同志社国際高校生「転覆死亡事故」でみえた「安全よりも優先されてしまったもの」
3月16日に沖縄県名護市辺野古沖で発生した基地建設抗議船転覆事故の顛末については関連記事「研修旅行の同志社国際高校生2人の命を呑み込んだ『危険の船』の正体」で解説した。しかし問題は抗議船の危険運用だけではなかった。
平然と繰り返され…
辺野古沖の「抗議船」転覆事故においては、沖縄県の責任も重い。「抗議船」の海上活動の危険性は以前から指摘されていた。工事水域には「臨時制限区域」が設けられ、区域の境界を明示するためのフロート(浮具)などが浮かべられているが、これを無視するような行動さえ、平然と繰り返されてきた。
にも関わらず、こうした危険行為に対処する姿勢を沖縄県は示してこなかった。海上運送法に基づく事業登録がなされていなかった問題も、沖縄県側が適切な監督責任を果たしていなかったのではないかとの指摘が、石垣市議会などから提出されている。
事故を受けた後の定例記者会見の場でも、玉城デニー知事は「抗議船というくくりで安全性に問題があるということではない」との考えを示し、反基地派を擁護する姿勢を見せた。
さて、2024年6月に、辺野古に資材を運び込もうとするダンプトラックを阻止しようと、ダンプの前に出た70代の女性を守ろうとして、男性警備員がダンプに巻き込まれて亡くなるという悲惨な事故が起こった。女性も重傷を負った。ここでも活動家たちによる、「命がけの勇敢な戦い」が、「牛歩戦術」を使って行われていたのである。
工事を担当する事業者側は、この事故以前から、抗議者が事故に巻き込まれないようガードレールを設置してほしいという要望を、県側に何度も提出していた。それどころか、事業者側で費用を負担するのでガードパイプを設置させてほしいとの声も上げていた。
だが沖縄県はいずれも「歩行者の横断を制限することになる」という珍妙な理屈をつけて、認めてこなかった。道路に座り込んだり寝転んだりするのは、明らかに道路交通法に違反する行動だが、こういう行為をやめさせる処置も、沖縄県は取ってこなかった。「滑走路の建設をできるかぎり邪魔したい」という玉城デニー県政の「思惑」としか考えられないものが、人の安全確保よりも優先されたものだろう。
大渋滞も発生
そもそも辺野古区の住民たちは、キャンプ・シュワブとの共生を受け入れていて、辺野古区民運動会には、キャンプ・シュワブの米海兵隊員やその家族も参加して相互交流が図られている。豊漁と航海の安全を祈願して、サバニと呼ばれる手こぎ舟を使って地域住民が速さを競い合うハーレー大会にも、キャンプ・シュワブの米海兵隊員は参加している。辺野古区の住民たちは、滑走路建設についても容認する立場を取っている。
にもかかわらず、辺野古住民ではない人たちも含む抗議活動により、辺野古では道路渋滞や違法駐車が常態化するなどの被害が生じている。大渋滞が生じると定時運行ができなくなるため、路線バスも辺野古周辺を迂回せざるをえなくなっている。こうした被害は辺野古の北に位置する二見区にも及び、二見区の宜寿次区長は「反対派の人たちは自分中心で、何をやっても正義だと勘違いしているのではないか。本当に腹立たしい」と語っている。
要請文に書かれていたこと
さて、今回の事故を通じて、同志社国際高校の在り方にも疑問が向けられた。過去の研修旅行のしおりには、転覆した2隻を運航していた「ヘリ基地反対協議会」からの「お願い」として、「ここの闘いは『座り込み』です。私たちの行動に賛同いただける方は、まず一緒に座り込んでください」との要請文が記載されていることも発覚した。
昨年8月の研修旅行の下見の際に辺野古には行っていなかった、事故当日に引率教員が波浪注意報の発表を把握していなかった、引率教員が船に同乗しなかった、「抗議船」への乗船だという説明を保護者にもしていなかったなど、高校生の安全よりも、イデオロギーを優先したのではないかと言われても仕方のない在り方が、同志社国際高校側にも数多く見られた。
事故の2日前の、同志社国際高校の研修旅行初日の「開会礼拝」で、「平和を作る人」として「不屈」船長の金井創牧師が紹介され、メッセージを読み上げ、祈祷も行っていたことも明らかになった。
