錦織ら「完全隔離組」に朗報 厳戒豪州で大会側が模索する“バブルの中のバブル”とは
ATPカップ出場、“現役最年長ランカー”松井俊英の現地発コラム第4回
男子テニスの国別対抗戦「ATPカップ2021」が2月1日にオーストラリアで開幕を迎える。新型コロナウイルスの感染拡大に伴う、厳戒態勢で行われる団体戦に日本代表として参戦する42歳の“テニス界現役最年長ランカー”松井俊英が大会中に「THE ANSWER」で現地発のコラムをスタート。第4回の今回は、ロサンゼルスからのチャーター便で同乗客に新型コロナの感染者が出たために、1日5時間の屋外練習を許されず、完全隔離状態を強いられている錦織圭(日清食品)らに対して講じられている救済案について語ってくれた。
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これまではトラブル続きの運営でしたが、昨日(20日)は初めて大きな問題がなかった1日でした。シンガポール経由でオーストラリア入国後は2週間、ホテルで隔離されていますが、選手は1日に5時間だけトレーニングのための外出が許可されています。
関係者が自室に迎えに来て、初めて扉の外に出ることが許可されます。これまでは1時間以上遅れていましたが、今回は5分遅れ。交通事情もあって本来の練習時間よりは短くなりましたが、コートでは1時間半練習できました。
今回は日本代表のメンバーで来ていますが、まだチームメートとは誰にも会えていません。今回はコート上の練習相手である、オーストリアのサム・ワイズボーン選手以外とは誰に会えない状況です。チーム練習が許可されていないのです。
ATPカップを想定してダブルスの練習をしたいのですが、感染防止目的で1つのコートに4選手が入る練習は現状で禁止になっています。ワイズボーン選手とは1対1でダブルスを想定した練習を続けています。代表でチーム練習ができない状況というのも異例です。
日本代表では錦織選手と今回日本代表の監督を務める錦織選手のパーソナルコーチ、マックス・ミルヌイさんはメルボルンまでの移動便で、同乗者に新型コロナの陽性者が出たために、完全隔離状態です。選手が許可されている1日5時間の屋外でのトレーニングも禁止されています。
アデレード組、メルボルンのソフトロックダウン組、そしてハードロックダウン組と、個々の準備状況にギャップが生まれていることは選手間で問題になっていますが、錦織選手やアザレンカ選手のようなハードロックダウン組の72選手に対して、大会側もサポート体制を整えているようです。
外出はできないのですが、個々の室内にエアロバイクやバランスボールなどのエキップメントを搬入。部屋でもできるヨガのオンライントレーニングや英語の授業、リラクゼーションのゲーム機器などエンターテイメント面も含めた拡充にも取り組んでいるようです。
完全隔離組の72選手だけがアクセス可能な「バブル」の設置を検討
そして、今回のトーナメントディレクター、クレイグ・タイリー氏が進めているのは「バブル・ウィズイン・ザ・バブル」というハードロックダウン組の救済案です。
ATPカップへと続く、全豪オープンとその前哨戦は「バブル」と呼ばれる感染予防措置が取られています。
感染拡大を阻止するために、検査によって陰性が確認された関係者以外立ち入り禁止で、安全な環境を作るというもので、昨年の全米オープンや他競技のNBAでも行われました。
錦織選手らハードロックダウン組の72選手だけがアクセスできる練習用のコートを作るというものです。今メルボルンに存在するバブルの中に、もう1つの小さなバブルを作るイメージです。
ビクトリア州としては当然市民の安全を最優先するので、実現に向けての交渉は難しそうですが、トーナメントディレクターとしては働きかけています。
それができない場合、2週間の隔離終了後に、コートなどの環境をハードロックダウン組が最優先で使えるようにするなど、選手間での不均衡を無くそうと働きかけています。
選手とトーナメントディレクターのオンラインミーティングはこれまで選手からの不満で溢れかえっていますが、わがままな意見が減りました。タイリー氏の努力を選手も理解しています。サポートもしっかりしているので、感謝の意見も出るようになりました。選手もディレクターに協力するという好循環が生まれています。
ハードロックダウン組の声に真剣に耳を傾けているタイリー氏ですが、メディアを通じて、今回のATPカップと全豪オープンの成功で、東京五輪に繋げたいとメッセージを発信していました。
一方で日本代表チームとしての練習はまだ予定されていません。まだまだ大変な状況は続きますが、しっかりと準備を進めていきたいと思います。
■松井俊英(まつい・としひで)
1978年4月19日、千葉県柏市生まれ。42歳。ATPダブルスランキング世界207位。シングルスランキング802位。私立八千代松蔭中学卒業後、カナダ・トロントのノースビュー・ハイツ・セカンダリースクールで単身語学留学を経て、ブリガム・ヤング大ハワイ校卒業。2000年にプロ転向後、06年、10年にデビス杯日本代表に選出。世界46か国以上を転戦し、19年には41歳で現役選手として世界最年長のATPランカーとなった。2年連続でATPカップ日本代表にも選出されるなど実力は健在。オンラインサロンも展開中。(THE ANSWER編集部)
