上皇ご夫妻との「すれ違い」、人格否定発言…天皇ご夫妻が「平成に大バッシング」を乗り越えるまで
平成の30年間、天皇夫妻(現在の上皇夫妻)と皇太子夫妻(現在の天皇夫妻)の間には、確執が続いていた。菊のカーテンを1枚めくった内側では、ありふれた家庭問題が繰り広げられていたのだ。
『平成の終焉』など天皇研究の著書が多数ある政治思想史研究者の原武史氏、『「平成の天皇家」と「令和の天皇家」』が5刷と大ヒットしている共同通信社の大木賢一氏の対談をお送りする。
平成と令和の皇室を知り尽くした2人が、前編記事『上皇ご夫妻にも「ウラの顔」がある…天皇ご夫妻と比べてわかった「決定的な違い」』に引き続き、その内幕を語り合った。
原武史(写真左)/1962年、東京都生まれ。明治学院大学名誉教授。1987年から日経新聞に所属し、昭和天皇の最晩年を取材。近著に『日本政治思想史』がある
大木賢一(写真右)/1967年、東京都生まれ。共同通信社メディアセンターデジタル編成部編集委員。1990年に同社に入社し、社会部宮内庁担当などを務めた
「人格否定発言」を招いた両家の対立
原:上皇夫妻は日本全国を回ることにこだわり、47都道府県を少なくとも3回以上訪問しています。過去に宮内庁が公開した写真には、日本地図上で行った先にピンを立てている姿も写っていました。
2016年に平成の天皇が発した「象徴としてのお務めについてのおことば」(以下、「おことば」)にも、「市井の人々」という言葉がありましたが、これは全国を回って間近で接した国民一人一人の顔をイメージして使っているはず。並大抵の政治家では太刀打ちできないほど国土の隅々まで回り、数多くの国民と触れ合ってきたからこそ、そのような自意識が芽生えたのでしょう。
大木:令和の天皇からは、「自分は国家そのものである」などという考え方はまるで感じられません。「個」、すなわち「その人個人の自然なあり方」を大事にしていると思われます。大きな意味でのこうした路線の違いが、2004年の記者会見で皇太子が述べた「人格否定発言」など、両家の対立につながったのではないでしょうか。
原:1960年生まれの現天皇は私と同世代で、ほぼ同じ時代を生きてきました。高度成長期には核家族化が進み、夫は外で稼ぎ専業主婦の妻が家事育児に専念していた。それゆえ当時の人々は、皇太子妃時代の上皇后を理想形だと見ていたわけです。外務省のキャリア官僚として自分で稼いできた皇后とは、そもそもライフスタイルからしてまったく異なっています。
大木:画一的なモデルを求める時代は終わり、個性を尊重する世の中になってきました。そうなると現天皇夫妻のように、個人の人間性や生きてきた軌跡を大事にする考え方が国民に受け入れられるようになってきた。現天皇夫妻は平成の時代、大きなバッシングを受けましたが、こうした変化があったからこそ、評価の逆転が起きたのでしょう。
原:大木さんは、国家を体現した平成の天皇を「公」として位置づけていますが、明治天皇はもっと徹底していました。なにせ在位中に私的な理由で公務を休んだことはほとんどなく、御用邸に一度も行きませんでしたから。
大木:上皇夫妻の場合、「公」というより「外面」と言ったほうが、より本質に近いかもしれません。
敗戦によって、明治から昭和までの強い天皇像は失われました。そこで平成の天皇は、「慈愛あふれる人徳に優れた人」として自身を演出することで、新時代の天皇として国民の支持を勝ち得たのだと思います。
スーツに着替えて「皇后化」した天皇
原:私に言わせれば、それは「天皇の皇后化」です。戦前の天皇は大元帥として陸海軍を統帥し、陸軍の大演習にも出向きました。対する皇后は、ハンセン病患者などの社会的弱者を手厚く保護したり、傷病兵が収容された病院を慰問したりしました。
しかし戦争に負けて、天皇が軍服から背広に着替えると、戦災孤児の施設を慰問したり、皇后と一緒に社会事業施設を訪れたりするようになります。戦前の軍事的な天皇像は否定され、戦後の象徴天皇制が確立されていきました。
大木:天皇にも皇后のような慈愛が求められたと考えれば、実は平成の皇后が「平成流」をプロデュースしたという先ほどの話も、ますます納得がいきますね。
原:そんな象徴天皇の役割について、平成の天皇夫妻は皇太子(妃)時代から60年にわたって、ずっと考え続けてきました。その点においては、誰も2人に敵いません。その結論が端的に表れているのが先ほども出た「おことば」で、天皇の大きな役割として、宮中祭祀と全国各地を巡る行幸啓を挙げています。
大木:「おことば」は、「その役割を果たせなくなったから退位したい」というメッセージでもありました。自ら天皇の仕事を定義づけて、「それができなければ天皇失格」と言ったも同然です。
言うなれば上皇夫妻は「象徴天皇」という家業の実質的な創業者ですが、2代目である現天皇夫妻に引き継ぐにあたって、仕事の中身を細かく決めてしまったようなもの。天皇夫妻は一応それに従ってはいますが、言葉や行動を調べていくと、平成流との違いも少しずつ出ているように思います。冒頭の被災地訪問もそうですね。
原:そもそも平成の天皇夫妻のように、全都道府県を最低3回ずつ、北海道や沖縄などに至っては10回以上も訪れるなんて、常人にはできるはずもありません。しかしこの2人にとっては、こうした度重なる行幸啓こそが象徴として欠かせない務めの一つだったわけです。
本来それは主権者たる国民が考えるべきですが、現天皇夫妻には平成の天皇夫妻とは異なる「象徴」観があるはずです。それを国民にもわかる形で示してほしいですね。
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「週刊現代」2026年3月2日号より
