「高額で使いづらい」東京ドームはもう限界…「収益爆増の日ハム」に続き巨人の「築地新球場」が急浮上するワケ
■「築地市場跡地再開発」に読売グループの名前
一般市民の感覚でいえば、「賃貸物件」から「一軒家」を購入して引っ越すようなものだろうか。
今春。築地市場跡地(東京都中央区)の再開発「築地地区まちづくり事業」の事業予定者が決定した。三井不動産やトヨタ自動車、鹿島建設など、11社で構成される企業グループの中には、読売新聞グループ本社の名も列挙された。読売グループといえば、プロ野球球団である読売巨人軍の親会社であることは周知の事実。紆余曲折を経て、巨人の築地移転が、にわかに現実味を帯びてきた。
総事業費9000億円ともいわれる国内最大級のプロジェクトの中核をなすのは、約5万人が収容可能な、全天候型のマルチスタジアムの建設だろう。野球やサッカーなど、さまざまなスポーツ大会やコンサートなどの開催を想定。用途に応じて観客席やフロアを動かすことで、8つの形に変えることが可能だという。
巨人のオーナーも務める山口寿一社長は、本拠地移転の可能性について問われるや「それを前提として企画提案してきたものではない」としながらも、「魅力あるスタジアム。当然私どもも使ってみたい気持ちはある」と、新スタジアムの使用に前向きな姿勢を見せた。
■「約30年」の耐用年数はとっくに過ぎている
では、なぜ今、巨人の移転問題が取り沙汰されているのか。
現在の本拠地である東京ドーム(東京都文京区)は1988年、国内初のドーム球場として誕生した。天候に左右されないため、野球のみならず、これまで有名アーティストのコンサートやイベントも数多く開催。2002年12月のK-1 WORLD GPでは、ボブ・サップ効果もあってドーム史上最高の7万4500人を動員(野球開催時の収容人数は約4万3500人)するなど、「BIG EGG(ビッグエッグ)」(開業当初の愛称)は、東京の新名所として多くのファンに愛されてきた。
ただ、その東京ドームも、近年は老朽化の波が押し寄せている。屋根部分は米ミネソタ州ミネアポリスにあったメトロドームを参考に、グラスファイバー製の生地を空気圧で膨らませることによって形成されているが、“本家”は2010年に大雪の影響で屋根の一部が崩落。1982年の開場から32年が経過した2014年に解体となった。
東京ドームも開場当初から耐用年数は約30年と言われている。1年を通して気温が−13℃から28℃と寒暖差の激しいミネアポリスと気象環境の違いこそあれ、メトロドームのような末路を辿っても、何ら不思議ではない。
■人工芝を嫌って渡米した松井秀喜
東京ドームは、30年の“リミット”を超えた2022年、総額約100億円を投じ、換気能力の向上や、国内最大規模となる横幅126mの大型ビジョンを設置するなどの大改修を行った。しかし、いくら改修しようとも、基本的な設計は変えることはできない。
グラウンドは両翼100m、中堅122mと国際規格こそ満たしているが、左中間、右中間フェンスの膨らみが小さく、ともに110mと12球団のフランチャイズ球場としては最も短い。気圧の関係で内部の空気が乾燥するため打球も飛びやすく、今では「本塁打の出やすい球場」へと様変わりしてしまった。
また、天井がプレーの妨げになることもある。デーゲーム時に野手が飛球を見失ったり、高く上がった打球が直撃したりすることも少なくない。かつて巨人で活躍した松井秀喜は、全面人工芝を嫌い、体への負担が少ない天然芝が多いメジャー移籍を選択。38歳まで現役を続けた。米国ではドーム球場から、屋根なし天然芝球場への回帰がトレンドになっている。近年は日本でも米国にならい、本拠地の「ボールパーク化」への機運が高まっている。
■新球場を建設した日ハムは「93億円」も爆増
新球場の建設は、読売が長年思い描いてきた夢でもある。なぜか。巨人は、東京ドームを間借りする限り、所有者である「株式会社東京ドーム」に年間25億〜30億円ともいわれる多額の球場使用料を支払わなければならないからだ。さらにはチケット、グッズ販売、飲食などで得た興行収入の一部も、ロイヤリティとして納める必要があるため、いくら集客面で好調でも、球団経営を圧迫し続ける。
12球団では阪神、中日、ソフトバンク、西武、オリックスが事実上、自前の球場を保有し、2023年には、日本ハムが札幌ドーム(北海道札幌市)からエスコンフィールドHOKKAIDO(北海道北広島市)へ移転した。
日本ハムも巨人と同じく、札幌ドームを間借りしていたため、多額の使用料などを支払っていたが、エスコンフィールドは、子会社の「ファイターズ スポーツ&エンターテイメント」が所有・運営しているため、金銭的負担を実質的に負うことはない。開業初年度の売上高は、158億円だった2019年の札幌ドーム時代から251億円と大きく伸びた。かつて後楽園球場、東京ドームでダブルフランチャイズ制を敷いていた2球団は、対照的な道のりを歩んでいる。
巨人は他球団が球場を所有化する現状について、指をくわえて見ているほかなかった。郊外ならともかく、都心に本拠地を構える場合、新球場建設に適した広大な土地がなかったからだ。ただ、球界関係者が「巨人軍の親会社の読売新聞グループにとって、自前球場は長年の悲願」と明かすように、諦めることなく移転の機をうかがっていた。
