ショーン・ホワイト インタビュー:再び栄冠に輝いたスノーボードの申し子
韓国から戻った時、ショーン・ホワイトの首には平昌オリンピックで手にした金メダルがかけられていた。快挙を成し遂げたその数週間後、彼は自身が主催する音楽とエクストリームスポーツの祭典、Air + Styleの会場を駆け回っていた。ロサンゼルスのダウンタウンにあるエクスポジション・パークに到着するやいなや、列をなしたゴルフカートのひとつに乗せられた筆者の前方には、スノーボード界のスーパースターの姿があった。バックステージの通路を猛スピードで駆け抜けるカートが向かったメインステージでは、エレクトロ・ロック・デュオのファントグラムが出演を控えていた。シンガーのサラ・バーテルのボーイフレンドとして、ホワイトはそのショーを見逃すわけにはいかなかったのだ。バンドをステージに招き入れた後、ホワイトは筆者とともに観客でごった返すミキシングボード付近に陣取りった。視界とサウンドともに申し分ない環境で、スノーボード界の生ける伝説は、お気に入りのアーティストによる官能的とも言えるパフォーマンスを堪能した。
スノーボード界のキングとして彼の名前が世界中に知れ渡っていくと同時に、音楽とエクストリームスポーツを融合させたAir + Styleは規模を拡大し続け、今やロサンゼルス、北京、シドニー、オーストラリアの4都市で開催される国際的イベントとなった。毎年ロサンゼルスのダウンタウンにスノーボード会場を設置するという難題について、ホワイトはこう話す。「スノーボードに紐付いた文化を広めていきたいんだ」すでに揺るぎない名声を手にしながら、音楽フェスティバルの主催に挑戦する理由について、彼はこう話している。「仲間たちとコーチェラで最高の時間を過ごしてた時に、ふと思ったんだ。俺もこれをやってみたい、ってね。自己中心的な動機だってことは否定しないよ、自分が好きな音楽を思いきり楽しみたいってだけだからさ」
ニューヨーク北部出身のファントグラムのジョシュ・カーターは、ビデオをはじめとするスケートカルチャーを通じて様々な音楽に出会ったと話す。「ダイナソーJr、ピクシーズ、あとウータン・クランなんかも、全部スケートを通じて知ったんだ」カーターはこう続ける。「Air + Styleにはそういうバイブがある。独特のリズム感がね」
ファントグラムのパフォーマンス後、ホワイトはバックステージで筆者の取材に応じてくれた。オリンピック直前に経験した62針を縫う顔の大怪我、過去のローリングストーン誌の表紙写真にまつわるエピソード、そして2020年の東京オリンピックにスケートボードの選手として出場する可能性ついて、スノーボード界のゴールデンボーイが語ってくれた。
ーあなたは平昌オリンピックで、人生で3個目となる金メダルを獲得しました。1440(フォーティーン・フォーティ)を連続で成功させた、あのドラマチックな最終滑走について話してください。

