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《ここに、戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります》

75回目の終戦記念日を迎えた8月15日、日本武道館で「全国戦没者追悼式」が開催され、天皇陛下がお言葉を読み上げられた。

お言葉では《私たちは今、新型コロナウイルス感染症の感染拡大により、新たな苦難に直面していますが、私たち皆が手を共に携えて、この困難な状況を乗り越え、今後とも、人々の幸せと平和を希求し続けていくことを心から願います》と、コロナ禍に言及する一節もあった。

「平成の時代、戦没者追悼式のお言葉に自然災害や社会情勢への言及が盛り込まれることはありませんでした。今回、天皇陛下がコロナ禍に触れたことは異例のことです」(皇室担当記者)

新型コロナウイルスの感染拡大以後、ご進講時のお言葉は一部公表されてきたが、国民に向けて直接のメッセージはなかった。そして最近になり、「天皇と雅子皇后はなぜ沈黙しているのか」(『文藝春秋』8月号)、「天皇の沈黙」(『週刊新潮』8月13・20日号)といったタイトルの記事も散見されるようになった。欧州の王室と異なり、国民へのビデオメッセージを出さない皇室の方針に疑問を呈するものだ。

しかし両陛下は、4月7日に緊急事態宣言が発令されて以後130日あまりにわたって、コロナ禍への対応に懊悩されてきたと宮内庁関係者は明かす。

「陛下と雅子さまは、苦しむ国民に寄り添うことこそが皇室の務めとお考えになってきました。しかし感染拡大を防ぐため、国民を直接励ますことはできません。そのため両陛下は、赤坂御所にさまざまな分野の専門家や関係者を招いてご進講を受けられるなど、制約のなかでも“いま、できること”を模索されてきました。

そういったなかで、戦没者追悼式へのご臨席を決断されたのです。天皇陛下と雅子さまは、この日に備えて“お言葉”の文面の推敲を重ねてこられました。式典の進行上、長くはできない文面のなかにはっきりと“コロナとの闘い”を乗り越えることを国民に呼びかけられたことに、両陛下の強いご意志を感じます」

天皇陛下と雅子さまは皇太子ご夫妻当時の’94年に広島市の平和記念公園を訪問されて以来、何度も公式に広島と長崎をお訪ねになり、原爆慰霊碑に供花され、被爆者たちを慰問されてきた。

両陛下は終戦記念日に先立って8月11日、国連本部事務次長の中満泉さんと面会され、核軍縮をめぐる国際社会情勢や被爆者の記憶の継承などについて話を聞かれている。

雅子さまは中満さんとの面会の際に「時間があるときに読んでください」と、愛子さまが広島の原爆資料館について書かれた作文のコピーをお渡しになった。

愛子さまは作文で、学習院女子中等科の修学旅行で広島を訪れた際のことを以下のように綴っている。

《原爆ドームを目の前にした私は、突然足が動かなくなった。まるで、七十一年前の八月六日、その日その場に自分がいるように思えた。ドーム型の鉄骨と外壁の一部だけが今も残っている原爆ドーム。写真で見たことはあったが、ここまで悲惨な状態であることに衝撃を受けた。平和記念資料館には、焼け焦げた姿で亡くなっている子供が抱えていたお弁当箱、熱線や放射能による人体への被害、後遺症など様々な展示があった。これが実際に起きたことなのか、と私は目を疑った》

面会翌日の12日、中満さんは愛子さまの作文から2つのフレーズを自身のツイッターで紹介した。

《「平和」は人任せにするのではなく、一人ひとりの思いや責任ある行動で築き上げていくもの》

《そう遠くない将来に、核兵器のない世の中が実現し、広島の「平和の灯」が消されることを心から願っている》

「素晴らしい文章でした。愛子さまのように“平和”を自分の身近な問題として考えてくれる若い人が増えれば、どんなに素晴らしいかと感動しました」(中満さん)

’15年2月、誕生日の会見で天皇陛下はこう述べられている。

《戦争の記憶が薄れようとしている今日、謙虚に過去を振り返るとともに、戦争を体験した世代から戦争を知らない世代に、悲惨な体験や日本がたどった歴史が正しく伝えられていくことが大切であると考えています》

若い世代に、戦争の悲惨さ、平和の尊さを伝えていく――。終戦から75年の節目の日、天皇陛下と雅子さまは、国民の前で思いを新たにされたことだろう。

「女性自身」2020年9月1日号 掲載