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「代打の神様」が語る野球最前線

今シーズンまで、北海道日本ハムファイターズの一軍打撃コーチを務めた八木裕さん(60)が、RSKのラジオ番組「春川正明の朝から真剣勝負」(毎週火曜日 あさ6時30分~7時放送)に出演し、現代野球のデータ活用や、戦略的進化について語りました。

▶【画像を見る】還暦を迎えた笑顔の八木裕さん(60)そして14歳の「八木投手」ピッチング画像!

八木さんは岡山県玉野市出身で、岡山東商ー三菱自動車水島を経て、1986年にドラフト3位で「阪神」に入団。阪神時代に「代打の神様」として活躍しました【画像①】。

番組では、現役時代を振り返るとともに、2022年から3年間のファイターズでのコーチ経験を通じて見た「野球界の最前線」を明かしました。

【第2話】「代打の神様」八木裕が見た「監督・新庄剛志」とは
【第3話】「こんなに練習しなくていいんだ」現代野球に驚愕
【第4話】 バット直撃で脳に出血も「割り算ってどうやるんだったかな」

「代打の神様」のきっかけはあの監督 そして名付けたのは?

八木さんは現役時代【画像②】、阪神タイガースで「代打の神様」と呼ばれ親しまれたが、当初はレギュラー選手でした。しかしレギュラーだったのは約5年ぐらい。ほとんどが「怪我との戦いだった」と振り返ります。

そこで、吉田義男監督時代に『代打』としての新しい道を見出された八木さん。「下手をすると、レギュラーの時よりも若干やりがいがあった」と当時を振り返りました。

(八木 裕さん)
「吉田監督は、もう勝負どころしか出さない。勝つか負けるかの時にしか出さないんですよ。極端な話、4番で『代打』、、、そんなことあります?」

「そこまで輝かせてくれた吉田監督、『代打の神様』と名付けてくれた新聞記者の方に感謝しています」

“代打の神様” 転機となった打席「めちゃくちゃプレッシャーだった」

代打としての自信がついたのは、和田豊選手(現在は阪神のヘッドコーチ)の代打として起用された時だと言います。

(八木裕さん)
「僕が、和田さんの代打で行ったんですよ。和田さんの代打。ありえないでしょ?」

「僕、和田さんに結構お世話になっていて、若い頃からよく食事も行かせてもらって、お世話になっていて、すごく仲良くしてもらってたんですよ」

「ある時、和田さんがちょっとだけ調子悪くて、そこで、『おい、八木行くぞ』って言って、和田さんがネクストから帰ってくる時にすれ違うわけですよ」

「めちゃくちゃプレッシャーかかって、結局その人の打席を奪うわけです。奪って僕は行くわけですよ。結果出さなきゃいけないわけじゃないですか。それ、すごいプレッシャーなんですよ」

「そこで『腹をくくって行くしかない』と思って、結果が良かったんですよ。それで自信がついたんです。代打でやっていけると」

そんな八木さんが、阪神時代にチームメートとしてともにプレーした新庄剛志選手。2004年の現役引退後、阪神コーチ・解説者などを経て、2023年に再び共闘することになったのです。

【第2話】「代打の神様」八木裕が見た「監督・新庄剛志」とは
【第3話】「こんなに練習しなくていいんだ」現代野球に驚愕
【第4話】 バット直撃で脳に出血も「割り算ってどうやるんだったかな」
に続く

【画像⑤】は、還暦を迎えた八木裕さん(中央)、聞き手のジャーナリスト・春川正明さん(右)RSK山陽放送・福田雅アナウンサー

【おまけ】超貴重!八木裕投手(14)のピッチング連続写真

【画像⑥~⑨】は、RSK山陽放送のアーカイブにあった、1980年の玉野市立東児中学校のエースだった八木さんの画像です。