【もへじ】7割が無人の家屋、住民は数億円の借金…新宿の一等地をゴーストタウンに変えた「日本史上最悪の地上げ」の実態

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丸ノ内線の新宿御苑駅から歩いてわずか5分の場所に、セブンイレブンの屋上が住宅街になっているという前代未聞の再開発「富久クロス」が存在する。住宅の真下にスーパーとコンビニがあるだけでも十分便利だが、医療モールも完備。広い公園に保育園まで揃い、外に出る必要がほとんどない、すべてが街の中で完結する都市を実現している。

だが、ここはかつてバブル崩壊と激しい地上げによってゴーストタウンと化し、国土庁長官も言葉を失うほど荒廃した、いわば「日本最悪のバブル遺産」だった。

行政や銀行にも門前払いされながらも諦めなかった住民たちが、いかにして日本初となる住民主体の再開発を成し遂げたのかを追う。

前編記事『丸ノ内線新宿御苑から徒歩5分!セブンイレブンの屋上に23棟の住宅街!「新宿の空中ベッドタウン」誕生の理由』より続く。

限界集落化した新宿の一等地

1988年ごろから始まったとされる富久町の地上げ。バブル全盛期に土地を手放した人は利益を得たものの、バブル末期に売った人や最後まで売らなかった人たちは、地獄を見ることになった。

というのも富久町の地上げが活発だった1990年、異常な地上げを止めようと大蔵省が動いた結果、不動産関連の融資規制が急速に厳しくなり、コリンズグループをはじめとする不動産会社は地上げや再開発の資金を調達できなくなったのだ。

結果、地上げは中途半端な状態で止まり、肝心の再開発は実行不能に。西富久は人口の半分以上が70歳以上という限界集落と化した。かつて皇后陛下も通われた富久小学校には、新入生がゼロという年が続くようになった。

新宿に限界集落が存在するというだけでも衝撃的だが、問題はそれだけではない。残った120世帯のうち22世帯は、コリンズなどの不動産会社に土地と建物を売ったにもかかわらず、数千万から数億円もの代金が未払いのままだったのだ。

105歳まで、毎月100万円の返済

代金を受け取れず生活に支障をきたしているにもかかわらず、売買契約を交わしている以上、毎年税務署から土地譲渡税や不動産所得税の督促状が届く。ある住民は「滞納している税金の総額が2億円に上り、延滞税だけで毎月100万円を請求されている」と当時、読売新聞の記者に語っている。

また別の家族は、建てたばかりの自宅兼アパートを地上げされ、入居者に1000万円を払って退去してもらい不動産会社に引き渡した。さらに隣の空き地を2億5000万円で購入して引っ越したものの、その売却代金の一部しか受け取れないという状態に陥った。地上げした側の不動産会社は「無い袖は振れない」と突き放し、残った借金を105歳になるまで毎月100万円ずつ払い続けることになったという。

▲この地の「その後」については、各紙でも注目された(朝日新聞 2012/6/1 夕刊P11 バブルの傷痕 再開発 新宿・西富久地区 地上げから20年 安住の地)

当の地上げの主役・コリンズはといえば、約束した代金を住民に払い終えていないにもかかわらず、契約済みの土地を担保に銀行などから600億円もの融資を受け、地上げを繰り返していた。1994年には西富久を更地にして4棟のマンションを地権者と共同で建設しようと提案するという、厚顔無恥ぶりを見せつけた。

その結果、西富久は差し押さえ物件だらけとなり、再開発計画を立てようにも身動きが取れない状態に陥った。差し押さえられた土地の評価額はバブル期の価格のまま、実際の価値の6倍以上という水準で、とても採算が合わないとして誰も動こうとしなかった。

コリンズのような地上げ業者への融資などによって6兆円もの損失を出した住専問題。最終的に7000億円もの税金がこの無謀な土地転がしの穴埋めに充てられた。だが、そのニュースを耳にした西富久の町内会長は「住専の破綻は税金で救済されても、住専が引き起こした地上げの後始末は、誰もしてくれない」と報道陣に語っている。

治安が崩壊した新宿の「ゴーストタウン」

中途半端な地上げによって、西富久は虫に食われた葉のように空き地・空き家だらけの「ゴーストタウン」と化した。街の3割が駐車場、4割が空き家で、まともな住居はわずか3割あまりという惨状だった。