なお、金井創牧師は沖縄県南城市にある「日本基督教団」佐敷教会に所属しているが、京都にある同志社教会も同じ「日本基督教団」に所属している。そしてこの「日本基督教団」の思想の偏りぶりもまた、凄まじいものになっている。
例えば日本基督教団は、今年の1月31日に「衆議院選挙にあたり排外主義の煽動に反対する緊急共同声明」なるものを出している。言葉遣いからして、世間のキリスト教のイメージとは随分かけ離れた激しいものだということがわかるだろう。
外国人をどんどんと受け入れたヨーロッパ諸国の惨状を知れば、不法入国の外国人が増えることにも懸念を持つのは当たり前ではないか。埼玉県川口市のように、地域住民との間で摩擦が発生している事例も実際に生じている。こうした事実を踏まえた健全な国民の懸念を「排外主義」「デマ」として切り捨てるのはいかがなものか。
他のキリスト教系学校も
「日本基督教団」も加盟する「日本キリスト教協議会」の思想の偏りぶりもまた、凄まじいものになっている。例えば「日本キリスト教協議会」は、2020年11月5日には「放射能汚染水の海洋放出に対する抗議文」を出している。福島第一原発から放出される処理水の残留放射能は、WHOの飲用水基準を十分に満たす安全なものであるのは科学的に示されているにも関わらず、「放射能汚染水」とのレッテル貼りをした上で、海洋放出に反対するという声明文だ。思想的な偏りは明白だろう。
「日本キリスト教協議会」は、2019年7月19日には「朝鮮民主主義人民共和国への謝罪文」を出している。戦前の日本が朝鮮半島を植民地化して暴虐の限りを尽くしたかのような歴史観に立ち、これに対する謝罪を踏まえて、北朝鮮側との間で、交流、親善、協⼒を実現したいとの立場に立っている。「安倍政権が傲慢な対アジア関係を続け」ていて、「貴共和国に対しても⾮礼極まる「制裁」を続けていますことに⼼より申し訳なく思っています」とも記されている。制裁の前提である日本人の拉致被害については一切触れていない。
この謝罪文を出した上で、「日本キリスト教協議会」は4人からなる訪朝団を結成し、北朝鮮の朝鮮基督教連盟との交流事業を目的に平壌を6日間訪問している。
ちなみに北朝鮮は、1948年に制定された憲法を1972年に廃止し、同年に新憲法を制定したが、この新憲法の中には「反宗教宣伝の自由」が認められている。「反宗教宣伝の自由」とは、「宗教が非科学的な反動教理であるということを自由に解説し、宣伝することのできる公民の基本権利」であり、「宗教の反動的な本質を徹底に暴露することにより、宗教を他国に対する思想的・文化的浸透の重要な手段としている帝国主義者の策動を打ち破るにおいて重要な意義を持つ」ものだと、北朝鮮では位置付けられている。北朝鮮の持つ宗教敵視政策がどれほど強固なものかがわかるだろう。
ただし、北朝鮮の初代最高指導者の金日成は「宗教をアヘンであるとしたマルクスの命題を私は否定しません。しかしこの命題をどんな場合にも適用しうると思うならば、それは誤算であります。日本帝国主義に天罰を下し、朝鮮民族に福を下さいと祈る天仏教にアヘンというレッテルをむやみに貼ることができるのでしょうか」と述べ、宗教を完全否定はしない姿勢も示している。ちなみに「天仏教」というのは、朝鮮半島で生まれた一種の仏教のことだ。
とはいえ、金日成が言いたいのは、宗教は否定すべき存在だとしながらも、北朝鮮が行いたい政治工作に利用できる範囲に限って、「信教の自由」を許す方がいいのではないかということにすぎない。こんな体制側に媚びなければ存在しえない北朝鮮のキリスト教組織と、なぜに友好関係を築きたいと「日本キリスト教協議会」は考えたのであろうか。
こうしたことから「日本基督教団」や「日本キリスト教協議会」が、日本人の平均的な意識とはかなり乖離した思想性を持っていることがわかるだろう。こうした団体との深い関わりを、同志社国際高校に限らず、日本国内の多くのミッションスクールが持っているのである。ここでは実名を上げないが、辺野古の「抗議船」への生徒の乗船をさせていた学校は、決して同志社国際高校に限らないこともわかってきた。
辺野古沖の2隻の船の転覆事故は、こうした根深い左翼の闇とも関わっているのである。
【はじめから読む】研修旅行の同志社国際高校生2人の命を呑み込んだ「危険の船」の正体