■日本シリーズをホームで戦えなかった
コロナ禍の2020年には、前代未聞の事態も起こった。例年であれば7月に東京ドームで行われる社会人野球の都市対抗が、東京五輪の影響もあり、早い段階で11月22日からの開催に日程が変更された。ただ、プロ野球がコロナの影響で6月開幕となり、日本シリーズの日程も11月21日からにずれたため、都市対抗野球とバッティングしてしまったのである。
異例のペナントレースを制した巨人は、ソフトバンクとの日本シリーズで東京ドームを使用することができず、京セラドーム大阪からの開幕をしいられ、4試合でわずか4得点、41三振を喫し、4連敗の屈辱を味わうことになる。もし巨人が自前球場を持っていれば、ここまでのワンサイドゲームにはならなかったかもしれない。
悲願の新球場建設へ、読売グループが目をつけたのは、「築地場外市場」の跡地だ。2018年に豊洲へ市場機能を移転した後、2019年に東京都が、国際会議場を中心に「食のテーマパーク機能を有する新たな場とする」などとした「築地まちづくり方針」を策定。
一度は計画が頓挫したが、東京五輪・パラリンピックの延期などに伴い、都は方針の見直しを行い、2022年には「交流により、新しい文化を創造・発信する拠点」をコンセプトに事業者を広く募集。そして今年4月、三井不動産を代表とした企業連合に、読売グループも名を連ねた。
■築地の広さはなんと「東京ドーム約4個分」
築地市場跡地には、読売が喉から手が出るほど欲しかった都心の広大な敷地が広がる。再開発エリアの面積は実に東京ドーム約4個分の約19万m2。総延床面積は約117万m2で、スタジアムのほかに商業、ホテル、オフィス、レジデンスなど9つの施設および棟が整備される。
来年度から一部の施設で着工し、全体の完成まで14年の長期にわたる大規模開発だが、スタジアムを含む多数の施設は2032年度に整備を完了する予定。2034年の球団創設100周年に合わせて本拠地を移転すれば、大きな話題を呼ぶことは間違いない。東京ドームを大改修した理由も、あと10年使用すると考えれば説明がつく。
アクセス面はどうか。東京ドームは中央・総武線と都営三田線の水道橋駅、東京メトロ丸ノ内線や南北線の後楽園駅、都営三田線と都営大江戸線の春日駅からも至近距離と、鉄道アクセスに優れている。
■「神宮外苑再開発問題」に揺れるヤクルト
現在の築地エリアは東京メトロ日比谷線の築地駅と都営大江戸線の築地市場駅しか最寄り駅はないが、再開発計画にあわせて、新線の計画も進行中。さらには巨人の重要パートナーである日本テレビのお膝元である汐留や、サラリーマンの多い新橋から来場できるように、遊歩道やデッキの建設も見込まれているという。銀座からも近いため、新たな客層を獲得できるチャンスも広がる。築地への移転は、メリットが多いというわけだ。
巨人と同じく東京をフランチャイズとするヤクルトも、本拠地の明治神宮野球場(神宮球場、東京都新宿区)一体の再開発計画に揺れている。
神宮球場は、宗教法人明治神宮が保有しており、ヤクルトは年間約10億円の使用料を支払っている。ただ、創建当初に東京六大学野球連盟が資金提供などで尽力したため、今でも学生野球のスケジュールが最優先。大学野球とヤクルトの主催試合がバッティングした場合は、試合開始時間が30分遅れたり、試合前練習を隣接する室内球技場などで行ったりするなど、何かと不便を強いられる。使用契約が1年ごとの更新なだけに、本拠地移転騒動もたびたび取り沙汰されてきた。
■このままでは「神宮離脱」の可能性?
2014年から3年かけて耐震補強工事を行うも、2026年には創建100年を迎えるとあって、老朽化は否めない。バリアフリー未対応や歩車分離ができていないなどの課題も抱えている。ただ、新球場は隣接する秩父宮ラグビー場の跡地に建てられる予定なので、アクセスはほぼ変わることはない。ファンにとってはむしろ歓迎されるべきなのだが、事態はそう簡単ではない。
再開発によって既存樹木の伐採やオフィス・ホテルが神宮外苑にできることに反対する声も根強く、完成予定は当初の2027年から2031年に、新秩父宮ラグビー場の整備を含む再開発全体の完了時期も2030年から2035年に延期となった。今後、工期に遅れが出るなどした場合、ヤクルトが国鉄時代の1964年から使用してきた神宮を離れる可能性もゼロではないだろう。
築地市場跡地も、地下には都が旧跡に指定している江戸時代の庭園「浴恩園(よくおんえん)」が眠っている。寛政の改革で知られる老中の松平定信が屋敷に築いたとされる幻の庭園で、再開発に先立って行われた予備調査では、池の護岸とみられる石積みが発掘されたという。今後の調査、発掘次第では、こちらも予定が大幅に変更となるかもしれない。
さまざまな利権や思惑がはらみ、一筋縄ではいかない新球場建設。誰もが納得できる着地を願うばかりだ。
----------
内田 勝治(うちだ・かつはる)
スポーツライター
1979年9月10日、福岡県生まれ。東筑高校で96年夏の甲子園出場。立教大学では00年秋の東京六大学野球リーグ打撃ランク3位。スポーツニッポン新聞社ではプロ野球担当記者(横浜、西武など)や整理記者を務めたのち独立。株式会社ウィンヒットを設立し、執筆業やスポーツビジネス全般を行う。
----------
(スポーツライター 内田 勝治)