なぜ厄年は当たるのか…宗教学者が教える「厄年の正体」

■厄年の由来は語呂合わせだった
厄年なんて迷信にすぎない――。かつての私はそう思っていました。ところが実際に経験してみて、ガラッと認識が変わりました。つまり、厄年は本当に存在するのではないかと思うようになったのです。こう言うと、「宗教学者」を名乗る人間が簡単に信じるなんて……とお叱りを受けそうですが、厄年を一概に否定できない理由があります。なぜ考え方が変わったのか。最初に私の体験をお話ししましょう。
1990年代前半、私は女子大で教鞭をとりながら、“文化人タレント”としてNHKの番組でサブキャスターを務めていました。収入も安定し、まさに順風満帆といった時期。ところが94年頃から異変が始まります。旧統一教会の霊感商法が社会問題化していた当時、私の発言が教会を擁護していると誤解され、批判を受けるように。ほどなくして、私が学生にオウム真理教への入信を勧めていたという根も葉もない怪文書まで出回り始めました。
そして翌95年3月、地下鉄サリン事件が発生すると、私が教団と結託していたかのような誤った報道により、抗議電話が殺到。結果的に、大学を辞職せざるをえなくなったのです。
当時は気づかなかったのですが、批判が集まり始めた年が「本厄」だった42歳、大学辞職が「後厄」の43歳でした。この悲劇を振り返って、私は厄年の存在を信じるようになったのです。
そもそも厄年とは災厄に見舞われやすい年を指します。地域や寺社によって異なりますが、一般的に数え年で男性は25、42歳、女性は19、33、37歳が本厄にあたります。男女ともに満61歳は厄年で、前年の60歳が「前厄」、翌年の62歳が「後厄」となり、実質的に3年間が“厄年”といわれます。「決まった年齢で一様に災厄が降りかかるなんて……」と思う人も多いでしょう。しかし、慣習は一朝一夕に生まれるものではなく、先人たちの知恵の蓄積といえます。厄年も現代まで受け継がれてきた「習俗」と考えると、軽視できない理由があるはずです。
日本で厄年が信じられてきた歴史は古く、平安時代にはすでに記録がありますが、庶民に広がったのは江戸時代のことです。男性42歳、女性33歳が「大厄」という認識が定着したのも江戸時代。42歳は「死に」、33歳は「散々」の語呂合わせでした。
当時、男性42歳は家長的立場になる年齢、女性33歳も出産を終えた主婦として家庭の中心人物になる年齢でした。立場や役割が変わりやすい年齢にさしかかると、厄年であることを実感させるような事件に遭遇することも珍しくありません。何の宗教的意味もない語呂合わせで成立した厄年ですが、人々は自らの体験を通してその存在を裏付け、後世に伝えてきたのです。
年末年始に厄除け・厄払いをするという慣習が一気に全国に広まったのは意外と新しく、戦後のことで、ある地方寺院がきっかけでした。65年頃、栃木の惣宗官寺が「佐野厄よけ大師」と新たに命名され、厄除け・厄払いを前面に打ち出します。そして72年、岩槻(埼玉)から宇都宮(栃木)まで高速道路が開通し、佐野藤岡インターチェンジが完成。東京近郊在住者が参拝しやすくなったこと、さらにテレビCMが関東地方を中心に放送されたことが、厄年の普及に一役買ったと考えられます。
ハレとケの世界観に代表されるように、日本人はもともとお祭りが好きです。そんな国民性も影響してか、年末年始のいちイベントとして瞬く間に広がっていきました。
■理不尽なときに厄年は役に立つ
新年に厄払い・厄除けをしてもらえば災厄を避けられる――そう確信している人は少ないでしょう。明確な意味を見つけにくい習俗がなぜ受け継がれてきたのか。じつはこの問いに、厄年の正体が隠されています。

先ほど述べたように、私の厄年は散々なものでした。いわれのない噂によって仕事が突如なくなったのですから。同じように、人生がずっと順調という人もいません。病気になったり、会社が倒産したり、借金をしたり……生きていれば誰しも苦難に直面します。そうした逆境を乗り越えていく際、人は自分を納得させる理由を求めます。私はあの苦しい日々が厄年によるものだったと気づいたときに、気持ちがスッと楽になりました。厄年に結びつけることで半ば冗談話として話せるようになりましたし、あの出来事があったから新しい道が拓(ひら)けたのではないか、とさえ思います。生きていくうえで、意外にも「こじつけ」は効果的であると思います。なぜ私だけこんな目に……そう思ったときに、自分を納得させる何か。その意味で厄年は、必要とされてきたから残った信仰といえるでしょう。
加えて、成人式や還暦と同様に、厄年を通過儀礼と見ることもできます。社会人になると、日常に忙殺され、時が経つ速さに驚かされるものです。多くの人は自分の変化に無自覚なまま、年を重ねていく。その点、厄年には節目を感じさせる役割があると思います。
特に現代は昔に比べて、冠婚葬祭といった年齢を実感するイベントが縮小傾向にあります。結婚しない人にとっては、成人式を過ぎたら還暦まで何のイベントもないということになるでしょう。
厄年が必要とされてきた理由は、通過儀礼を求める日本人の性質とも関係しているかもしれません。
■×災厄が起こる年 ○挑戦する年
厄年のとらえ方として、自分に降りかかった災厄と向き合うための材料、そして通過儀礼的な側面があると述べました。では実際に厄年が迫っている人は、どのような心構えでいればいいのでしょうか。厄年だから必ず災厄が降りかかるということはありませんが、自分や家族が心配だという人は儀式に参加するのも一考です。
まず挙げられるのが、自分の身についた厄を振り払う・落とすために、神社で正式参拝をする、あるいは寺で護摩祈祷をしてもらうという方法です。西新井大師(東京)や成田山新勝寺(千葉)、出雲大社(島根)、八坂神社(京都)など、全国各地に厄除けの祈祷をしてくれる寺社は数多くあります。いつも通りの初詣で十分だと思う人はわざわざ厄払いを受ける必要はありません。
こう言うと「そもそも、厄年なんて気にするメリットはあるのか」と思う人もいるかもしれませんが、その質問には「はい」と答えます。42歳当時、私はバッシングを受けていたものの、自分には落ち度がないと考えて態度を改めませんでした。その結果、辞職に追い込まれたわけです。厄年にさしかかっていることを少しでも意識して、自分の年齢と役割を考えていれば、強硬な態度を変えるなど、違った対処の仕方もあったように思います。
一方で「災厄を恐れて慎重に過ごすべきか」と聞かれたら、私は「いいえ」と答えます。厄年とされている年齢は、社会や家庭に対して自分の果たすべき役割が変わる年齢ともいえるのではないでしょうか。人生のターニングポイントと意識して、よりよい方向に転換するチャンスと捉えるくらいがいいでしょう。
かの徳川家康は、41歳(1582年)の時に本能寺の変が起きて織田信長が亡くなり、43歳の時(84年)に羽柴秀吉らと対立。小牧・長久手の戦いを起こしました。いわば“秀吉のいち臣下”にあらざることを家康が表明した戦であり、この厄年で打った布石が、約20年後の江戸幕府成立に活かされたといえます。
「災厄が起こる年」ではなく「挑戦する年」――そう意識を変えれば、厄年が人生の転機になるはずです。
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島田 裕巳(しまだ・ひろみ)
宗教学者、作家
放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員、同客員研究員を歴任。『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)、『教養としての世界宗教史』(宝島社)、『宗教別おもてなしマニュアル』(中公新書ラクレ)など著書多数。
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(宗教学者、作家 島田 裕巳 構成=田中仰)
