女子短大生が刺殺された現場

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「起こるべくして起こった事件だ」――捜査幹部の一人はそう吐き捨てたという。

 今からちょうど25年前、2001年の4月30日、東京・浅草で19歳の女子短大生がレッサーパンダのぬいぐるみ帽子をかぶった男に刺殺された。10日後の5月10日に逮捕されたのは、Y(29=当時)。いわゆる「レッサーパンダ帽殺人事件」である。【前編】では当時の「週刊新潮」記事を元に、事件の発生と、目撃されていた犯人の異様な行動について記した。【後編】では、逮捕されたYの、前科4犯、犯罪と放浪を繰り返した特異な人生について詳述する。
(「週刊新潮」2001年5月24日号記事を一部編集の上、再録しました。文中の年齢、肩書などは当時のものです)
【前後編の後編】

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【写真を見る】異様すぎるレッサーパンダ帽の実物。逮捕された凶悪犯・Yの素顔も

勤務先からの通報で

 似顔絵の公開、累犯洗い出し、レッサーパンダ帽目撃情報の追跡等々で炙り出された容疑者は、ゴールデンウィーク休みが終わる頃には「数人」にまで絞られていた。

女子短大生が刺殺された現場

 そして、5月10日、Yが3日前から働いていた建設会社からの通報で、一気に事件は解決するのである。

実弟の告白

 Yは、昭和47年2月、札幌生まれ。父母に弟、妹という5人家族の長男である。

 Yは生来、知能に障害を抱えていた。小中は通常クラスだったものの、高校は札幌の高等養護学校に通っている。

 IQは49程度で、知能は小3レベル。文章を書かせても平仮名ばかりで、“お”と“を”、“わ”と“は”の区別がつかないのだそうだ。

 以下、実弟の告白である。

「もし、許されるなら、俺がボコボコにして、被害者と同じようにしてやりたい。いや、それよりもアイツ(兄)をもっと苦しむように殺したい。被害者に申し訳ない気持ちでいっぱいです。でも、俺が頭の中で兄と思っていなくても、やはり兄というのは事実なんです。“お前は裁判で裁かれたとしても許されることはない。一生苦しんで償え”と言いたいです」

母の急逝

 今は運送会社で働くこの弟が、兄の障害に気づいたのは小学生の頃だった。

「父親が“困っている”と言っていましたが、それまでは普通に遊び、イタズラする子供だった。しかし、小学5、6年の頃から急に内気になったんです。言葉のやりとりが普通にはできませんから、たぶんイジメに遭っていたんだと思います。友だちに囲まれて何も反論できず、俺が助けたことも何度かありました。どうしてイジメられていたか聞いても、説明できない。単純な話はできますが、会話が長くなると頭が整理できないんです。最初に言ったことと後で言うことが違ってくる。そんな兄でした」

 彼が凶暴性と放浪癖を発揮し始めるのは、唯一の庇護者だった母が骨髄性白血病でわずか40歳で亡くなってからだ。

 中学の担任によると、

「当時のYはいつもニコニコして怒る姿をほとんど見たことがありません。でも家庭の中では母親しか信頼していない感じでした。母親も目の中に入れても痛くない可愛がりようで、養護学校への進学も“手に職をつけた方がいいのでは”と私がアドバイスして、母親が決めたものです」

 その最愛の母親が亡くなるのは平成元年10月。Yが高等養護学校2年の時だった。

「アイツは葬儀後、母親が死んだということが分かったらしく、ますます内気になり、人と接触しなくなりました。養護学校を卒業後、クリーニング屋に勤めるのですが、放浪癖でクビになるんです。その頃から一緒に住んでいながら、俺はアイツを心の中で兄と思わないようにしていました。でも、俺と養護学校の先生で相談して、クビになっていたアイツを俺が勤めていたペンキ屋に就職させてもらったんです。父親も少しあとに同じペンキ屋に入りました」(弟)

収まらない放浪癖

 しかし、再就職してもYの放浪癖は収まらなかった。

 ペンキ会社の社長がいう。

「3、4カ月ごとに彼はいなくなりました。家財道具を質に入れたり、サラ金でお金を借りることを覚えたんです。家財一切を質草に入れようとして大騒ぎになったこともありました。弟の金を盗んだこともあり、そうやって得た金で放浪し、なくなると帰ってくる、という繰り返し。札幌駅に彼の運賃を払いに私や父親がよく呼び出されました」

 普段は黙々と仕事をするYは、突然、凶暴性がムキだしになる時があったという。

「先輩社員にからかわれたことに腹を立て、ワーワー叫びながらその社員に殴りかかったことがあります。普段は大人しいのに、その落差に驚くばかりで……」(同)

