水道事業は民間企業に任せてもいいのか。各国の水道事情に詳しい実業家の加藤崇さんは「イギリスは1989年に水道局を完全民営化している。その結果、水道料金は上がり続ける一方、水道サービスの質は大幅に低下した」という――。

※本稿は、加藤崇『水道を救え』(新潮新書)の一部を再編集したものです。

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■ロンドンだけでも年間平均6000件もの漏水が発生

イギリスの水道管が経年劣化していると聞いても、歴史の長さを考えれば、誰も驚かないかもしれない。だが、現状は想像以上だ。

政府統計(『Discover Water』)によると、イギリスの水道管路の総距離は、約34万5000キロある。日本のそれは67万6500キロだから、本州ほどしかない国土の面積に比例する形で、イギリスの水道管路の長さは、日本の約半分だ。

『BBC NEWS』によれば、水道管路(水道本管と呼ばれる、家屋の真下ではなく、道路の真下を通っている水道管路)では、首都ロンドンだけでも年間平均6000件もの漏水が報告されている。東京都は年間200件弱だから約30倍。面積の違いを考えるとざっと約40倍の頻度になる。

これらすべてに対応して水道管の適切な更新を行うとすると、向こう30年で1450億英ポンド(約21兆3700億円)ものお金がかかると試算されている。

それでいて、イギリス全体に布設されている水道管路の60%について、布設年度(配管の年齢)がわからないという。思慮深い国民性と言われるのに、なぜこんな状態になっているのか。ヒントは国家財政の窮迫と、その末の民営化だ。

■なぜイギリスは水道を民営化したのか

イギリスの水道事業者はアメリカや日本より、かなり少ない。全土でたったの18しかなく、民間企業だ。ただし、公営事業だった時代から少なかった訳ではない。

1945年には1226もの水道事業者があったがその後統合が進み、1973年には187にまで減っていた。それが今では18まで激減したが、この間に事業主体は公から私企業へと移っている。

かつては行政が担ってきた水道事業がなぜ民間に移譲されたのか。その背景を知るには、歴史を遡る必要がある。

ここ数年、ブレグジット(イギリスのEU離脱)が世界中のメディアを賑わせた。2016年の国民投票で51.9%の国民がEU離脱を選んだことに端を発し、3度の延期を経て、2020年12月31日、イギリスは1993年の設立以来加盟していたEUを正式に離脱した。

ヨーロッパ諸国と一線を画したこの件が放つメッセージは大きい。

なぜ、イギリス国民はブレグジットを選択したのか。この背景には、個人または地域レベルでの貧弱な経済があるといわれる。これを根本的に解決するために、あえて劇薬を求めたというわけだ。

振り返れば、40年ほど前のイギリスでは財政が逼迫(ひっぱく)していた。「ゆりかごから墓場まで」と言われた手厚い社会保障政策のあおりを受けたのだ。

これを問題視した時のサッチャー首相は、さまざまな財政再建策を講じる。その中に、水道事業の見直しがあった。当時、イギリスでは水道事業が財政を圧迫する要因のひとつだったからだ。

サッチャーはこの水道財政を国家財政から切り離し、強硬に水道事業の完全民営化を押し進めた。その是非に関してここでは論じないが、部分的に民営化するのではなく、すべての水道局を一気に民営化したイギリスの例は世界でも極めて稀だ。

■民間水道会社の危険な本音

1989年、イギリスの水道局は完全に民営化された。それから約30年、ブレグジットを選択したイギリスは、サッチャー首相が意図した通りの道筋を歩んできたのだろうか。

マーガレット・サッチャー(写真=CC-BY-SA-3.0/Wikimedia Commons)

先述の通り、現在、イギリスには民間の水道事業者は全部で18社ある。公営事業はほとんど存在しない。そして、これら18社すべてで、漏水に関する現状は惨憺(さんたん)たる有様だ。

念のために言うと、民営化そのものは成功した。水道事業は国家財政に影響を与えなくなったという意味ではその通りだ。

しかし、国民目線からすれば、必ずしも成功とは言えない。

水道民営化とは、別の言葉で説明すれば、イギリス政府が保有していた水道事業のエクイティの民間企業への売却だ。エクイティとは、対象となる水道事業全体を使用・収益・処分するための包括的な権利のことで、民間企業ではこうした権利のことを株式と呼ぶ。

政府からそれなりに大きな水道事業のエクイティを買える民間企業は限られる。実際にイギリス政府は、フランスの「ジェネラル」(現在のヴェオリア)や「リヨネ」といった大企業と有名投資ファンドに水道事業を売却した。

ここからは僕個人の見解になるが、株式会社、特に大企業と呼ばれる株式会社というのは一筋縄ではいかない。表向きは耳あたりのいいことも言うが、彼らの目的は自分たちの株主を儲けさせることだ。

儲けさせる方法としては、配当を出してインカムゲインを与えるものと、株価を上げて売り抜けさせてキャピタルゲインを与えるものがある。どちらかのためにやれることは何でもやるのが、株式会社ということだ。

投資ファンドに至っては、ずっと直截的だ。事業としてモノやサービスを作ったり売ったりすることすらせず、場合によっては法律スレスレの手段を含め、あの手この手で株価を吊り上げて売り抜けようとする。

■国民を無視したババ抜きゲーム

イギリスで水道事業が民営化された後に起きたことは、こうした資本主義的な思考の純粋な延長線上に位置する。

水道事業の所有・管理主体となった民間事業者、つまり大企業や投資ファンドは、水道インフラの維持・管理といった地道な作業には目もくれず、目先の利益を向上させるマネーゲームにのめり込んでいった。基本的には何もやらないとはいえ、何かやっているフリをして、水道料金を上げ続ける。

