【山川 清弘】東京海上はじつは「三菱グループ」だった…「外様」から「損保の王」になった企業の意外すぎるバックグラウンド
東京海上日動火災保険などを傘下に置く、損保業界最大手の東京海上ホールディングス。じつは、「三菱グループ」だということはご存じだろうか? にもかかわらず、社名に「三菱」を冠していないのはなぜなのか……。『教養としての三菱・三井・住友』の著者、山川清弘氏が、その理由を解説する。
「三菱〇〇」でない三菱グループ企業
三菱グループの主要企業でありながら、社名に「三菱」の付いていない企業がいくつかあります。そういった企業も「三菱グループだ」と認識するのも、教養の一つでしょう。AGCや日本郵船、キリンビールなど、言われなければわからない人も多いかもしれません。
東京海上ホールディングスもそうした「三菱〇〇」でない三菱グループ企業の一つです。
東京海上ホールディングスが三菱グループでありながら社名に「三菱」を冠していないのは、同社の長い歴史と戦時中の合併の経緯に理由があります。
同社の前身は1879年に創業した「東京海上保険会社」であり、これは三菱の源流企業と比べても遜色ない、あるいはそれ以上に古い歴史を持っています。
設立当初から岩崎弥太郎が株主に名を連ねるなど三菱との関係は深かったものの、もともとは「東京海上」という独立したブランドでした。
これは明治時代、日本政府や海運業者が貨物保険の仕組みを十分に整備していなかった時代に、「自社の船は自社で守る」という発想から生まれました。
誕生の経緯から「三菱」は名乗らない
転機となったのは第二次世界大戦中の1944年です。戦時中、政府主導の統合政策の一環で、三菱系の「三菱海上保険」と「明治火災保険」を、非三菱系の「東京海上保険」が吸収合併する形となりました。
この3社の合併として代表になったのが「東京海上保険」であったため、社名に「三菱」が冠されることはありませんでした。
この経緯から、同社は一時期、グループ内で「外様」と見なされることもありましたが、その実力で業界の王として確固たる地位を築き、三菱グループの金融部門を支える存在へと成長したのです。
2004年には「東京海上日動火災保険」が発足し、その持株会社として東京海上ホールディングスが誕生しました。
この統合は、他の損保が銀行グループとの提携に依存する中、「銀行に頼らない独自の論理」で規模拡大を追求する、異色の戦略として注目されました。
新たな提案をし続けるのが「王者」の理由
東京・丸の内にある「東京海上日動ビル」に本社を置くのが、三菱グループの中でも“最古の金融機関”と称される東京海上ホールディングスです。
三菱グループ内では、同社を「三菱の損保」として、系列企業の保険引き受けや、リスクマネジメントで中心的な役割を担っています。
現在、同社は業界で唯一全自動車メーカーと取引があり、財務力にも定評があります。また、独自の商品開発にも積極的で、包括的なリスクをカバーする「超保険」やドラレコ付帯の自動車保険なども発売しています。
それ以外にも、ユニークな保険商品を次々と提案。2025年には、相次ぐクマ被害に対応できる“クマ保険”もリリース。クマ出没によって損害を被る観光業向けの初の保険となりました。
新たな商品の提案にも余念がない、王座を守り続ける姿を今も見せてくれています。
・本社所在地:東京都千代田区
・従業員数:51,436人
・時価総額:115,073億円
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