ジェーン・スー 半世紀以上を生き、たいていのことには対応できると思っていた。まさか、昼食に入った蕎麦屋で狼狽えることになるとは…
ジェーン・スーさんが『婦人公論』に連載中のエッセイを配信。今回は「正しい食べ方」。ある日、昼食をとろうと蕎麦屋に入ったスーさん。いつも食べる鴨せいろではなく、気になった冷やしとろろ蕎麦を注文したところ――。
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冷やしとろろ蕎麦
半世紀以上生きてきた。這うことを覚え、二本の足で立ち、自我が芽生えてからは、真面目に学生をやった。友情を育み、大恋愛も大失恋もした。親もひとり看取ったし、たいていのことには対応できると思っていた。しかし、私は間違っていたのだ。
先日、ひとりで遅めの昼食をとろうと蕎麦屋に入った。たいていどこでも鴨せいろを頼むのだが、その日は冷やしとろろ蕎麦が気になって注文した。アルバイトと思しき女性店員から「卵はつけますか?」と聞かれたので、お願いしますと答えた。
ややあって、四角い盆にのった冷やしとろろのつゆと、ザルに盛られた蕎麦が私の眼前に配された。ツヤツヤのとろろは椀の縁ギリギリまでたっぷり入っている。蕎麦が足りるか不安になるほどだった。美味しそう。
さあ、いただきます。箸を割り、とろろが入った椀に生卵を落とし、ザルに盛られた蕎麦を箸でとらえ、つゆにつけて手繰ったところでフリーズした。見れば、椀とは別に薬味皿ののった蕎麦猪口がある。中は空。その隣にはつゆが入った蕎麦徳利があった。えっと、これどうやって食べるんだっけ。
過去、冷やしとろろ蕎麦を食べたことは間違いなくある。では、なぜ私は戸惑っているのか。咄嗟のことで頭が混乱し、しかしそれを誰にも悟られたくなくて、なに食わぬ顔で空の蕎麦猪口にとろろなしのつゆを入れて蕎麦を食べた。いやこれ、普通にもり蕎麦だし。
正しい食べ方
とろろの入ったつゆにも味はついている。しかし、冷静に考えると粘度が高すぎる気がする。とろろ椀からつゆの入った蕎麦猪口に少し移して食べるのが正解かもしれない。
またしても平静を装い、椀をそっと傾けて蕎麦猪口に少しとろろを入れる。いや、おかしい。これが正解なら、とろろを蕎麦猪口に移すためのレンゲかなにかが付いているはずだ。そもそも冷やし蕎麦カルチャーにレンゲはおかしい。しまった、大きく間違えた。
ならば、とろろ椀のほうに蕎麦徳利からつゆを足すのが正解か。三度目の正直とばかり、蕎麦徳利からとろろ椀につゆを足す。あっという間に椀からとろろが溢れ出しそうになり、今度は蕎麦をつける隙がなくなった。また間違えた。二度あることは三度ある。
試行錯誤を重ねるうち、とろろ椀と蕎麦猪口の中身はほとんど同じものになった。おっかなびっくり蕎麦をつゆに浸していたせいで、案の定蕎麦が足りなくなる。もう破れかぶれだ。すみません、ざる一枚追加で。
ふてぶてしいので、味わうことは忘れなかった。これが半世紀生きた人間の強さである。
店を出るや否や、「冷やしとろろ蕎麦 食べ方」とスマホで検索する。ヤフー!知恵袋が上位に出てきて、「とろろせいろ(ソバ)の冷たいヤツの正しい食べ方はどういうものでしょう?」とあった。よかった、私だけではなかった。曰く、とろろの入った椀につゆを少しずつ入れてかき混ぜて、蕎麦をつけて食べるものらしい。
画像検索もしてみた。過去に私が食べたものは、丼に盛られた冷たい蕎麦の上に最初からとろろと生卵がかかったものだとわかった。道理で戸惑わなかったわけだ。
恥は掻いたが、もう間違えはしない。人は成功からではなく、失敗から立ち直ったときに成長するのだ。冷やしとろろ蕎麦、どんとこい!