言い過ぎだと反論が出るかもしれない。しかし、僕が見る限り、ここ30年の全体の流れだ。

水道料金を引き上げ、コストを変えなければ、形式上の利益が大きくなる。したがって、水道事業のエクイティの価値は上がったように見える。上がったように見せておいてしばらくすると、投資銀行などのファイナンシャル・アドバイザーを使い、買い手を見つけて、水道会社の株式を売り抜く。

次のエクイティ保有者――ご多分に漏れず大企業と投資ファンド――は、高値でエクイティをつかんだことになるが、どこ吹く風だ。最終的には水道料金の引き上げという形で国民にリスクを背負わせてしまえるので、大企業や投資ファンドが損をするリスクは低い。

また、水道料金とコストの差分である利益がきちんと出ていると主張して、さらに第三者に転売していくこともできる。

実際に、民営化によって1989年に誕生したイギリス最大の民間水道事業者テムズ・ウォーターは、2000年にドイツの電気事業者RWEが買収、そのRWEは2006年に水道事業をオーストラリアのケンブル・ウォーターに売却した。

ファイナンスの世界では、最終的な受益者である消費者を無視したババ抜きゲームが頻繁に繰り返される。人間に宿った強欲は、ある種の普遍性を持っているということだろう。

■水道会社の経営者の年俸は軒並みイギリス首相より多額

とにかく、民営化によって国民が受けられる水道サービスの質は大幅に低下した。

その様子を目の当たりにし、2017年には国民の83%が水道事業の再公営化を望むに至った。翌年3月には、当時の環境・食糧・農村地域省大臣が、怒りの告発をしている。

大臣は保守党議員で、財政再建と民営化を進めてきたサッチャー政権の流れに連なる人物が民営化に異を唱えたのだ。

告発によると、民営化されたイギリスの水道会社は、2007年から2016年の間に約188億ポンド(約2兆7200億円)の純利益を得ていた。この間の株主への配当額は181億ポンド(約2兆6100億円)。

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つまり、儲けのほとんどが、株主の懐に注ぎ込まれていたのだ。問題はこれだけではない。水道会社の経営者が軒並み、イギリス首相(編注:約16万ポンド=約2600万円)のなんと5倍以上の年俸を受け取っていることが明らかになった。

■多少の漏水があっても無視する

事態を長らく放置してきたイギリスの水道事業規制当局(Ofwat:オフワット The Water Services Regulation Authority)は、こうした動きと、各水道会社の通信簿とも言える漏水率や無収水率(生産水量に対し、漏水や盗水によって生じる、生産水量から販売水量を除いた水量の割合)の高さにさすがに危機感を抱きはじめたようで、2020年度から規制強化に取り掛かっている。

加藤崇『水道を救え』(新潮新書)

特に、2018年の寒波の際に全英で発生した水道管路からの漏水の反省から、2020年から2025年で漏水量を16%減らそうとしている。

具体的には、漏水率や無収水率について具体的なターゲット(目標)を定め、決められた期間のうちに達成できない水道事業者に関しては、名前を公表した上で罰金を科す、というものだ。要するにつるし上げだ。もちろん、こうしたターゲットを達成できない事業者に対しては、水道料金の引き上げを実行させないという本格的な取り組みだ。

しかし、根本的な解決を図るには、水道管の現状を把握するというプロセスは避けて通ることはできない。

労を惜しみ、ただただ水道料金を引き上げることで、利ざやを拡大してきたイギリスの民間水道会社にとって、当局の決定は非常に大きなインパクトをもたらした。青天井に水道料金を引き上げられなくなり、規制に違反しないよう追加のコストを積み上げる結果、利益にマイナスインパクトが出ると予測されているのだ。

といっても同情はできない。すべきことをしてこなかった宿題の山が目の前に積まれているだけだからだ。

放置の挙げ句、投資ファンドを中心とした株主が、損切りした上で株式の売却に動くのではないか、と目下のイギリスの水道業界でもっぱら噂されている。補修する費用をかけたくない事業者ならびに株主の意向を反映して、多少漏水があっても無視してそのままにする傾向さえ出てきている。

これがイギリスの水道の現状だ。

■節水意識が生まれにくい事情

このほかに日本との違いを記しておくと、イギリスの末端の水道管の直径はやや小さく、日本やアメリカと比べれば各家庭における水道の使用量は少ない。また、水道料金が使用量では決まらないという特性があり、多くの家庭には水道メーターが設置されていない。水道料金は家の資産評価ごとに定められていて、どれだけ使ってもどれだけ使わなくても同料金。節水意識を作りにくい構造になっている。

株主は外国資本が多く、水道事業における使用機材についても外国製品を広く受け入れる土壌がある。ブレグジットが、こうした輸入にどのような影響を与えるのかは、未知数だ。

かつてはイギリス国内で多くの水道管が生産されており、そのイギリスの水道管を日本が輸入していたことを考えると、これは大きな変化だ。僕たちがイギリスの水道の歴史から学ぶことは多い。

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加藤 崇(かとう・たかし)
実業家、フラクタ会長
早稲田大学理工学部応用物理学科卒業。元スタンフォード大学客員研究員。東北大学特任教授(客員)。ヒト型ロボットベンチャーの株式会社シャフトを共同創業、グーグルへ売却。2015年にフラクタをシリコンバレーで創業、CEOに就任。2019年には、米国Newsweek誌「世界から尊敬される日本人100」、日経ビジネス「世界を動かす日本人50」に選出。2022年には、AWWA(全米水道協会)でイノベーション大賞を受賞。渋谷・表参道のカフェ「メンローパーク・コーヒー」のオーナー。米国カリフォルニア州パロアルト在住。
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(実業家、フラクタ会長 加藤 崇)