『惡の華』©「惡の華」製作委員会2026©押見修造/講談社

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 2026年春ドラマの最注目作といえば、佐野亜裕美P×蛭田直美脚本、黒木華×野呂佳代W主演の『銀河の一票』(カンテレ・フジテレビ系)だろう。そこには微塵も異論の余地がない。しかし、春ドラマには甚だ悩ましい問題もある。それは、木曜深夜にドラマの「本気」が集まっていることだ。

参考:鈴木福×あのが体現する“絶望の青春” TVドラマ版『惡の華』が暴く自意識の正体

●地上波×配信がタッグを組んだ、木曜深夜の“異常事態”

 ゴールデンでもなく、週の終わりでもない。日付が変わるあたりの時間帯に、いま、地上波と配信プラットフォームがタッグを組んだ攻めた連ドラが3作も並走している。

 読売テレビ・日本テレビ系木曜ドラマ枠の『君が死刑になる前に』、テレビ東京の『惡の華』と『るなしい』。ジャンルもテイストもまったく違うが、「視聴率より熱量で勝ちにいく」という点で、この3作は完全に同じ方角を向いている。

●『君が死刑になる前に』:唐田えりかの翳りと加藤清史郎の湿度

 トップバッターを切るのは、加藤清史郎が地上波連続ドラマ初主演を飾る『君が死刑になる前に』だ。

 世間を震撼させた「教師連続殺害事件」の犯人として死刑が執行された女性・大隈汐梨(唐田えりか)と、彼女の死刑執行と同時刻にドキュメンタリー映画の撮影のために集まっていたフリーター・坂部琥太郎(加藤清史郎)、大学時代の映画サークル同期・馬渕隼人(鈴木仁)、後輩で町役場職員の月島凛(与田祐希)の3人が、運転中に突如7年前にタイムスリップしてしまう。3人がたどり着いた7年前の世界では、汐梨はまだ事件の渦中にあり、最初の殺人を犯したとして指名手配を受けて逃亡中だった。彼女は3人にこう告げる--「私は、殺していません」。

 完全オリジナルの本格サスペンスである。タイムスリップ、ドキュメンタリー映画、過去改変。複数のモチーフが交差しながら、「すでに死刑が執行された人間と過去で日常を共にしたとき、その素顔をどこまで信じられるか」というねじれた問いに、観る者を引きずり込んでいく。

 脚本は『クラスメイトの女子、全員好きでした』(読売テレビ・日本テレビ系)を手がけた森ハヤシと、NHK夜ドラ『いつか、無重力の宙で』が第63回ギャラクシー賞テレビ部門にノミネートされた武田雄樹。プロデューサーには、同じく『クラスメイトの女子、全員好きでした』や『彼女たちの犯罪』(読売テレビ・日本テレビ系)を手がけてきた矢部誠人。読売テレビ木曜23時59分枠が、ジャンルにとらわれず一筋縄ではいかない題材を仕掛けていく“実験枠”としての色を獲得しつつあることが、この布陣からも伝わってくる。

 このドラマの巧みさは、汐梨を「冤罪」とも「真犯人」とも断定させずに泳がせ続けるところだ。「私は殺していません」と訴える一方でアリバイは曖昧であり、不審な行動も多く、現場の近くに彼女がいたという目撃情報も出てくる。琥太郎たちの目線とともに、観る者の確信もぐらぐらと揺れる。

 それを成立させているのが、唐田えりかの存在感だ。少女のような無垢さと得体の知れない翳りが、一人の人間のなかに矛盾なく同居している。「この人は本当に殺していないのではないか」と思わせる瞬間と、「やはりこの人が殺ったのではないか」と思わせる瞬間を、同じ顔でやってのける。サスペンスの動力源として、彼女の起用は極めて効いている。

 そして、加藤清史郎の芝居がこの作品の屋台骨を支えている。子役時代から長い時間をかけて積み上げてきた静かな演技が、「うだつの上がらないフリーター」という地味な造形を、その空気感で説得力に変えていく。

 死刑が執行された女と過去で日常を共にする--この異常な状況を引き受けるのに、加藤の佇まいはちょうどいい湿度を持っている。汐梨を信じたい気持ちと疑う気持ちのあいだで揺れる琥太郎の表情を、加藤は過剰なリアクションを使わずに刻む。観る者の確信がぐらつくたびに、加藤の表情も同じだけぐらつく。その同期の精度が、この作品をミステリーとして見事に成立させているのだ。

●『惡の華』:鈴木福とあのが体現する、思春期の衝動と狂気

 続く木曜24時のテレビ東京『惡の華』は、押見修造の同名漫画の三度目の映像化となる。群馬・ひかり市の閉塞した田舎町で、ボードレールの詩集『惡の華』だけを心の支えにする中学2年生・春日高男(鈴木福)が、憧れの同級生・佐伯奈々子(井頭愛海)の体操着を衝動的に盗んでしまう。その現場をクラスの問題児・仲村佐和(あの)に目撃されたことで、春日は仲村と「主従関係にも似た契約」を交わすことになる--。

 中学編・高校編・未来編にまたがる全12話。脚本は目黒啓太・たかせしゅうほう、監督はヤング ポール・井口昇。ディズニープラスのアジア独占配信を伴走に得て、地上波の深夜枠の規模を超えた手数で映像化に挑んでいる。このドラマの最大の発見は、鈴木福と「あの」のキャスティングだろう。

 鈴木は、思春期特有の「自分は特別だ」という自意識と、抑え込めない衝動に翻弄される春日を、過剰にも不足にも振らずに刻む。声変わりの過程まで知っているような俳優が、体操着に顔を埋めて自己嫌悪と興奮の狭間で固まる芝居をやる--それだけで、この作品は半分成立していると言っていい。

