セルタ戦でも厳しいマークに苦しんだ久保。(C)Getty Images

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 スペインに「私は死んで蘇った」という歌詞で始まる人気グループの曲がある。レアル・ソシエダはコパ・デル・レイ準決勝で激戦の末にレアル・マドリーに屈して敗退した時に死んだ。

 残念なことに誰もそのことに気づかなかった。しかしその後、欧州カップ戦の出場権獲得に向けて巻き返しを期すどころか、ホームでマジョルカに0―2の惨敗を喫し、さらにその3節後に同じくアノエタで多くの主力を欠いたアスレティック相手にスコアレスドローを演じると、“死”は決定的なものとなり、そこから先は坂道を転げ落ちるのみだ。終わりのない危機は、クラブ史上最高の監督の1人であるイマノル・アルグアシルをも飲み込んだ。

 再び死の話に戻る。ソシエダのそれは甘美なものではなく、交通事故で命を落とす若者の死と同じように悲劇的なものだ。ホルヘ・バルダーノは「サッカーは気分次第」と言った。現在のソシエダのチーム状態は、まさにそのどん底に沈んでいる。白と青のユニホームを着る選手たちの表情を見れば、これでは試合に勝つのは不可能であることが分かる。

 誰もが認めるムードメーカーのタケ・クボ(久保建英)も例外ではない。いつも不機嫌そうな表情を浮かべる彼であるが、それもまた魅力の1つだった。

 しかし今のタケには不機嫌になるれっきとした理由がある。チームは崩壊し、チャレンジ精神旺盛な彼がいくら努力しても、周りには強豪と渡り合えるだけのレベルを持った選手は限られている。

【画像】激昂した久保がセルタDFをど突いた決定的シーン
 しかし、同時に気になる数字が1つある。チームで最も決定的な選手である彼がラ・リーガにおいていまだにアシストゼロであることだ。

 セルタ戦もソシエダは負のスパイラルにどっぷりはまったままだった。サッカーとはこういうものだ。このような状況でなければ、10試合あれば、少なくとも8試合は勝っていただろう内容だったが、死んだ状態から蘇生するのはそれほど大きな労力が必要になる。

 ただタケの話を続ければ、アルグアシル監督の起用法を巡って、疑問の声も上がっている。中盤をダイヤモンド型の4−4−2にして、その頂点のトップ下で起用したり、4−4−3を維持したままでも左サイドにポジションを移すなど代替策はあったが、指揮官はひたすら右サイドでの起用にこだわったからだ。
 
 セルタ戦でもまんまと相手の術中にはまった。複数の選手にマークされ、いい形でボールをもらうことがほとんどできなかった。CKから相手のクリアボールをパブロ・マリンが前に落としたところに素早く反応し、縦に仕掛けて送り込んだグラウンダーのクロスを相手GK、ビセンテ・グアイタにキャッチされた20分のプレーが前半唯一の見せ場だった。

 後半、ハーフタイム前からすでに熱くなっていたタケは、立て続けにファウルで止められてフラストレーションを募らせていった。
 61分のホン・アランブルの投入でスペースを突くチャンスが広がったが、それでもゴールへの道筋は見つけられないままだった。アディショナルタイムに意図せずにパブロ・マリンのシュートに当たってコースを変えたのがこの日、最後のプレーだった。

 ラ・レアルにとって24−25シーズンは終わった。残り試合は、すべて涙で終わる葬送儀礼が執り行われる中、栄光の時代を偲びながら、戦っていくしかない。

取材・文●ミケル・レカルデ(ノティシアス・デ・ギプスコア)
翻訳●下村正幸