのか
4月30日、日本野球機構(NPB)から以下の発表があった。
「4月16日(木)に明治神宮野球場で行われた、東京ヤクルトスワローズ対横浜DeNAベイスターズ第5回戦にて側頭部を負傷し、搬送先の医療機関の集中治療室で治療を受けておりました川上拓斗審判員は、本日より一般病棟に移りました。まだ意識は回復しておらず、医療機関にて懸命な治療とリハビリを継続いたします」

意識がまだ回復していない……、胸がつぶれそうな思いに沈む。
同じ日、プロ野球選手会は、公式ホームページや公式SNSで次の声明を発表した。
「去る4月16日の試合中に負傷され、現在も治療を受けておられる川上拓斗審判員に対し、日本プロ野球選手会を代表して、心よりお見舞い申し上げます。発生から今日まで、私たち選手一同は、共にグラウンドに立つ仲間として、川上審判員の容態を案じながら、その回復を祈り続けてまいりました。審判員の皆さまは、厳しい緊張感の中で職務を遂行され、プロ野球の試合を選手と共につくってくださる、かけがえのないパートナーです。選手会といたしましては、川上審判員の一日も早いご快復と、再びプロ野球のグラウンドに立たれる日が来ることを、全選手と共に心より願っております。
日本プロ野球選手会 会長 近藤健介」
この声明を読んで、なぜもっと本質的な行動を起こせないのかと、思わず唇を噛んだ。いまからでもいい、選手会には次のような声明を採択し、すべての野球人を代表して覚悟を発信してもらえないだろうか。
『私たちプロ野球選手は、打撃を完了するまで、決してバットを手から離しません』
オーバー・スイング
バットを離さない。それは打者として当然の不文律だと認識していた。日本で野球を学び、野球に打ち込んで来た選手は誰もが骨の髄までその鉄則を刻み込んでいる、と私は思っていた。外国選手は違うのか? 結果を重視する昨今の価値観はこれを度外視するようになったのか?
一部打者たちの“オーバー・スイング”が少し前から問題視されていた。フォロースルーで利き手をバットから離し、右打者なら左手一本、左打者なら右手一本でフォロースルーすればバットの軌道は大きくなり、途中で止めず振り切ればすぐ後ろの捕手を直撃する。ところが、捕手の存在を無視したフォロースルーを繰り返す打者が現れたのだ。
この議論になると、「打者の技術に関することを規則で制約すべきでない」という主張がけっこう幅を利かせる。「技術の追求を邪魔するな」と。しかし、私ははっきり異論を唱える。
「スイングの途中で片手を離して振り切ったら捕手は常に重大なケガと背中合わせになる」
「打者がバットから両手を離したら、観客やベンチも含め、周囲のすべての人を死の危険に晒す」
スポーツにおいて技術の追求は当然だ。が、対戦相手や審判、ファン、競技に携わる人たちの危険を度外視して(安全を犠牲にして)許される技術はありえない。
増加する野球の危険性
江本孟紀氏が、両手をバットから離した打者の行為について、集英社オンラインの《エモやんの月刊野球放談#2》(4月26日)で次のように指摘した。
「あれはね、“危険打法”とかで罰金とか罰則をもうけたほうがいい。ピッチャーは投球がすっぽ抜けて打者の頭に当たれば危険球になる。そういうものが打者にはない。バットというのは危険極まりない凶器なんだから片手を放すのは禁止にしなきゃいかん。フォロースイングまで両手でバットを握るのがバッティングの基本」
規則で縛る必要もあるだろう。それ以前に、マナーやスポーツマンシップと表現される「規則を超えた約束」がスポーツにはある。「仁義」あるいは「礼儀」と言ってもいい。
スイングの途中でバットから手を離す行為は「礼儀」を欠いている。「勝つためなら礼儀は二の次だ」と主張するなら、スポーツはもはや社会全体が応援し保護する対象から外されるだろう。
