『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』©吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

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 5月9日より5週間限定で、『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』のリバイバル上映が実施されている。同作といえば国内興行収入404.3億円を記録し、日本の歴代興収ランキングでトップに輝いたほどの大ヒット作だ。

参考:『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』リバイバルで蘇る“炎”の意志 いま振り返る猗窩座の悲劇

 本稿では、あらためて同作のメインキャラクターである炎柱・煉獄寿郎に注目。「なぜ柱のなかで“最初の犠牲者”になったのか」という観点から、その存在の偉大さを考察していきたい。

 煉獄は鬼殺隊の主力である柱の1人。豪放磊落な性格で、自身の信念を貫くために命を燃やしながら戦ったという意味で、まさに炎柱の称号にふさわしい人物だった。

 作中では、柱たちが一堂に会する「柱合会議」の際に初登場。本格的に物語に絡んでくるのは「無限列車編」で、炭治郎と善逸、伊之助を率いて不審な事件が起きたという汽車に乗り込んだ。

 その汽車は、夢を操る能力をもった下弦の鬼・魘夢によって支配されていたが、煉獄と炭治郎たちは協力して撃破することに成功。しかしその直後、上弦の鬼・猗窩座が襲来し、煉獄は日の出まで続く死闘の果てに命を落としてしまう……。

 時間にするとごく短い交流だが、この出会いは後々まで炭治郎たちに大きな影響を及ぼした。たとえばもっとも印象的なのは、猗窩座に致命傷を負わされた煉獄が、残りわずかな命を振り絞って最後のメッセージを伝える場面だろう。

 煉獄は無力感に苛まれている炭治郎たちに対して、「胸を張って生きろ」と言い、自分の弱さに打ちのめされても足を止めずに前に進み続けるよう諭す。そして「今度は君たちが鬼殺隊を支える柱となるのだ」として、もっと強くなるよう背中を押して息を引き取るのだった。

 ここで煉獄が残した「心を燃やせ」という言葉は、後々まで炭治郎を奮起させる原動力となる。たとえば「遊郭編」で描かれた上弦の陸・堕姫との戦闘では、「ヒノカミ神楽」の発動にあたって自分の限界を感じた際、煉獄の姿がフラッシュバックするとともに「心を燃やせ」という言葉が響き渡っていた。

 また、炭治郎たちに“真の強さとは何か”を伝えたことも大きな意味をもつ。というのも煉獄と猗窩座の対決は、力と力のぶつかり合いであると同時に、お互いの信念をぶつけ合う戦いでもあった。

 猗窩座は鬼でありながら、武の道を極めようとする武人めいた性格。煉獄もストイックに鍛錬を重ねてきたところは同じだが、その価値基準には大きな違いがある。猗窩座が弱者を嫌い、強さだけを至上の価値としているのに対して、煉獄は「老いることも死ぬことも人間という儚い生き物の美しさ」だとして、肉体の強さだけが本当の強さではないと断言するからだ。煉獄にとって強さとは、“弱き人を助ける”という信念に裏付けられているものだった。

 実際に煉獄は猗窩座を倒すことはできなかったものの、日の出まで粘り続けることで、炭治郎たちを守ることには成功した。そして“誰かを守るための強さ”という考え方は、脈々と受け継がれていくことになる。

 煉獄の死後、炭治郎たちは強い結束力を手に入れたのもこのことと無関係ではないだろう。当初は1人ひとりが突っ走り、バラバラで戦っていた3人だが、「無限列車編」を経た「遊郭編」ではチームワークが芽生え、お互いに支え合いながら強者に立ち向かうという感動的な構図となっていた。

■煉獄寿郎はなぜ序盤で退場しなければならなかったのか さらに重要なのは、煉獄が早すぎる死を遂げたことだ。なぜあれだけ多彩な魅力をもつキャラクターが、早々に物語から退場したのだろうか。この問いについて考えるなら、煉獄がある意味“師匠ポジション”のキャラクターだったことを振り返らなくてはならない。

 それまでに登場した柱たちは、仲間とも敵とも言い難い微妙な緊張感を放っていた印象。なにせ柱合会議の時点では、炭治郎は鬼である禰豆子をかばったことで柱たちに殺意を向けられ、一歩間違えれば処刑されるところだった。

 それに対して煉獄は後進を教え導くことを大切に思っていて、すべてをおおらかに包み込むような人格者だった。人間性を失った柱たちは鬼殺隊の負の側面を体現しているが、煉獄はむしろ正の側面を体現する人物だ。共感できる仲間にして、さまざまな指針を与えてくれる“心の師匠”でもあり、炭治郎たちが「こうなりたい」と素直に憧れる対象だった。

 もし煉獄が終盤まで生きていれば、物語の展開は大きく変わっていただろう。その場合、炭治郎たちは弟子として柱の庇護下に置かれ、ゆっくりと地道に実力をつけていくことになったはずだ。しかし現実には“心の師匠”はすぐさま彼らのもとを去っていった。だからこそ炭治郎たちは一刻も早く柱に守られる存在から脱して、「柱と肩を並べて戦えるようになりたい」という気持ちを燃え上がらせ、その結果として急速に成長を遂げていく。

 また、煉獄が炭治郎たちを守るために命を落としたということの意味も大きい。炭治郎の視点からすると、自分たちのせいで、あるいは自分たちの身代わりとして犠牲になったとも捉えられるからだ。実際に炭治郎たちは激しい自責の念に駆られ、それまで以上に強さを渇望するようになる。

 さらに早すぎる死は、鬼殺隊の使命の重さを象徴する意味合いもあるかもしれない。煉獄は修行を経て、常人では想像すらできない領域に到達した猛者。血気盛んな伊之助ですら、煉獄と猗窩座による戦いのレベルの高さを目の当たりにして立ちすくみ、手を出すことすらできなかったほどだ。すなわち煉獄は、柱という存在がいかに桁違いの戦力なのか示すという役割を担っていたと言える。

 しかしそれは同時に、「柱ですら上弦の鬼には太刀打ちできない」という残酷な現実を示す役どころでもあった。炭治郎たちと比べ物にならないほど強い柱ですら、あっけなく命を落としてしまうという残酷な現実がそこにはある。これによって、続く「遊郭編」や「刀鍛冶の里編」でも次々に死者が出るのではないか……と物語の緊張感が示されることになった。

 炭治郎たちの闘志に火をつけ、成長を促す一方、観る者に残酷な現実を突き付けた煉獄の死。『鬼滅の刃』という物語において、とても重要な出来事だったことは間違いないだろう。この機会にリバイバル上映を観賞して、あらためてその偉大な存在に思いを寄せてみてはいかがだろうか。(文=キットゥン希美)