戦前・戦後に建てられた防災上問題のある木造家屋が建ち並ぶ下町が、7割近くも無人となればどうなるか。新宿という、良くも悪くも何でもありの街の性格上、おのずとさまざまな問題を抱えた人々が集まってくる。

無人の家やアパートにはホームレスが住み着き、少年たちはシンナーを吸う。空き家に忍び込んだ泥棒が窃盗を繰り返し、ついには西富久の由緒ある稲荷神社のお賽銭まで盗まれるようになった。飼い切れなくなった猫は捨てられ、原因不明の火災が頻発するも、道路が狭すぎて消防車が入れず消火もままならない。気づけば空き家に住み着いたホームレスは、ひっそりと息を引き取っている。

▲新建築 91巻4号 2016年2月 2016.2 20年余りをかけたまちの再生事業 西富久地区第一種市街地再開発事業 Tomihisa Cross : まちづくり研究所(基本構想・設計) 久米設計(実施設計) 戸田建設(設計協力) (集合住宅特集)より引用

▲新都市 都市計画協会 新井建也 2003.12 新宿区西富久地区市街地再開発事業--パートナーシップ・協働によるまちづくり (特集 市民参加の市街地整備)

この状況にたまりかねた住民たちは、解体できる建物は更地にして駐車場にし、それもできない建物は鉄板とパイプでバリケードを築いて封鎖した。猫の不法投棄に対しては「ここはネコ捨て場ではない!」と張り紙を貼り、神社には鍵をかけるといった対策も講じた。

しかしもともとこの街は、車の通行を前提に設計されておらず、人が歩くのがやっとという超密集地帯だ。昼間でも日光が十分に差し込まないため照明が必要なほどで、誰も管理しなくなった空き家は老朽化が進む一方。危険を感じてしまうような場所と化していた。

バブル崩壊後の西富久がいかに悲惨な状況に陥っていたか、これだけでも十分に伝わるだろう。日本を代表する地上げの惨状としてテレビでも繰り返し報道され、悪い意味で広く知られることになった。

その惨状は今も語り継がれており、現内閣の片山さつき財務大臣がバブル崩壊後の平成不況における悲惨な事例として国会で取り上げたほどだ。

日本初!住民主体の再開発

西富久での激しい地上げは1988年から1991年にかけて行われた。しかし当時の不動産会社の営業マンたちは儲け話を並べるばかりで、具体的な再開発の説明は一切できなかった。

このとき地上げ交渉に応じなかった住民たちは、こうした状況から「西富久の再開発はうまくいかないだろう」と見切り、バブルがまだ崩壊していない1990年7月から、自分たちで荒廃した街の再開発を考える勉強会「地権者を守る会」を立ち上げていた。これが、日本初となる住民主体の再開発の原点だ。

▲早稲田大学が最初に考えた再開発案/新建築 91巻4号 2016年2月 2016.2 20年余りをかけたまちの再生事業 西富久地区第一種市街地再開発事業 Tomihisa Cross : まちづくり研究所(基本構想・設計) 久米設計(実施設計) 戸田建設(設計協力) (集合住宅特集)

しかし、その道のりは険しかった。

勉強会のメンバーは新宿区役所、東京都庁、国の機関はもちろん、多くの地上げ業者に融資していた日本債券信用銀行(日債銀)、さらに多額の借金を抱えた地主のために整理回収機構といった不良債権を回収する組織にも相談に足を運んだ。

しかし西富久の惨状は誰もが知る魔境だ。町内会長が思いつく限りの窓口を訪ね歩いても、待っていたのは「自由経済のツケを行政に持ち込むな」という門前払いや、なんと銀行員がお茶をぶちまけようとするという暴力行為だった。穏やかに対応してくれる場合でも「バブル期の揉め事は自分たちで解決しなさい」という言葉が返ってくるだけだった。

それでも彼らは諦めなかった。そしてその粘りが、ついに実を結ぶ。毎年のようにテレビで取り上げられ有名になっていた西富久のゴーストタウンに、意外な組織が助け船を出したのだ。

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【つづきを読む】新宿の超一等地にある空中住宅街「富久クロス」はなぜ生まれた?「日本最悪のバブル遺産」が生んだ奇跡の再開発

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