前伊東市長・田久保眞紀被告と弁護士

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 警察が“ニセ卒業証書”を押収して、白日のもとに晒せば手っ取り早いのにまどろっこしい――。前伊東市長・田久保眞紀被告の捜査を見て、そう感じた人は多いのではないか。これから始まる裁判のポイントを、元テレビ朝日法務部長の西脇亨輔弁護士が解説する。

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カルロス・ゴーン事件の判決

「偽造文書なしで、文書偽造の罪を問う」――。

 前伊東市長・田久保真紀被告の裁判は、異例の展開になろうとしている。検察側は3月30日、「卒業証書」と称された文書についての有印私文書偽造・行使罪、および一連の問題について市議会で虚偽の陳述をした地方自治法違反の疑いで、田久保被告を起訴した。

前伊東市長・田久保眞紀被告と弁護士

 だが、肝心の「卒業証書」は田久保被告側の弁護士が提出を拒んだままだ。ここで二つの疑問が浮かぶ。一つは、田久保被告の弁護士はこのまま卒業証書を出さずにおくことが許されるのか。もう一つは、検察側は「卒業証書」の現物なしで田久保被告の有罪立証ができるのか、という点である。

 このうち、弁護士による「卒業証書」の提出拒否については、刑事訴訟法が定める「押収拒絶権」が根拠とされている。これは医師や弁護士などが顧客から業務上預かった「秘密」について、捜査機関による押収を拒否できる権利であり、秘密を扱う職業への信頼を守るための規定とされている。

 自らの卒業を公に証明する書類である卒業証書を「秘密」といえるのかは議論がありそうだが、田久保被告側の弁護士は、ある判例を挙げて提出拒否が可能だと主張している。日産自動車前会長、カルロス・ゴーン事件の判決である。

証拠隠滅が罰せられるのは「他人の事件」についてだけ

 ゴーン氏が金融商品取引法違反などの裁判中に海外へ逃亡した際、東京地検はゴーン氏側弁護士の事務所を捜索して資料を押収した。これに対し弁護士側は「押収拒絶権の侵害だ」として裁判を起こした。

 判決の結論は「押収は違法」。判決は、依頼人が弁護士に「委託の趣旨において秘密」として預けた物については押収を拒めるとした上で、秘密かどうかの判断は「第一次的には弁護士に委ねられる」と判断した。

 つまり、依頼人から「秘密にしておいてほしい」と託された物は、弁護士がまず自らの判断で押収を拒否できるという考え方を示したのである。ここで当然、「それでは被告人は弁護士を使って証拠を隠せることになるのではないか」という疑問が生じる。この点は、「刑事事件の証拠隠しがどのような場合に罰せられるか」という問題と深く関わる。

 実は、日本の証拠隠滅罪は次のように定められている。

〈他人の刑事事件に関する証拠を隠滅し、偽造し、若しくは変造し、又は偽造若しくは変造の証拠を使用した者は、三年以下の拘禁刑又は三十万円以下の罰金に処する〉

 そう、日本で証拠隠滅が罰せられるのは「他人の事件」についてだけなのである。被告人が「自分の事件」の証拠を自ら隠しても罪にはならない。「自分に不利な証拠を隠そうとするのは自然な人情だから、これを罰することはできない」という考え方が背景にある。

 そして、被告人が自分の事件の証拠を隠しても合法なのだから、弁護士に証拠を預けることで捜査機関の手の届かない場所に置くことも一定程度認められる――これが押収拒絶権の背景にある考え方だ。田久保被告側の弁護士も、この理屈に基づいて卒業証書の提出を拒否しているのだろう。

「卒業証書」の現物なしでも立証可能

 では、「弁護士に預けさえすれば何でも捜査機関の手が届かなくなるのか」。この点にはなお議論の余地があるため、実際に捜査機関が田久保被告の卒業証書を押収した場合、それが違法となるかは断言できない。

 だからこそ今回、検察側はこの論争を避ける意味も込めて、「偽造文書なしで文書偽造の罪を問う」という戦略を選んだのだろう。では、このまま卒業証書は出てこないまま裁判は終わるのか。

 実は、裁判の進行上必要であれば、裁判所が自ら卒業証書を差し押さえたり、田久保被告側に提出を命じたりすることも可能だ。もっとも、その場合でも弁護側は「押収拒絶権」を主張できる。争いを覚悟してまで裁判所が提出命令を出すかは、今後の審理の展開次第だろう。

 では二つ目の疑問、検察側は「卒業証書」の現物なしで有罪を立証できるのか。答えはイエスだ。ただし、慎重な証拠の積み重ねが必要となる。

 直接証拠ではなく「間接証拠」で犯罪を立証すること自体は珍しくない。検察側は、田久保氏が東洋大学を卒業しておらず、取得単位数からして卒業したと勘違いする余地も乏しいこと、さらに学長名などが入った印鑑をネットで発注していたことなどの事情を丁寧に積み上げていくことになるだろう。

弁護側が有利と考えれば「卒業証書」を出す展開も

 ただし今回の事件には特殊な点が一つある。それは、直接証拠が弁護士事務所の金庫にあるらしいという点だ。通常、間接証拠による立証は、凶器が捨てられるなど「直接証拠がもはや存在しない事件」で用いられる。だが本件では、直接証拠となりうる卒業証書の実物は、捜査機関の手元にはないものの、弁護側には存在している可能性が高い。

 となれば、弁護側はこんな戦略も取りうる。まず検察側に間接証拠をできるだけ出させる。そのうえで、弁護側が握る「卒業証書」と照らし合わせ、検察側の主張に現物と食い違う点がないかを探る。そして、検察側の主張を崩せると判断した場合に限って、弁護側から卒業証書の実物を証拠提出し、不備を突く――という流れだ。

 逆に有利な展開にならないなら、卒業証書は金庫に入れたままにしておく。その場合、現物を見ていない検察側は、暗闇の中を手探りするような立証を迫られる場面もありうる。
 もっとも、日本の刑事裁判では、直接証拠がなくても「常識に照らして合理的な疑問が残らない程度」の立証ができれば有罪認定は可能だ。

 検察側がこの立証を「卒業証書なし」でやり切れるのか。異例の裁判の行方を、予断を持たず注視したい。

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西脇亨輔(にしわき・きょうすけ)
1970年10月5日、千葉・八千代市生まれ。東京大法学部在学中の92年に司法試験合格。司法修習を終えた後、95年4月にアナウンサーとしてテレビ朝日に入社。『ニュースステーション』『やじうま』『ワイドスクランブル』などの番組を担当した後、2007年に法務部へ異動。弁護士登録をし、社内問題解決などを担当。社外の刑事事件も担当し、詐欺罪、強制わいせつ罪、覚せい剤取締法違反の事件で弁護した被告を無罪に導いている。23年3月、国際政治学者の三浦瑠麗氏を提訴した名誉毀損裁判で勝訴確定。6月、『孤闘 三浦瑠麗裁判1345日』(幻冬舎刊)を上梓。7月、法務部長に昇進するも「木原事件」の取材を進めることも踏まえ、11月にテレビ朝日を自主退職。同月、西脇亨輔法律事務所を設立。

デイリー新潮編集部