天皇ご一家

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 2月23日、天皇陛下は66回目のお誕生日を迎えられた。その歩まれた道のりの中で、最も苦難の時期と言えば、2004年、いわゆる「人格否定発言」を世に問われた1年であっただろう。陛下(当時は皇太子殿下)はこの危機にいかに立ち向かわれ、いかに乗り越えられたのか。当時の「週刊新潮」の記事を引きながら振り返った。殿下がなぜ追い詰められていったのかを記した【前編】に続き、【後編】では、その後のさらなる苦難と克服の過程を追う。進退窮まる中、殿下が美智子さまの手を握られ、涙を見せられながら、伝えたお言葉とは――。
【前後編の後編】

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【写真】スーツをビシッときめて…。2年間の英国留学を終え、帰国した際の雅子さま(1990年、成田空港)

封印されてきた出来事

 2004年、雅子さまの心身の状態が悪化し、一時ご別居、そして「私、皇太子妃辞めます」発言も出るなど、追い詰められていった陛下(当時は皇太子殿下)。その苦悩がよくわかるエピソードを、「週刊新潮」2005年5月5・12日号は伝えている(執筆は皇室ジャーナリスト・堀口静香氏)。事件が起きたのは、「人格否定発言」の直前の2004年4月下旬、第15回全国「みどりの愛護」つどい式典に臨まれる数日前のことだった。

天皇ご一家

「週刊新潮」を引くと、

〈式典に出発する数日前、殿下(現・天皇陛下)は、皇居内の御所の一室で天皇皇后(現・上皇上皇后)両陛下、紀宮殿下(現・黒田清子さん)とともに食卓を囲んでいた。アフター・ディナーの時、天皇陛下は御所のベランダに立った。雰囲気を察したのか紀宮殿下も続いてベランダに立つと、皇太子殿下は皇后陛下と話し始めた。が、そのうち、皇后陛下の手を握りしめ、涙を流した。

 話の内容はその5カ月ほど前から公務を休み、静養に入っていた雅子妃殿下(現・皇后陛下)のことだったのは間違いない、と宮内庁関係者は語る。

「この話はオクではこれまで封印されてきたんです」

 40歳代の分別のある、そして将来天皇になる皇太子殿下が、母親の手を握り、泣きながら、妻のことを訴える衝撃的な光景だけに、見聞きした人たちはこれまで口をつぐんできたというのだ〉

心身ともに最も苦しんだ時期

 その前年の年末から、雅子さまはご公務への出席を取りやめられていた。お住まいの赤坂御所を出られ、幼い愛子さまと一緒にご実家・小和田家の軽井沢にある別荘で静養された。殿下が御所で涙を見せられた夜は、雅子さまご帰京の直前だったという。

 再び「週刊新潮」を引く。

〈その間(雅子さまが軽井沢にご滞在している間)、皇太子殿下は、東宮御所から電話で直接妃殿下に、スペイン、デンマークの皇太子の結婚式出席を兼ねて、欧州への旅行に同行できないかを探っていたのだ。しかし、妃殿下の気持ちは二転三転する。病気の原因もハッキリしない。「皇太子殿下が心身ともに最も苦しんだ時期だった」(宮内庁関係者)。その約2週間後に、スペイン、デンマーク、ポルトガル3カ国を単身訪問することになった皇太子殿下が、出発前の5月10日に行った記者会見で、問題の「人格否定発言」が飛び出したのだ〉

 ご発言後の展開は【前編】に詳しい。宮内庁は雅子さまのご病気を「適応障害」と発表。療養生活は依然続いた。一方で、11月には秋篠宮殿下、12月には天皇陛下(現・上皇陛下)がお誕生日会見で、ご発言について苦言を呈されたこともあり、世間の目は厳しくなっていったのである。

「ご退位なさいませ」

 まさに激動の年となった2004年だが、その年が明けても、殿下の苦悩は長く続いた。雅子さまの療養が継続したのに加え、2008年に小学校に入学された愛子さまが一時、不登校になられたこともあった。この問題に心を砕かれた殿下には「ご家庭優先」「公より私が重要なのか」との批判が相次いだ。メディアに「皇太子殿下、ご退位なさいませ」「秋篠宮が天皇になる日」などの記事が出たこともあったほど、まさに平成皇室は危機にあったのだ。

 ところが、それを解決したのも、やはり「ご家庭」であった。雅子さまのご病状は、その後、徐々に、ではあるが、次第に上向きになり、愛子さまもご成長に連れ、学校生活でのトラブルがなくなっていった。天皇家のお三方の仲睦まじいお振る舞いが話題になることも多くなった。

 そして2017年末に秋篠宮家で長女・眞子さんと小室圭さんの結婚に関わるトラブルが発生し、長期化。そうした影響もあってか、天皇陛下が2019年に即位され、令和の世が始まると、世間の評価は逆転するようになった。今ではメディアが「女性天皇」についてのアンケートを取ると、時に9割以上が賛成との結果が出ることもある。愛子さま及び天皇家への敬愛の度合いが高まっていることが窺えるのだ。

理想の家族

 こうした変化はなぜ起きたのか。「週刊新潮」2021年12月23日号で、さる識者はこう分析している。

「天皇陛下は、皇太子時代、どれだけバッシングされても、雅子さまを支え続け、守ってこられたように映ります。“ご家庭ばかり”と批判されることもありましたが、妻子をひたすら守られるその姿勢を“理想的な父親像”と感じてきた人もいるはずです。今の天皇家は、国民の多くにとってとても仲睦まじい“理想の家族”に見えている。戦後の象徴天皇制では、国民は皇室に模範的な家族、家族の規範を見たいという思いを抱いてきた。そして、そのお姿を拝見することで“国民統合の象徴”という皇室の在り方を実感するのではないでしょうか。その意味では、現天皇家はお役目をきちんと果たされているのだと思います」

 苦難を乗り越えられたかに見える天皇陛下。

 雅子さまは8年前に銀婚式を迎えられた際、文書の中でこう述べられている。

「皇太子殿下には、いつも傍らで私を支えて下さいましたことに感謝の気持ちで一杯でございます」

「私が体調を崩しましてからも、皇太子殿下には、いつも優しく、細やかなお心遣いをいただきながら、お助けいただいてきていることに心から感謝申し上げたいと思います。私も、これまで殿下のお立場やお考えをお量りしつつ、殿下のお力になれますようにと願ってまいりましたが、今後とも、殿下が大切なお務めをつつがなく果たしていかれることがおできになりますように、少しでも殿下のお役に立てますよう努めてまいりたいと存じます」

 この1年は陛下にとって、どんな1年になるだろうか。

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【前編】では、「週刊新潮」の記事を引きながら、殿下がなぜ追い詰められていったのかを記している。心身の症状が悪化した雅子さまが東宮大夫に発せられた、驚きのお言葉とは。

デイリー新潮編集部