高校国語の再編 「文学軽視」の改善は当然だ
文学を学ぶ生徒が減ることは、予想された事態である。
当初から批判の強かった改革を文部科学省はなぜ強行したのか、疑問が拭えない。
2032年度以降に実施される高校の次期学習指導要領を巡り、文科省が、国語の科目構成を再編する案を中央教育審議会の部会に示した。
22年度から始まった現行の指導要領は、思考力や表現力を重視するとして、討論や発表を通じた「主体的・対話的で深い学び」の理念を各教科に盛り込んだ。
これに伴い、国語を「論理的・実用的」か「文学的」かで分け、評論や実用文を扱う「論理国語」や、小説などを学ぶ「文学国語」など四つの科目を新設して、選択できるようにした。
次期要領では、これらを改めて統廃合するという。それにより、文学に触れる機会が増える見通しだ。新設した科目を次の改定で廃止するのは異例だが、それだけ弊害が明らかだったと言える。
そもそも現代文を「論理」と「文学」に区別すること自体、無理がある。見直しは当然である。
作家や学術界は早い段階から「文学の軽視につながる」と危惧していた。実際、ほとんどの高校生は、大学入試で出題されやすい「論理国語」や「古典探究」を選択し、理系志望者を中心に、授業での「文学離れ」が進んだ。
人は言葉によって思考し、人格を形成する。特に感受性豊かな高校時代は多様な文章に触れるべきだ。「論理か文学か」と二者択一を迫るような改革で、バランスの良い学びにつながるだろうか。
人を育てるという教育の原点に立ち返り、文字を読むこと、書くことの大切さを今一度考える時だ。学校現場は次期要領を待たず、今からでも文学をしっかりと教える工夫をしてほしい。
文科省は今回の再編にあたり、人工知能(AI)の時代には一段と人間同士のコミュニケーションの重要性が増しているとして、「自らの考えを論理的に表現・対話する力」や「人間ならではの感性」の育成を目的に掲げた。
異論はないが、現状は既に「読み、書き、考える」という基本さえ危うい。SNSの短文に慣れ、長文を読めない人が多いという。最近は、読むのが面倒だからと、AIに要約させる人もいる。
短い動画を受動的に閲覧することが習慣になっている世代に、どうすれば能動的に学ぶ意欲を持たせられるか。家庭や小中学校でも、真剣に考えねばなるまい。
