ラウドルップ、ストイコヴィッチ、リュングベリ…ユーロでプレーした歴代外国人Jリーガーを振り返る
ユーロは96年大会に出場。グループリーグ3試合に出場し2ゴールを挙げたものの、チームは敗退を喫した。しかし、ストイチコフが左足の数回のタッチのみで敵陣中央を突破し、そのまま左足のトゥーキックでシュートを鎮めたルーマニア戦の開始3分のゴールは、大会のベストゴールのひとつと賞賛された。
バルセロナを退団後は、母国やサウジアラビアで過ごし、1998年に柏レイソルへ。ピークは過ぎていたが、同年のセレッソ大阪戦で沈めた弾丸FKや、ワンステップで繰り出されるライナー性のサイドチェンジなどで、何度もファンの度肝を抜いた。
■フレドリック・リュングベリ
清水エスパルス(2011-2012)
スウェーデン代表(2000、2004、2008)
2度のワールドカップ、3度のユーロに出場した2000年代のスウェーデンを代表するアタッカー。推進力のあるドリブルで敵陣を縦横無尽に掻き乱し、2列目からの鋭い飛び出しでゴールを奪った。
初の国際舞台となったユーロ2000ではグループリーグ3試合にフル出場したものの、決勝トーナメント進出はならず。4年後の2004年大会では一戦目のブルガリア戦で先制ゴールを奪うなどチームに勢いをもたらし、ベスト8入りに貢献した。4年後の2008年大会では主将を務め、グループリーグ3試合にフル出場したものの8強には届かず、大会後に代表からの引退を表明した。
クラブレベルでは1998年にアーセナルに入団し、2001-02シーズンはプレミアリーグとFAカップの2冠達成に尽力。9シーズンに及んだアーセナルでの在籍を経て、キャリア晩年はアメリカやスコットランドを転戦。そして2011年9月、清水エスパルスに加入した。
Jリーグに久々にやって来た大物外国人として注目を集めたが、負傷もあって公式戦11試合に出場したのみで退団し、現役引退を表明。2014年にインドで3カ月のみ現役復帰を果たしている。
■パベル・ホルバート“ホルヴィ”
ヴィッセル神戸(2004-2006)
チェコ代表(2000)※出場機会なし
左足から放たれる強烈なミドルシュートと精度の高いプレースキックでチャンスを演出したMF。1996年から名門スラヴィア・プラハで頭角を現し、1999年にチェコ代表デビュー。3年間で19キャップを刻んだ。ユーロ2000のメンバーに選出されたものの、パヴェル・ネドヴェドやトマシュ・ロシツキら中盤の分厚い選手層を前に、自身の出場機会は回ってこなかった。チェコはグループリーグを1勝2敗で終え大会を後にした。
海外挑戦となったスポルティング・リスボンやガラタサライでは苦戦したものの、同胞のイワン・ハシェックに請われ2004年に加入したヴィッセル神戸では3年間で60試合に出場、12ゴールを挙げるなど、本領を発揮した。
神戸を退団後も長らく現役生活を続け、スパルタ・プラハで自身初のリーグ制覇を経験するなど、30歳を超えてキャリアの全盛ともいえる時期を過ごした。2008年に移籍したヴィクトリア・プルゼニではキャプテンを務め、リーグ連覇に貢献。2012年にはヨーロッパリーグ史上最高齢となる37歳214日でゴールを記録し、2015年、40歳で現役生活に幕を下ろした。
■アフリク・ツベイバ
ガンバ大阪(1994-1996)
CIS代表(1992)
旧ソビエト連邦、ジョージア出身のセンターバック。1990年にソ連代表に初選出され、同年のワールドカップに参加。ユーロ92にはCIS代表として臨み2試合にスタメン出場したが、2枚の警告をもらい、3試合目は欠場となった。のちにウクライナ代表、ロシア代表としてもプレーしている。
