『遠い声、遠い部屋』/トルーマン・カポーティ・著/村上春樹・訳

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【書評】『遠い声、遠い部屋』/トルーマン・カポーティ・著/村上春樹・訳/新潮文庫/935円

【評者】東山彰良(作家)

 母親を亡くした十三歳の少年が、生き別れの父親と暮らすために、縁もゆかりもない町へとやってくる。アメリカ南部の、ほとんど陸の孤島とも言える寂れた町だ。長旅の末に主人公のジョエルが目的の屋敷へたどり着いてみれば、当の父親はさっぱり姿を見せず、かわりに父親の再婚相手とその従弟との奇妙な共同生活がはじまる。

 やや難解な作品かもしれない。少なくとも一読しただけで、すべてがすんなりと腑に落ちることはない。ひとつには幻想的な描写が横溢しているため、そしていまひとつにはこの素敵な邦題のためかもしれない。原題の"OTHER VOICES, OTHER ROOMS"を直訳すれば「別の声、別の部屋」となる。そして、この原題であれば、物語のなかにいくつかの手掛かりを見出すことはさほど困難ではない。「別の声、別の部屋」が象徴しているのは、おそらく空間的・精神的な別の場所だ。ここではない、理想の場所。ジョエルをはじめとして、この物語の登場人物たちはみんなそんな場所を夢見ている。もしくは、逆説的に今いる場所に囚われている。

 本作を自己探求の物語として読むのはきっと正しい。理想の父性、男らしさ、性自認を揺さぶられながら、ジョエルは自らのアイデンティティを見出していく。でも、それだけなのだろうか? 物語の後半で、ジョエルは蛇に襲われる。彼が実際に咬まれたという描写はないけれど、じつはこのとき致命傷を負っていたと読むほうが、個人的にはのちの展開が納得できた(いや、それでも疑問はたっぷり残るのだけれど)。自己探求の行き着く先がパラダイスだとはかぎらない。今いる場所とは完全に異なる究極の別の場所、それはおそらく死だ。死以外はどこも今いる場所と地続きなのだという作者の冷徹な眼差しが、最後の一文をこんなにもまばゆく輝かせる。

※週刊ポスト2026年5月1日号