「カオスを体験し、現実の世界で常識をぶち壊せ!」田原総一朗と「まぼろし博覧会」セーラちゃんがカオス対談
静岡・伊東市にある、「キモ可愛い楽園」を標榜(ひょうぼう)する巨大な私設テーマパーク「まぼろし博覧会」。ジャーナリスト・田原総一朗氏が、前回記事で紹介した同館の訪問後、館長の「セーラちゃん」こと、出版社・データハウス社長の鵜野義嗣氏と対談。なぜ出版社の社長がテーマパークを始めたのか? なぜ「まぼろし博覧会」は人々を惹きつけるのか? なぜテーマが「お祭り」なのか? 田原氏が迫った(文・構成/奥田由意、編集・撮影/ダイヤモンド社 編集委員 長谷川幸光)
さまざまな要素が絡み合うことで
「その時代」は形成されている
(前回の記事「田原総一朗、「キモ可愛い楽園」まぼろし博覧会を訪れる」の続き)
田原 「まぼろし博覧会」は本当におもしろいですね。あの魅力は何でしょうか。
鵜野 ありがとうございます。まぼろし博覧会は、展示するものを選ばないんです。生モノ、法に触れるもの、弱者を差別するもの、危険なもの以外は、集めたものすべてを展示しています。
田原 選ばないで、どうやって集めるのですか。
鵜野 目についたものを、できるだけ現実世界のままに、そのまま持ってきます。
選ぶとどうしても偏ります。特定の人以外にとって、つまらなくなってしまう。何かを指して「◯◯はその時代を代表するものだ」と言ったりしますが、それひとつだけあっても、それは時代を表しているわけではありません。
「国民の代表」であるはずの政治家も、実際は私たち一人ひとりを代表しているわけではありませんよね。ですから、できるだけ選ばずに展示することが大事だと思ったんです。
通常、美術館や博物館は、好事家やお金持ちが「これは価値がある」と思うものを収集したり、学者が学問的に必要なものや資料的価値があるものを整理して展示したりしますね。もちろんそれはそれでいいと思いますが、大半の庶民にとっては関係ないものが多い。
私は、その人が生きてきた人生の中にあった物が置かれている、そのような空間が「ミュージアム」ではないかと思っています。
ですから、まぼろし博覧会には、極端なものも批判されそうなものも含め、庶民の生活や生きてきた痕跡をすべて残してやろうと思ったんです。
田原 庶民になじみのあるものを脈略なく展示することで、現実世界を体現しているわけですね。
鵜野 現実世界自体がカオスですからね。
田原 それぞれの展示には解説が一切ない。それがまた何とも言えない独特の「濃さ」を生んでいますね。
鵜野 「この展示物の背景は」とか「どういう技術を使ってどういう工程で作られたか」といった解説は、まぼろし博覧会に来る人にとってはあまり意味がありません。専門家による資料は世の中にたくさんあるのですから。
展示に脈略はありませんが、テーマはいろいろと考えているんですよ。キーワードもどんどん増やしていっています。例えば、まねき猫がある部屋に、まねき猫を次々と増やしても、埋もれるだけです。それなら、まねき猫を増やすのではなく「まねき猫神社」をつくろうとか。
開館当初、「すごい空間をつくってやろう」という、運営側の視点しかありませんでした。でも、怖がらせるつもりではないのに子どもが怖くて泣いたり、来館者側は必ずしも、こちらが意図した受け止め方をしていなかったりする。それで、来館者の視点に立たなければと次第に思うようになりました。
自分自身で館内を回り、来館者の前に積極的に出てコミュニケーションを取っているうちに、運営側と来館者の間にバリアがあることが見えてきたのです。それで、まずはそのバリアを解消しなければと思いました。
田原 それであの格好をするようになった。
鵜野 セーラちゃんに扮(ふん)するのは、来館者が自由な気持ちになって、ざっくばらんに話してくれるからです。かしこまった格好で来館者を迎えても、建前だけの関係性になってしまいます。
あの格好だからこそ、瞬間で来館者と友だちになれるのです。見てくれは人間の本質ではありません。
誇張でもネタでも何でもいいんですよ。話題性が出て、結果的に多くの人に広まって、まぼろし博覧会の存在が届けたい人に届くのであれば。
以前は、情報を得ようとすれば、自分の興味がないことも新聞に掲載されているので、誰もが半ば強制的にさまざまな情報に触れる機会がありました。
でも今は、新聞はすたれ、多くの人は、自分の興味に基づいてネットで検索します。ネットやSNSでは情報を取捨選択できるので、触れられる情報は限定的です。世の中でさまざまな事象が起こっているのに、狭い世界しか見なくなってしまった。それでは動物としての人間ではないと思うのです。
まぼろし博覧会には、いろいろなものが雑多にあり、写真でも動画でもなく、リアルに目にすることができます。壊れていても、ほこりをかぶっていても、そのままにしているのは、それがリアルだからです。
ゲーム機を見たいなど、何か目当てがあって訪れたとしても、ついでにほかのものにも触れることになる。何か気になるものが見つかれば、そこから現実の社会へその興味を持って帰ることができる。まぼろし博覧会は、現実の社会への入り口としての機能を持たせたい、そのような壮大な実験でもあるのです。
田原 鵜野さんは「データハウス」という出版社を経営していますね。社名にはどういう意味があるのですか?