再犯の可能性が大

 Yは放浪を繰り返す過程で必然的に犯罪にも手を染めるようになる。

 平成3年には窃盗、同5年には、刃渡り30センチのナタを自宅で振り回して銃刀法違反、さらに翌年には、函館で強制わいせつで逮捕されている。

「いきなり34歳の女性の左わき腹にモデルガンを突きつけ、“金を出せ”と脅し、公園に連れ込み、胸や下腹部をまさぐっています。髪が長く足が細い女性が好みらしく、そのタイプを狙ったようです。女性は銀行でお金を下ろす、と言って助けを求め、彼は逮捕されるのです」(担当弁護士)

 裁判では、被害女性が、

「厳重に罰して欲しい」

 と訴え、検事も、

「このままでは再犯の可能性が大である」

 と主張しながら、なぜか判決は懲役3年執行猶予5年。判決即釈放となっている。

「簡易鑑定では善悪の判断ができるという結果が出ました。彼はいろいろなことを鑑定でしゃべっています。小中時代にイジメに遭い、そのため集団への参加に臆病になったこと。家庭の中では父や弟、妹とまともに口をきかず、母親だけが自分のことを分かってくれること。小5の時から授業に全くついていけなくなったことなどです」(弁護士)

今も母親の幻影を追っている

 そして、執行猶予中も放浪を繰り返し、今度は平成11年、青森のカラオケ屋で無銭飲食・宿泊で捕まり、執行猶予を取り消されている。今年(2001年)1月、出所したばかりのYは今回の事件へと突き進んでいくのである。弟がいう。

「昔はオヤジも俺ら子供を曲がらないよう一生懸命教育していました。ひっぱたかれたこともあります。でもオヤジも母が死んでからめっきり老けてしまって……。アイツにも何も言わなくなりました。もう誰もアイツを庇おうとは思わなくなったんです」

 彼の家庭は、母親の死で完全崩壊していたのである。捜査官によれば、取調べで答えられない質問が飛ぶと、

「お母さんを呼んできて」
「お母さんが知っている」

 と、Yは、意味不明の言葉を発するという。

「こっちが“どういうことだ?”と聞いても黙ってしまう。彼は母親の庇護が今であると思っているのかもしれない。今も母親の幻影を追っている感じです」(捜査官)

新たな被害者は増え続ける

 放浪と犯罪を繰り返しながら野放しにされてきたこの若者は、誰も受けとめてくれる人間が存在しないまま、凶悪殺人犯となるのである。

「彼は母親が死んだ事実を今も受け入れておらず、母親と自分が人格的にまだ分離できていないのでしょう。“お母さんが知っている”というのは過去に母親にだけ打ち明けている大事な出来事があったのかもしれません。いずれにせよ、彼は他人への共感を持つ能力に乏しく、やりたいことをしたいと思った時にやってきた。刑の執行と治療の両方を備えた施設で矯正しなければ、類似の事件はこれからも起こります。今後も新たな被害者は増え続けますよ」(小田晋・筑波大学名誉教授)

 被害者が浮かばれる時は、果たして来るのか。

 ***

 逮捕、起訴後の公判では、Yの生い立ちがさらに詳らかになった。父親にも知的障害があり、職を転々とし、パチスロで生活費のほとんどを食い潰していたばかりか、Yに対しても、青竹で叩いたり、真冬に服を脱がせて外に放り出したりするなどの折檻をしていたこと。母亡き後、一家を支えていた妹が癌を患い、公判中に亡くなったこと。彼の凶暴性が明らかになると同時に、そうした境遇のYをほったらかしにしていた行政や福祉の問題点もまた明らかになり、大きな論議を呼んだのである。

「週刊新潮」2001年8月16・23日号で、被害女性の父はこう述べている。

「今思うことは、娘の死を無駄にせず二度とこんな悲劇が起こらないようにしてほしいということです。しかし、それでも娘は帰ってこない。それだけが本当に悲しい……」

 事件から3年後の2004年11月26日、東京地裁はYに無期懲役の判決を下した。Yは控訴したものの、後に取り下げ、判決は確定した。

 事件から25年が経った今では、触法障害者の問題はメディアでさまざま報じられるようになってきた。刑務所にいる受刑者のうちの22.9%がIQ69以下の知的障害があるとの統計も出ている(平成18年矯正統計年報)。今も獄中にいると思われるYは、果たして更生しているのだろうか。「レッサーパンダ帽殺人事件」は、今なお、凶悪犯罪をいかに社会が防止するかについて、多くの問いを投げかけている。

【前編】では当時の「週刊新潮」記事を元に、事件の発生と、目撃されていた犯人の異様な言動について記した。

デイリー新潮編集部