 あのが演じる仲村佐和は、原作の「クソムシが」という侮蔑をそのまま体現するような、純粋さと反逆精神が同居したキャラクターだ。狂気としてではなく、「自分の中の普通に正直に生きている人」として演じられる仲村は、ときに春日より大人びて、ときに無防備に幼く揺れる。井頭愛海の佐伯、中西アルノ(高校編から登場する常磐文役)も含め、配役の妙が原作ファンの期待を決して裏切らない。

 子役からの長い助走を経て、近年は地上波・配信を行き来しながら役の幅を広げてきた鈴木福にとって、テレビ東京の地上波ドラマで主演を張るのは今回が初めてだ。押見修造原作という重量級の題材に、俳優として正面から組み合う姿は、いま目撃しておくべき瞬間である。

●『るなしい』:原菜乃華が引き込む自己実現とカルトの境界線

 そして木曜24時30分、テレビ東京『るなしい』。原菜乃華を主演に据えた宗教純愛サスペンスだ。意志強ナツ子による同名漫画は、2022年上半期『週刊文春エンタ漫画賞!』最高賞を受賞。「火神の子」として生きる女子高生・郷田るなが、初恋の人気者・ケンショー(窪塚愛流)への復讐心から、彼を信者ビジネスに引きずり込んでいく。脇を固めるのは本島純政(幼馴染・スバル)、影山優佳(後輩・大内塔子)、根岸季衣(おばば)ら。

 このドラマが鋭いのは、「自己実現」「夢は叶う」「あなたは輝ける」といったフレーズの胡散臭さを、宗教ビジネスを通じて浮かび上がらせる点だ。

 自己啓発セミナー、SNSのインフルエンサー、就活の面接対策に染み渡るこの言葉たちと、カルトは地続きである。そのことを、少女漫画のきらめきと、鍼灸院の奥のおどろおどろしさの落差で見せていく。「神の子」の才能が人を輝かせる力であるなら、それは紙一重で人を闇に引き込む力でもある。光と影が同じ光源から生まれていることを、画面そのものが語っているのだ。

 旧統一教会問題が解散命令と韓鶴子総裁逮捕を経てなお棚上げされ続け、衆院選では教団との接点が指摘された議員が大量に当選した--その2026年の春に、宗教二世の物語を地上波で放送する意義は重い。

 NHK連続テレビ小説『あんぱん』で可憐なヒロインの妹を演じた原菜乃華が、連ドラ初主演でこの役に挑んでいる。野暮ったさと貫禄を同時に放つ稀有な佇まいは、見るほどに「この役はこの人しかいない」と思わせる。窪塚愛流が原作の翳りを脱ぎ捨て、より無垢な青年として刻むケンショーもまた切ない。

●なぜ「木曜深夜」が主戦場となったのか

 ここで思い起こされるのが、特定の曜日・時間帯に良作が偏って集まる現象が、近年も周期的に起きてきたという事実だ。

 とりわけ目立っていたのは、火曜22時。2024年後半、火曜22時のNHKドラマ10は、批評的に骨のある作品を続けて送り出していた。河合優実主演『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』や、窪田正孝主演『宙わたる教室』などが数々の賞を受賞。同じ時間帯のTBS火曜ドラマでは、『西園寺さんは家事をしない』が配信を中心に大きな共感を呼んだ。題材も切り口もまったく違うが、火22時で「家族や共生や学びを真正面から考えるドラマ」が奇しくも並んだ時期だった。

 つまり、ドラマ史を振り返ると、攻めた企画はいつも「どこかの曜日・どこかの時間帯」に偏って集まる傾向がある。問題は、その「どこか」が今期は木曜深夜だ、ということだ。なぜ火曜22時ではなく、木曜深夜なのか。考えられる理由はいくつかある。

 ひとつは、KPIの転換だ。視聴率という従来のものさしだけで測れば、深夜枠は数字が出にくい。しかし、配信プラットフォームの伴走と独占配信によって、初回視聴率ではなく総再生数や完走率、SNSでの語られ方が物差しとなる時代に入った。木曜深夜の三作はいずれも独占配信の出口を持ち、放送と配信の二段構えで熱量を回収する構造になっている。視聴率に縛られないからこそ、踏み込んだ題材を踏み込んだまま放送できる。プライムタイムでは難しい設計が、深夜枠なら通るのだ。

 もうひとつは、編成側の意思だ。読売テレビ木曜23時59分枠は、プロデューサー・矢部誠人を軸に、ジャンル横断的に踏み込んだ題材を継続的に投下している枠として、固有の色を獲得しつつある。テレビ東京の木曜24時帯も、ウェブコミック原作の不倫略奪復讐モノが増えていたなかで、『惡の華』『るなしい』のように「抑圧された個と、社会の閉塞感からの開放」を地続きで扱う作品を同時に投入したことには、明確な編成判断が透けて見える。「枠の色を作りにいく」という意思が、3局それぞれに同時発動した結果として、木曜深夜が今期の主戦場になった。

 そして最後に、視聴者の側の変化もある。リアルタイム視聴を前提としない時代だからこそ、放送時間帯は「いつ録画するか」「いつ配信を見るか」の入り口にすぎない。深夜帯は、もはや「ニッチに追いやられる場所」ではなく、「ターゲットを狙い撃つ場所」として再定義されつつある。

 熱を持った企画は、置かれる場所さえあれば必ずどこかに浮上してくる。火曜22時にそれが集まった時期もあれば、いま木曜深夜にそれが集まる時期もある。次にどの曜日・どの時間帯に「本気」が集まるのかを占うために、いま木曜深夜に起きていることをきちんと見届けておきたい。

(文=田幸和歌子)