【追悼・内館牧子さん】吉永みち子「新日本プロレスの試合、2人で一番前のかぶりつき席に陣取って、大声で応援して」
脚本家・小説家として数々のヒット作を世に送り出してきたほか、女性初となる日本相撲協会横綱審議委員を務めるなど多方面で活躍した内館牧子さんが、2025年12月に逝去されました。享年77。30年以上の長きにわたって親交のあったノンフィクション作家の吉永みち子さんが、思い出の日々を語ります(構成:篠藤ゆり)
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プロレス観戦が毎年の恒例行事に
内館牧子さんと最後に会ったのは2025年2月、雑誌の対談でした。内館さんが『迷惑な終活』という小説を書いたことから終活の話になって、「私たちが95歳と93歳になった時にも競馬と相撲の話をしよう」と盛り上がってね。すごく元気だったのに……。
それから4ヵ月後の6月にも一緒の仕事の予定があったのだけど、体調が悪いので欠席と連絡がありました。さらに次の予定もキャンセルで、いささか不安になって内館さんの秘書さんに連絡してみたのです。
「お見舞いに行きたい」と伝えたけれど、「今は難しい」というような返答だったから、もしかしたら容体が芳しくないのかな……と心配しつつ連絡を待つことにしました。そうしたら、12月に訃報が。まさか突然のお別れになるとは、思ってもみませんでした。
出会いは1992年、彼女が44歳で私が42歳の時。NHK連続テレビ小説『ひらり』の脚本を書いていた内館さんにインタビュー取材をお願いして、初めてお目にかかりました。会うまでは怖い人かなと思っていたけれど、すごく楽しく話せてね。後日、共通の知人を交えて一緒に食事に行くことになりました。
皆さんご存じのとおり、内館さんは相撲が大好きで、私は競馬が好き。でも、話しているうちにどちらもプロレスが好きだという共通点が見つかって、「今度プロレスを観に行こう!」と盛り上がったの。
それからは毎年、新日本プロレスがお正月明けに開催する「1.4東京ドーム!」と8月の「G1クライマックス」に一緒に通うようになって、コロナ禍になるまでずっと続いていました。2人で一番前のかぶりつき席に陣取って、大声で応援して、楽しかったね。
ある年のG1クライマックスの日、台風が首都圏を直撃。不要不急の外出は控えるようにと報道されていたから、「どうする?」と朝から電話で話していたんだけど、「ここで行かないと女がすたる!」と意見が一致(笑)。
当時、内館さんは車高が高いランドクルーザーに乗っていたから、少々の雨は大丈夫だろうと迎えにきてくれて、一緒に武道館へまっしぐら。途中、浸水箇所もあったけど、「タクシーが浮いてる!」「こんな日にプロレスを観に行く私たち、すごいよな」なんて言いながら会場に向かったのはいい思い出です。
別の年、プロレスを観た後、食事をしようとあるホテルに入ったら、レストランの入り口に「スポーツ新聞と競馬新聞をお持ちの方は入店をお断りします」と貼り紙があったの。それを見て私たちは、「これは差別だ! 気に入らん!」と息巻いた。
で、ここが面白いんだけど、彼女が思い出語りするときは、「店長を呼び出して抗議した」となるんです。でも実際は、お店に置いてあった要望用紙に、抗議文と「日本相撲協会 内館牧子、日本中央競馬会 吉永みち子」って名前を書いて、店長に渡したの。2人とも、相撲協会員でも競馬会職員でもないんだけどね(笑)。
たぶん彼女は、記憶を脚色したんでしょう。店長を呼び出して抗議するほうがドラマ的だもの。やっぱり根っからの脚本家で、創作の世界の人。そこが、ノンフィクション作家の私とは違うのよね。

ノンフィクション作家の吉永みち子さん(撮影:本社・武田裕介)
2人でイタコをハシゴする旅へ
旅行にもよく一緒に出かけました。誰かと24時間、それも何日もとなると、見たくないところを見てしまったりして、ダメになるケースってあるでしょ? 保守的な内館さんとリベラルな吉永というように、私たちは性格も思想信条も正反対だったけれど、不思議とそうならなかった。
しょっちゅう「なんでそう思うのかねぇ」なんて言い合いながらも、笑いが絶えないし、そうしたことも含めて面白く感じていたんだね。
そんな内館さんは54歳の時、「養老院より大学院だ!」と言って、東北大学大学院で大相撲の宗教学的考察の研究を始めました。民間宗教も研究範囲だったようで、ある時、「イタコに会いに青森県の恐山に行って、双葉山(戦前の大横綱)の霊を降ろしてもらった」と興奮気味に電話をかけてきたの。
降ろしてほしい人の没年月日と関係を聞かれたとき、「知人」って言ったっていうから、「向こうはあんたのこと知らないでしょ!」と突っ込みを入れましたよ。(笑)
でもね、なんとイタコの第一声が「見ず知らずのあなたが、私を呼んでくれてうれしい」だったらしいの。彼女は素直だから、「知人じゃないのがわかったんだから、イタコの能力は本物だ!」と大興奮。
でもノンフィクション作家の私は疑り深いから、それだけでは納得できない。「だったら一緒にイタコに会いに行こうよ」ということになって、何人かのイタコの方をハシゴするっていう旅が決定したの。
内館さんは親や親戚に恵まれ、愛されて何不自由なく育った人。だからか、父親や母親の霊を呼び出すと、どのイタコからも「よく来てくれたねぇ」とほのぼのとしたことを言われていました。
一方の私は母親と確執があったから、「あの世でバトルの続きをやるのは面倒くさい。この機会に母親の霊を呼び出して決着をつけよう」みたいな気持ちで臨んだわけです。
すると最初にお願いしたイタコが言い放ったのが、「子どもには優しい子と優しくない子がいる」。それは昔、私が母から言われて傷つき、二度と聞きたくなかった言葉。
イタコの言葉を聞いている私の殺伐とした雰囲気を感じたのか、内館さんが慌てだして、団扇であおいでくれたり、背中をさすってくれたりしてね。私たちは生育環境も正反対なんだな……と思い知らされながらも、本当に不思議な二人旅だった。
<後編につづく>
