レアル・ソシエダで6シーズンにわたりプレーしたのち、1988年にドリームチームと称されたバルセロナの一員となり、チャンピオンズカップ優勝や4度のリーグ制覇など、数々のタイトル獲得に寄与した。この頃からスペイン代表の常連となり、ユーロ1988のメンバーに選出されるも、イタリア戦で途中出場を果たしたのみで、チームはグループリーグ敗退となった。
1997年に浦和レッズに入団。1998年には大物ルーキーの小野伸二、セルビア・モンテネグロ代表のゼリコ・ペトロヴィッチらとともに魅惑の中盤を形成し、2ndステージで3位の好成績を残す。しかし翌年は小野や自身の負傷が響いて低迷し、クラブはJ2に降格することとなった。
引退後の2003年からは古巣バルセロナのディレクターに就任。現在はマンチェスター・シティのディレクター職を務め、盟友ペップ・グアルディオラ監督の招聘に尽力した。

■ピーター・ボス
ジェフユナイテッド市原(1996-1997、1999)
オランダ代表(1992)

統率力に秀でた守備的MF。フィテッセでのデビューを皮切りにオランダやフランスのクラブを転戦し、1991年に強豪フェイエノールトへ。同時期にオランダ代表に選出され、ユーロ1992本大会に参戦した。グループステージのドイツ戦では87分に途中出場。3-1のスコアを最後まで守り抜いて勝利に貢献した。その後、彼に出番は訪れなかったものの、チームは3位の好成績を残している。
1996年9月、ジェフユナイテッド市原に入団。しかし、ホーム最終節となったヴェルディ川崎戦で三浦知良にハットトリックを許して大敗を喫するなど、チームの成績は上向かず。翌年もホームでジュビロ磐田に5ゴールを許し目前で優勝を決められるなど不甲斐ない成績に終始し、この年限りで退団した。しかし1999年途中、1部残留争いの渦中にあった市原に再入団。中盤の底で崩壊寸前だった守備を引き締める救世主となり、1部残留に貢献した。
引退後は指導者の道を歩み、2013年にフィテッセの監督に就任してからは安田理大やハーフナー・マイクら日本人選手の指導に携わった。

■バジール・ボリ
浦和レッドダイヤモンズ(1996-1997)
フランス代表(1992)

激しいタックルと強靭なフィジカルでピンチの芽を潰す、コートジボワール出身のセンターバック、または右サイドバック。8シーズンにわたり在籍したオーセールを離れ、1990年にマルセイユに移籍。1992-93シーズンのチャンピオンズカップ決勝では全盛期のミラン相手にヘディングを決めて、マルセイユを優勝に導いた。
フランス代表としては通算45試合に出場。エリック・カントナやジャン・ピエール・パパンらスターに恵まれたユーロ1992で彼自身も全3試合にフル出場を果たしたが、伏兵デンマークに足元をすくわれるなど2分1敗の成績で大会を後にした。スコアレスに終わったイングランド戦では相手DFスチュアート・ピアースに頭突きを食らわせ、審判の死角であったため処分を受けなかったことは、イングランドで長らく語られ続けている。
グラスゴー・レンジャーズ、モナコでのプレーを経て1996年に浦和レッズに加入。97年の退団までに公式戦45試合に出場した。ギド・ブッフバルトらと強固な最終ラインを形成し、Jリーグ創設時の低迷から一転して、優勝争いに顔を出すほどにチーム力を高めた。

■フリスト・ストイチコフ
柏レイソル(1998-1999)
ブルガリア代表(1996)

ずんぐりした体型から想像できない高速ドリブルと、左足から繰り出される破壊的なシュートでゴールの山を築いたブルガリアの傑物。1994年のワールドカップで得点王を獲得して母国を歴代最高のベスト4に導き、この年のバロンドールを受賞した。バルセロナではブラジル代表ロマーリオとコンビを形成してドリームチームの中枢を担い、4度のリーグ優勝、チャンピオンズカップ優勝に貢献した。