錦織圭はなぜ相手の時間を止められたのか…世界の強豪を惑わせた「二重のフェイク」と圧倒的な「ゲーム力」
身長の「不利」をどう克服したか
その肉体と精神は今やボロボロではないだろうか。文面に「これまでのすべてを振り返ったとき、『やり切った』と胸を張って言える自分がいます」と記している。
男子テニス界で世界4位にまで駆け上がった男、錦織圭選手が自身のSNS上で今シーズンでの引退を表明した。
現代の男子テニスは身長が185センチ、あるいは190センチ近くなければかなりの不利を強いられる。その世界に、張り詰めんばかりに高めた精神力一つを頼りとし、壊れてしまいやしないだろうかと思うほどに、180センチに満たない178センチの体躯をいっぱいに使って対抗してきた。相手を力でねじ伏せるグラウンド・ストロークを持っていた訳でも、一発で決められるビッグ・サーブを持っていた訳でもなかったのに。
テニスというスポーツは世界でかなりの広がりを持っている。貴族たちの優雅な宮廷文化に発し、(中央・東を含む)ヨーロッパと米国で馴染み深いのは無論のこと、南米は強く、インドに伝統があり、日本もアジア勢も強化された。
ただ、道具やインフラにコストを要し、経済的不公平は厳然としてある。ツアー大会の上位に勝ち残った褐色の肌の選手がいれば、それはまずサハラ以南のアフリカ勢ということはなく、たいていは米国あたりの国籍のはずだ。
その点でサッカーにはかなわないものの、それでもかなりの広がりを持って世界から才能を集めるスポーツなのだと言える。一部の地域でさかんなスポーツとはグローバル性で一線を画す。
身体的な不利と世界における遍在性を押して、2015年に手にした世界4位の地位。それに先立つ14年には全米オープンでアジア男子史上初のグランドスラム・ファイナリストとなった。他の競技を含めた歴代の日本人アスリートを見渡しても、彼の足取りの価値は相当に高い。
少なくとも、錦織以前の日本のテニス選手においては想像しがたいものだった。そんなこと無理さ。まさか!ホントに?錦織選手はそれまでの常識を覆してしまった。
フェイクを仕組む
錦織選手の常識を突破してしまう原動力とは何だろうか。手掛かりを繰る。
例えば、2008年2月、気の早い18才1ヵ月でのツアー初優勝。歴代最強と言われるロジャー・フェデラー選手(スイス)でさえもう少し先のことだ。それが成されたデルレイビーチ国際(米国・フロリダ州)の決勝。
画期となる試合が最終第3セットの第3ゲームに差し掛かっていた。錦織選手は4ポイント前に虚を衝くフォアのドロップショットを決めていた。そのときと同じ位置でバウンドした相手打球の返球体勢に入る。残像が脳裏にまとわり付く相手は、フェイクに備えてわずか重心がつま先に寄る…。
錦織選手はその気配を瞬時に見て取っていた。4ポイント前と同じ位置、同じフォーム動作から一瞬の間。流れを転じるかと思わせつつ、また転じ、放ったボールは、今度はネット際ではなくストレートに送り出されていた。
観客には滑らかに続いていると見えたラリーの流れの中で、コート上の二人は一瞬の断絶を巡る攻防の中にあった。一瞬の判断の遅れと重心のズレを強いられた相手は、為す術もなくどちらにも動けなかった。巧妙に伏線が仕組まれたフェイクのフェイク、二重のフェイクだった。
こんなラリーの決し方は、単発のビッグ・ショットではなくゲームの組み立てによっている。だまし合いや駆け引きという名の相手との対話があり、ある種のストーリーがあり、構成と構造がある。これはテニスなどのゲームスポーツの特性であって、ゲーム性と呼んでもいい。
また、小学生時代のこんな逸話。指導を受けていた柏井正樹コーチに「ケガをしたら休むことも大切だ」とアドバイスされたとき、「僕からテニスとテレビゲームを奪うのは、死ねと言うのと同じだ」と反論したという。錦織選手にとって、テニスとコンピューター・ゲームは死ぬほどに好きな遊びなのだ。
ここで再び先の問いに戻る。ビッグ・ショット持たざる錦織選手が世界トップ10のさらに上位まで駆け上がれた原動力とは何か。
ビッグ・ショット、その代わりに持っていたものがある。
それはラリーをまるで水の流れのように有機的に組み立てる戦いぶり。その流れを一瞬止め、瞬時に速める。一瞬、岩陰に隠し、瞬時に変転させ、相手を翻弄する。タイミングをずらし、リズムを崩し、予測を覆す。
時空に働きかける、とでも言おうか。ショットのその瞬間、予期せぬ所に、予期せぬショットを、予期せぬタイミングで打ち込んで行く。ドロップ・ショット。ライジング・ショット。全てが流れの変転の中で起こっている。女子ダブルスの世界1位にもなった杉山愛さんは「いろいろなショットがアートだな」とテレビに語っていた。
万物流転す。それを捉えていた。
有機的な組み立ての妙。これを「ゲーム力」と位置付けてみる。「文脈力」と言ってもいい。文脈を読み、文脈を裏切る。
