1987年7月、日本に到着した「ひまわり」

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【写真】「種まく人」「浜辺の漁船」…ゴッホの名作をおさらい

名画は常に「主役」である

 世界に名画は数あれど、日本で特に有名な作品といえばフィンセント・ファン・ゴッホの「ひまわり」である。1987年3月末、世界に衝撃を与えた記録的高値での落札。同年4月9日には、その購入者が日本の損保大手・安田火災(現在の損保ジャパン)だったことが判明し、国内外でさまざまな議論が沸き起こった。

 一方で、一連の騒動は日本におけるゴッホの知名度を向上させた。これまで数々の「ゴッホ展」や関連展が開催され、近頃も2025年7月からの「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」が、現在は「大ゴッホ展」が好評を博している。

 作品自体が持つ魅力はもちろん、まつわる“物語”もまた名画の条件。ゴッホ自身の生涯を含め、その作品にはひときわドラマが多い。1987年の“来日”後も、さまざまな騒動の主役となり続けている「ひまわり」を、「週刊新潮」のバックナンバーで辿ってみよう。

1987年7月、日本に到着した「ひまわり」

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5分足らずで53億円落札

 1987年3月30日、英ロンドンでオークションハウス「クリスティーズ」の競売が行われた。目玉はその日が誕生日にあたる有名画家、ゴッホの「ひまわり」。確認されている作品群7点(1点は日本で焼失)のうち1点である。それが5分足らずで、しかも2250万ポンドという超高額で落札されたニュースは瞬時に世界を駆け巡った。ある画商の証言。

〈「言い値が1300万ポンドを超えると、競売場の出席者からは声が上がらなくなりましたね。会場左手に並んだ8台ほどの電話のうち、外国からの指示を受ける2台の競り合いになって、2000万ポンドを超えた時には、『オーッ』と大きいどよめきが起こりました」〉(1987年4月16日号)

 その年の平均レート(1ポンド=236円)で換算すると約53億円。クリスティーズは買い手を「外国人コレクター」と発表したが、これほどの金額を用意できる“外国人”は限られている。そこで注目されたのは当時バブル景気だった日本。「落札者は日本人」の説を追った事情通はこう語った。

〈「中には『99%日本人に違いない』と断言するアメリカの画商もいました。では誰か。いろいろ調べてみたのですけれど、最近、政界のオークションで勇名を馳せている松岡清次郎氏も今回は違うようだし、5億円のモンドリアンを買って世間を驚かせた亀山茂輝氏でもない」〉(同)

落札後の猛批判

「落札者は安田火災」の文字が新聞各紙を飾ったのは落札から10日後、4月9日のことだった。購入の理由は創業100周年記念事業。前身企業の創業日(1888年10月)と「ひまわり」の完成日(1889年1月)が近いことから白羽の矢を立てたという。

 そこで発生した新たな騒ぎは国内外からの猛批判だった。たとえば、英経済紙「フィナンシャル・タイムズ」はこの調子。

〈「安田の美術界への突然の進出について、ある東京のディーラーは『美術における“グッチ症候群”だ』とこぼした。『日本人はブランドが好きだ。ゴッホも一流品だからね』」〉(1987年4月23日号)

 そして、国内大手損保の幹部たちも。

〈「金融市場は金余りで、日本の金融機関は海外資産、たとえばアメリカのマンハッタンのビルなどをどんどん買い漁っていて、それに対する国際批判がある。そういう時期に53億円の絵を買ったりすれば、批判を更に高めてしまう」〉(同)

「その金を顧客に還元すべき」といった意見もあったが、安田火災側は「できるだけ多くの方に社会還元したい」とその意図を説明した。当時の広報室の話。

〈「今期でおそらく1兆7、8000億円になる総資産は、1世紀にわたるお客様のおかげですから、それを還元する手段として絵を考えたのです。所有者は安田火災ではありますが、自分たちのものという感覚ではないんですよ」〉(同)

度重なる贋作騒動

 買い手判明から3カ月半後の7月20日、「ひまわり」は日本に降り立った。東郷青児美術館(現在のSOMPO美術館)で一般公開され、1990年9月には「花の万博」(大阪)で9日間限定展示されている。

 海の向こうからはゴッホの贋作に関するニュースがいくつか届いた。それが「ひまわり」に及んだのは1997年のこと。騒動に火をつけたイタリアの美術専門紙によれば、現存するゴッホ作品のうち少なくとも45点は贋作であり、それに「ひまわり」が含まれているという。無論、安田火災は一切取り合わなかった。当時の文化事業室長の話。

〈「この絵は世界的に有名なゴッホ全集の監修者が本物だと認めているし、先だって来日したゴッホ美術館(オランダ・アムステルダム)のディルボルフ主任学芸員も真作だと明言している。にもかかわらず、アマチュア研究家やジャーナリストの意見がニュースになっているのです」〉(1997年11月13日号)

 この時に同社の会長だった後藤康男氏は、1987年に社長として「ひまわり」の購入を決めた人物である。その後藤氏の話。

〈「贋作騒ぎは名画に限って必ずといって良いほど付いてまわる。もし贋作だったら(クリスティーズに)補償してもらうなんて考えたこともありませんよ。『ひまわり』は会社にとって幸運の絵です。だからどんな事があっても手放すことはないね」〉(同)

 贋作疑惑が流れた背景には、ジャパンマネーで日本に集まった名画を安く買い戻したいという意向や、評論家などの売名行為があるともいわれた。

「ひまわり」とナチス

 1999年、“本家”であるゴッホ美術館の研究調査により再び真作と断定。その後も「ゴーギャンによる複製画」説が流れたものの、本家による真作のお墨付きもあって「ひまわり」の周辺は静けさを取り戻した。

 しかし今度は、本物であったことが逆に騒動を招く。2022年12月、米国イリノイ州の連邦裁判所で、所有権の返還あるいは時価相当額と損害賠償7.5億ドルを求める訴訟が起こされたのだ。原告はユダヤ人銀行家・美術収集家として知られたパウル・フォン・メンデルスゾーン=バルトルディの相続人である。

 この背景には、1998年に44の政府と組織が合意した「ナチス没収品に関するワシントン原則」があった。ナチスにより没収・損失された芸術品の返還について元所有者と協議し、「公正で公平な解決」を探るという内容である。

 この合意に法的拘束力はないが、世界では相続人らが動き始めた。日本でも2001年にパウル・クレーの水彩画「飛ぶ街」が、2004年にアルフレッド・シスレーの油彩画「春の太陽・ロワン川」がそれぞれ返還されている。

増え続ける「ひまわり」の物語

「ひまわり」に関する訴訟は、シカゴで「ひまわり」が展示された過去と、米国の2016年ホロコースト略奪美術品回収法に基づくものだった。だが、1年半後にはイリノイ州における「訴訟としての一般的な接点」が欠けているとして棄却され、2025年の控訴も同様の判断で棄却された。

「ひまわり」はそもそも自発的な売却であり、ナチスによる“略奪”にはあたらないと主張されている。この訴訟に関係した米国の弁護士事務所によれば、1934年にメンデルスゾーン=バルトルディがパリの美術商に委託。1987年にクリスティーズのオークションに出品したのは、その時の購入者だった。

 今も増え続ける「ひまわり」の物語。“俗世”で騒動が起きるほど、花瓶に差された15本のひまわりはむしろ、純粋で穢れを知らぬ美しさが際立って見える。

デイリー新潮編集部