安達結希くん

写真拡大

長時間ひたすら繰り返し放送

 京都府南丹市で行方不明になった小学生男児が遺体となって見つかった事件は、4月16日に父親が死体遺棄容疑で逮捕されるという衝撃的な展開を迎えた。テレビ各局のニュース番組やワイドショーは、多くの時間を割いてこの事件を連日取り上げている。【ラリー遠田/お笑い評論家】

 ***

【実際の写真】“取材禁止”の張り紙が…「結希くんの義父」が住む「日本家屋」

 最近では、逮捕された父親の供述内容が新情報として次々に報じられている。もちろん、世間の注目度が高いこの事件に関して、マスコミが取り上げること自体に問題はない。

 しかし、事件そのものの概要はすでに明らかになっていて、これから大きな動きがあるとは考えづらい。それでも、いまだにテレビ各局が似たような内容を長時間ひたすら繰り返し放送し続けている。これは、ただ数字を取るためだけに視聴者を煽っているだけで、報道機関としての使命を果たしているとは言えないのではないか。

安達結希くん

 テレビの中からもそのような声が出ている。4月17日放送の「大下容子ワイド!スクランブル」(テレビ朝日系)で、脳科学者の中野信子が「このニュースをお届けする側に立っているものが言うべきではないかもしれないが」と前置きした上で「見ている方はこのニュースを見て得られるメリットって何かしらと思ってしまう」と語った。

 さらに「いつどこで亡くなったか興味があるかもしれないが、わかったところで何なのよ、と思う」「野次馬根性を満足させるためだけのニュースならどうかと思う」などと、この事件に関する報道のあり方について出演者の立場から苦言を呈したことが話題になっていた。

 また、テレビプロデューサーのデーブ・スペクターも自身のXで「いつまでも被害者の写真を載せるべきではない。そして、ほかに伝えるべき重要なニュースはたくさんある。現場からは以上です」とポストしていた。

 この事件がテレビでこれほど長時間、執拗に報じられるのには理由がある。子供が被害者であること、行方不明から遺体発見、そして父親の逮捕へと事態が急転したことなど、テレビが好む条件が揃っているからだ。事件報道においてテレビが最も得意とするのは、複雑な事件の構造を読み解くことではなく、強い情動を喚起する素材を繰り返し見せて視聴者を釘付けにすることだ。

倫理的な問題

 今回も、遺棄現場、家族関係、供述内容、近隣住民の声、専門家の分析といった要素が、何本もの小さな断片に分解され、長時間編成の隙間を埋める素材として消費されてきた。そこでは事件の社会的背景や児童保護などの制度的課題よりも、事件をサスペンスドラマのように扱う俗っぽい興味の方が前面に出ているように見える。

 遺体遺棄現場の映像や被害者の顔写真などは、見る人にとって心に傷を残すことになる可能性もあるものであり、慎重な扱いが求められる。それらを何度も繰り返し流すことには倫理的な問題がある。しかし、テレビ各局のこの事件についての報道を見ている限りでは、その点についての配慮はほとんど感じられなかった。

 今回あらわになったのは、テレビというメディアの弱点でもある。テレビは本来、社会の空気を可視化し、複数の論点を一度に取り上げながら公共的な議論を組み立てる力を持つ媒体である。

 ワイドショー的な情報番組は、視聴者の不安や怒りや好奇心をかき立てる技術には長けていても、距離を取ってじっくり考えさせることはできていない。たしかに視聴者の側にも、痛ましい事件を前にして「もっと知りたい」と感じてしまう下世話な欲望はある。だが、そこに単純に応えているだけなら、それはもはや報道ではなく、人々に刺激を供給しているだけだ。

 被害者が子供である今回のような事件では、報道そのものが遺族や地域社会にダメージを与えることにもなりやすい。政治・経済のニュースや芸能スキャンダルなどとは別の意味で報道する側に格別の慎重さや繊細さが求められる。にもかかわらず、各局がほぼ同じ構図、同じ論点、同じ温度感で横並びに報じているのは、思考停止に陥っていると言われても仕方がない。

 結局、この事件報道が映し出しているのは、1つの凄惨な事件の異様さだけではない。事件が起きたとき、テレビがいかに簡単に考えることをやめて、既存の型に逃げ込んでしまうかということだ。テレビがこの事件から学ぶべきなのは、何をどこまで伝えるかではなく、何を伝えない勇気を持つべきかということなのだ。

ラリー遠田(らりー・とおだ)
1979年、愛知県名古屋市生まれ。東京大学文学部卒業。テレビ番組制作会社勤務を経て、作家・ライター、お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など多岐にわたる活動を行っている。お笑いムック『コメ旬』(キネマ旬報社)の編集長を務めた。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり 〈ポスト平成〉のテレビバラエティ論』(イースト新書)、『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)、『松本人志とお笑いとテレビ』(中公新書ラクレ)など著書多数。

デイリー新潮編集部