そこでは遊び心も必須となる。良い意味の遊びが欠かせない。事を楽しむ(それはスポーツの原点)。端的なのが、一般的にはジャック・ナイフと呼ばれるエアK。前後二脚のうちの後脚を力の発揮の足掛かりにする通常を破棄し、流れに一瞬ブレーキをかけ、後脚先行でワンテンポ宙に浮かせて前のめりになった方が時に大きな力、ユニークな動きが発揮される、という運動体の動作の理(ことわり)だ。遊びの中で、その理は自然に身に付いていった。
未来を予感させた瞬間
そこまで思い至り、蘇る光景がある。
パッと宙に舞い上がる白い粉と芝の欠片。
一瞬のことであり、同時にスローモーションの動きをしながら散ったようでもある。
その像は瞬間が永遠に接続し、彼が身を置く世界の苛酷さと、それに対峙する彼の覚悟が伝わってくるかのようだった。
午後の日差しが少しずつ弱くなっていた。場所はイギリス、ロンドン郊外のウインブルドン。オールイングランド・ローンテニス・アンド・クローケー・クラブの14番コート。時は2012年盛夏、ロンドン五輪男子シングルス3回戦。
筆者にとり、その光景は本来観られるはずのないものだった。取材日程の変更と試合開始の遅れとその他諸々。好運が重なり、ギリギリ試合の尻に間に合ったのだった。
たどり着いた14番コートは観客席が10段もないこじんまりとしたコートだった。だからでもあるが、立ち見客でギュウギュウ詰め。人の壁に遮られて肝心の錦織選手と対戦相手のダビデ・フェレール選手(スペイン)が見えない。フェレール選手は当時世界ランク5位で第4シードの格上だ。
林立する脚の間を縫えばコートは見えた。仕方なくしゃがみ込んで目を凝らすことにした。わずか5メートル先、そこにいる錦織選手かフェレール選手の動きと放たれたボールの球筋が手に取るように見える。
試合は最終第3セットの中盤に差し掛かっていた(もしも2セットで終わっていれば間に合っていなかったことになる)。
あるポイントがサービスから始まって何度目かのラリーのそのフォアハンド・ストロークに入り、右脚を地面に踏み締めながら錦織選手はテイクバックを開始した。ラケットを持たない左側の上半身、左肩とその先にある左腕が胴体の内側に入っていき、相手に手の内を隠すような格好になる。この時点、この姿勢ではクロスにもストレートや逆クロスにも打ち分けられるし、また相手はショットの方向が読めず、リターンに向けて微妙な重心移動の準備を始めることができない。予測的なこの動作を早め早めに起こすことがコートカバーのカギなのに。
錦織選手は前方向のスイングを始めるが、懐を深くしており、ボールをまだ引き付けている。まだ引っ張りも流しもできる。引き付けて引き付けて、そうしてわずかのズレが生じた一瞬の時の流れの中で、フェレール選手の重心移動にほんのわずかの停滞が生じる。さっきはクロスだったから、またクロスかもしれない。それを見て取った錦織選手のショットは逆クロス方向に放たれた。腰折れのフェレール選手はただそれを見送るしかなかった。
ゲームの、ラリーの流れを感じ取り、楽しんでいる。その流れを一瞬せき止め、変転させている…。
強い順回転のかかったボールが激しくドライブし、急激な下向きの弧を描いてこちらに向かって来る。鋭くねじ曲がり続ける軌跡。ググググググッ。球自体のエネルギーが生きているように激しい。生ける龍が上空から襲い掛かって来るかのようだ。サイドラインぎりぎりにボールを収める、アウトにはさせぬ、白帯上に着地させる、その強い意志が乗り移ったかの球筋が5メートル先に見えていた。
サイドラインの白帯の、その細い幅に確かに乗ったと見て取るが早いか、次の瞬間には高速ドライブしながらボールはそのラインを弾き蹴っていった。白い粉と芝の欠片が舞い上がったのは、そのオン・ザ・ラインの蹴った跡によるものだった。
このオン・ザ・ラインをはじめとする錦織選手のショットとゲームの組み立ては、ゲームの文脈が深く読み込まれ、文脈を揺さぶったり、ひっくり返したり、書き換えたりできる、彼独自の秀逸さを放っていた。これから世界をのし上がってゆくだろう未来を予感させた。
他方、198センチのフアンマルティン・デルポトロ選手(アルゼンチン)との準々決勝では第2セットでタイブレークまでは行ったものの、最後は力尽きた。長身選手に対峙する困難さと高い壁、これから組み合わなければならない世界の苛酷さを同時に予感させた。
二つの予感。今思えば、長身選手には無用である困難をかき分けられたなら、その条件と引き換えに栄光が待っているという道のりが暗示されていたのかもしれなかった。
そうした厳風のごとき世界をここまで生き抜き、錦織選手はまもなくラケットを置こうとしている。
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