ラウドルップ、ストイコヴィッチ、リュングベリ…ユーロでプレーした歴代外国人Jリーガーを振り返る
彼が再び日本でプレーしたのは2013年。「ユヴェントス・レジェンズ」の一員としてベガルタ仙台の20周年記念試合に出場した。毛髪は薄れたが、トレードマークの口ひげはやはり健在であった。
■オレグ・プロタソフ
ガンバ大阪(1994-1995)
ソビエト代表(1988)
3度のソ連リーグ得点王に輝き、ソ連代表として二度のワールドカップに出場。同じウクライナ生まれのFWオレグ・ブロヒンに次ぐ歴代2位の 29ゴールを挙げた名ストライカー。186cmの長身とポジショニングのセンスを生かして、ペナルティエリア付近で力を発揮する典型的なセンターフォワードであった。
キャリアのハイライトは、のちにガンバ大阪でチームメートとなるセルゲイ・アレイニコフらと臨んだユーロ1988。イングランド戦とイタリア戦でゴールを決め、ソ連を決勝進出に導いた。当時はオランダの点取り屋マルコ・ファンバステンのライバルと評されていたが、決勝戦ではそのライバルに大会のベストゴールともいえる鮮やかなボレーシュートを目の前で決められ、優勝を逃している。
1994年、ガンバ大阪に加入。アレイニコフに加えて、アフリク・ツベイバと旧ソ連トリオを結成。二年間で28ゴールを挙げたものの、チームの成績は上向かず、翌1995年限りで退団することとなった。
■ギャリー・リネカー
名古屋グランパス(1992-1994)
イングランド代表(1988、1992)
イングランド代表で歴代3位となる48得点を決め、1986年のワールドカップで得点王を獲得。レスター、エヴァートン、トッテナムと所属した母国のクラブで一度ずつ得点王を獲得した実績を持つ80年代屈指の名ストライカー。1986年から3年にわたり在籍したバルセロナでは、ヨハン・クライフ監督に右ウィングという不慣れなポジションにコンバートされたものの、103試合42ゴールと結果を残している。その一方、二度の大会に出場したユーロでは、92年大会を負傷欠場したポール・ガスコインらパサーの不在もあってに恵まれなかった。
1993年、Jリーグ開幕に合わせて名古屋グランパスに加入、当時のJリーグでは最高額となる3億円の移籍金から注目を集めたが、自身は負傷もあってわずか7試合の出場にとどまった。1994年にはドラガン・ストイコヴィッチが加入して、夢の2トップの実現にファンは胸を躍らせたものの、リネカーは相変わらず負傷がちで、Jリーグ通算4得点に終わり、この年限りで現役に幕を下ろした。
■フリオ・サリナス
横浜マリノス(1997-1998)
スペイン代表(1988、1996)
スペイン代表として通算56試合出場22得点の実績を残した、90年代のスペインを代表する大型センターフォワード。巨躯ながら足下の技術が高く、長身を生かしたポストプレーを得意とする。3度のワールドカップで通算3ゴールを挙げた一方、二大会に出場したユーロでは不発に終わった。88年大会ではエミリオ・ブトラゲーニョとのポジション争いに敗れ、わずか40分の出場、96年大会ではグループリーグ3試合を通じて控えとなり、ベスト8のイングランド戦でようやく先発出場を果たすも、前半のみで途中交代。チームはPK戦の末、敗退した。
クラブレベルでは出生地であるアスレティック・ビルバオでキャリアを始め、アトレティコ・マドリードやバルセロナなどでプレー。バルセロナではドリームチームの一員として91-92シーズンのチャンピオンズカップ優勝に貢献した。1997年に横浜マリノスに入団し、城彰二との大型2トップがリーグを席巻。J1記録となる8試合連続得点を達成した。
■アイトール・ベギリスタイン
浦和レッドダイヤモンズ(1997-1999)
スペイン代表(1988)