1994年にソ連代表のチームメートだったオレグ・プロタソフと共にガンバ大阪に加入。本職のセンターバックに加え、デビューしたばかりの宮本恒靖とダブル・ボランチを形成し、重戦車のようなドリブル突破で攻撃にも顔を出した。自身のファールにより与えたPKをGK本並健治が止めた際、彼の頬に濃厚な祝福のキスをした場面は、Jリーグ史に残る名(迷)場面として語り継がれている。
バルセロナを退団後は、母国やサウジアラビアで過ごし、1998年に柏レイソルへ。ピークは過ぎていたが、同年のセレッソ大阪戦で沈めた弾丸FKや、ワンステップで繰り出されるライナー性のサイドチェンジなどで、何度もファンの度肝を抜いた。
清水エスパルス(2011-2012)
スウェーデン代表(2000、2004、2008)
2度のワールドカップ、3度のユーロに出場した2000年代のスウェーデンを代表するアタッカー。推進力のあるドリブルで敵陣を縦横無尽に掻き乱し、2列目からの鋭い飛び出しでゴールを奪った。
初の国際舞台となったユーロ2000ではグループリーグ3試合にフル出場したものの、決勝トーナメント進出はならず。4年後の2004年大会では一戦目のブルガリア戦で先制ゴールを奪うなどチームに勢いをもたらし、ベスト8入りに貢献した。4年後の2008年大会では主将を務め、グループリーグ3試合にフル出場したものの8強には届かず、大会後に代表からの引退を表明した。
クラブレベルでは1998年にアーセナルに入団し、2001-02シーズンはプレミアリーグとFAカップの2冠達成に尽力。9シーズンに及んだアーセナルでの在籍を経て、キャリア晩年はアメリカやスコットランドを転戦。そして2011年9月、清水エスパルスに加入した。
Jリーグに久々にやって来た大物外国人として注目を集めたが、負傷もあって公式戦11試合に出場したのみで退団し、現役引退を表明。2014年にインドで3カ月のみ現役復帰を果たしている。
■パベル・ホルバート“ホルヴィ”
ヴィッセル神戸(2004-2006)
チェコ代表(2000)※出場機会なし
左足から放たれる強烈なミドルシュートと精度の高いプレースキックでチャンスを演出したMF。1996年から名門スラヴィア・プラハで頭角を現し、1999年にチェコ代表デビュー。3年間で19キャップを刻んだ。ユーロ2000のメンバーに選出されたものの、パヴェル・ネドヴェドやトマシュ・ロシツキら中盤の分厚い選手層を前に、自身の出場機会は回ってこなかった。チェコはグループリーグを1勝2敗で終え大会を後にした。
海外挑戦となったスポルティング・リスボンやガラタサライでは苦戦したものの、同胞のイワン・ハシェックに請われ2004年に加入したヴィッセル神戸では3年間で60試合に出場、12ゴールを挙げるなど、本領を発揮した。
神戸を退団後も長らく現役生活を続け、スパルタ・プラハで自身初のリーグ制覇を経験するなど、30歳を超えてキャリアの全盛ともいえる時期を過ごした。2008年に移籍したヴィクトリア・プルゼニではキャプテンを務め、リーグ連覇に貢献。2012年にはヨーロッパリーグ史上最高齢となる37歳214日でゴールを記録し、2015年、40歳で現役生活に幕を下ろした。
■アフリク・ツベイバ
ガンバ大阪(1994-1996)
CIS代表(1992)
旧ソビエト連邦、ジョージア出身のセンターバック。1990年にソ連代表に初選出され、同年のワールドカップに参加。ユーロ92にはCIS代表として臨み2試合にスタメン出場したが、2枚の警告をもらい、3試合目は欠場となった。のちにウクライナ代表、ロシア代表としてもプレーしている。
1994年にソ連代表のチームメートだったオレグ・プロタソフと共にガンバ大阪に加入。本職のセンターバックに加え、デビューしたばかりの宮本恒靖とダブル・ボランチを形成し、重戦車のようなドリブル突破で攻撃にも顔を出した。自身のファールにより与えたPKをGK本並健治が止めた際、彼の頬に濃厚な祝福のキスをした場面は、Jリーグ史に残る名(迷)場面として語り継がれている。