野球の危険性については、他にも複数の懸念がある。私は打球が投手を直撃する事故の多発と深刻化に背筋を凍らせている。投手の球速が速くなり、打者のスイングもパワフルになって打球速度が上昇し、ライナーが投手を直撃する事故が激増している。頭や胸に当たれば、即死の可能性も否定できない。一部の少年野球では心臓震盪を防止するプロテクターの着用を義務付けている。高校野球では打撃練習で打撃投手にヘルメットの着用を義務づけている。投手の前にはL字型のネットも立てる。だが、実戦ではグラブ以外の防具をつけない状態で投手はマウンドに立つ。
免許制度導入も
10年以上前、私はデュポン社が開発した衝撃吸収素材の実用化を楽しみにした時期があった。
菊池雄星選手は高校時代、この素材で作ったエルボーガードを右腕につけて甲子園の打席に立った。スポンジに近い素材だから動きをさほど制約しない。衝撃を受けた瞬間にこの素材は硬くなり、人体への衝撃を大幅に緩和する。この素材を帽子の内側に貼ることで頭部を保護できる。ヘルメットより遥かに軽量だから、投球動作への影響も少ないだろう。ところが、日本の安全基準に適合しないとの理由で商品化が見送られた。いま改めて、こうした新素材の開発と活用も含め、入念な安全対策を熱望する。
野球界は、高校野球の「甲子園大会」にしろ、プロ野球の「12球団制」にしろ、長年の伝統を聖域化して変えようとしない。議論さえ起こらない「思考停止状態」が続いている。だからあえて、「そんなのありえない」と言われるアイデアも加えて提言したい。
例えば、「硬式野球への免許制度導入」だ。
高校野球の地方大会では、甲子園出場を狙う強豪校と1回戦で負けることの多い高校が対戦する場合がある。点差が大きく開く一方的なゲームも悲惨だが、それは一歩間違えば大怪我の可能性もあるという現実が潜んでいる。それを野球界は見て見ぬふりをしている。経験の浅い三塁手が、プロ注目の強打者の鋭いゴロやライナーを顔面に受けたらどうなるか。
こうした事故を防ぐために「検定試験」を実施し、一定の技量を認められた選手だけが硬式野球をプレーできるといったハードルも安全を保証するには必要ではないか。
軟式野球の推進も
ともするとこの制度は、軟式野球を選択する高校が増える流れを促進することになるかもしれない。結果、硬式野球の参加校は減るだろう。が、それでいいではないか。猫も杓子も甲子園を目指し、硬式野球をやる必然性がどれほどあるだろう。もっと軟式野球が盛んになれば、中高年の元球児がグラウンドに戻る可能性もある。それも健全な野球発展を喚起するだろう。
私は軟式ボールメーカーや愛好者たちに取材し、軟球が大幅な改善を実現し、「過剰に高く弾まない」「飛距離も出るようになって、硬式に近い野球ができるようになった」と知らされている。もっと積極的に軟式野球の推進を野球界全体で図ってもいいだろう。硬式対軟式の勢力争い的な発想や、変わらないことを良しとする思考停止状態を打破しなければ、目の前に迫る危険も人気逓減も回避できない。
軽量化して折れやすくなったと言われるバットの強度基準の設定、強度テストの実施も必要だろう。もしくは、木製でも真っ二つに折れない工夫ができないものか。
安心して野球ができなくなる日が
5月5日の楽天対日本ハム戦でも、7回表に打者・郡司裕也が内野安打を打った際、折れたバットの先が長川真也球審の側頭部を直撃する事故が起きた。幸い、ヘルメットを着用していた長川球審にケガはなかったと報じられているが、もはやこの課題は放置できない。
昭和49年、私が高校3年生の春に、高校野球で金属バットの使用が認められた。つまり私は金属バット第一世代だが、それ以前の主流は竹バットだった。私のチームでは主力打者だけが木製バットの使用を許され、6番打者の私は竹が定番だった。竹バットは折れてもグシャッと割れ目が入るだけで、真っ二つに折れて飛ぶことは滅多になかった。
素人の発想で恐縮だが、例えば、木製バットの中心に針金を通し、折れても分離しない工法を編み出すことはできないだろうか。とにかく、なんとか工夫を凝らし、技術の粋を集めて折れたバットによる事故を予防する切実な対応をしなければ、もう野球は安心してできなくなる。
スポーツライター・小林信也
デイリー新潮編集部