バスク語で「小さな」を意味する「チキ」の愛称を持つ小柄なレフトウィング。豊富な運動量を生かしてスペースを見つけては走り込み、左足で正確なクロスを放った。
■オレグ・プロタソフ
ガンバ大阪(1994-1995)
ソビエト代表(1988)
3度のソ連リーグ得点王に輝き、ソ連代表として二度のワールドカップに出場。同じウクライナ生まれのFWオレグ・ブロヒンに次ぐ歴代2位の 29ゴールを挙げた名ストライカー。186cmの長身とポジショニングのセンスを生かして、ペナルティエリア付近で力を発揮する典型的なセンターフォワードであった。
キャリアのハイライトは、のちにガンバ大阪でチームメートとなるセルゲイ・アレイニコフらと臨んだユーロ1988。イングランド戦とイタリア戦でゴールを決め、ソ連を決勝進出に導いた。当時はオランダの点取り屋マルコ・ファンバステンのライバルと評されていたが、決勝戦ではそのライバルに大会のベストゴールともいえる鮮やかなボレーシュートを目の前で決められ、優勝を逃している。
1994年、ガンバ大阪に加入。アレイニコフに加えて、アフリク・ツベイバと旧ソ連トリオを結成。二年間で28ゴールを挙げたものの、チームの成績は上向かず、翌1995年限りで退団することとなった。
名古屋グランパス(1992-1994)
イングランド代表(1988、1992)
イングランド代表で歴代3位となる48得点を決め、1986年のワールドカップで得点王を獲得。レスター、エヴァートン、トッテナムと所属した母国のクラブで一度ずつ得点王を獲得した実績を持つ80年代屈指の名ストライカー。1986年から3年にわたり在籍したバルセロナでは、ヨハン・クライフ監督に右ウィングという不慣れなポジションにコンバートされたものの、103試合42ゴールと結果を残している。その一方、二度の大会に出場したユーロでは、92年大会を負傷欠場したポール・ガスコインらパサーの不在もあってに恵まれなかった。
1993年、Jリーグ開幕に合わせて名古屋グランパスに加入、当時のJリーグでは最高額となる3億円の移籍金から注目を集めたが、自身は負傷もあってわずか7試合の出場にとどまった。1994年にはドラガン・ストイコヴィッチが加入して、夢の2トップの実現にファンは胸を躍らせたものの、リネカーは相変わらず負傷がちで、Jリーグ通算4得点に終わり、この年限りで現役に幕を下ろした。
■フリオ・サリナス
横浜マリノス(1997-1998)
スペイン代表(1988、1996)
スペイン代表として通算56試合出場22得点の実績を残した、90年代のスペインを代表する大型センターフォワード。巨躯ながら足下の技術が高く、長身を生かしたポストプレーを得意とする。3度のワールドカップで通算3ゴールを挙げた一方、二大会に出場したユーロでは不発に終わった。88年大会ではエミリオ・ブトラゲーニョとのポジション争いに敗れ、わずか40分の出場、96年大会ではグループリーグ3試合を通じて控えとなり、ベスト8のイングランド戦でようやく先発出場を果たすも、前半のみで途中交代。チームはPK戦の末、敗退した。
クラブレベルでは出生地であるアスレティック・ビルバオでキャリアを始め、アトレティコ・マドリードやバルセロナなどでプレー。バルセロナではドリームチームの一員として91-92シーズンのチャンピオンズカップ優勝に貢献した。1997年に横浜マリノスに入団し、城彰二との大型2トップがリーグを席巻。J1記録となる8試合連続得点を達成した。
■アイトール・ベギリスタイン
浦和レッドダイヤモンズ(1997-1999)
スペイン代表(1988)
バスク語で「小さな」を意味する「チキ」の愛称を持つ小柄なレフトウィング。豊富な運動量を生かしてスペースを見つけては走り込み、左足で正確なクロスを放った。
