ワールドトライアウトで監督を務めた清原和博氏とコーチを務めた片岡篤史氏(左から)【写真:編集部】

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PL学園の後輩・片岡氏が引き出した本音「あの時、どんな気持ちだったんですか?」

 元阪神の片岡篤史氏のYouTubeチャンネルに元プロ野球選手の清原和博氏が出演した動画が話題になっている。すでに70万回再生されており、PL学園の2年下の片岡氏が聞き手となり、清原氏が赤裸々に語っている。今回、制作側の許可を得て、インタビューの様子を記事で紹介。清原氏は2016年2月に覚せい剤取締法違反容疑で逮捕され、同年5月に有罪判決を受け、現在も執行猶予中。世間の厳しい目も理解しながら、歯を食いしばり更生しようとする心意気が伝わる映像となっている。

 2016年2月2日。片岡氏は清原氏の逮捕を当時、阪神の1軍打撃コーチだったため、キャンプ地で知った。ニュースを見て、同級生の立浪和義氏(元中日)と連絡を取り、言葉を失った。

 動画の中では、あいさつと紹介を終えると、早速、片岡氏が「あの(逮捕された)時、どんな気持ちだったんですか?」と切り出した。

 清原氏は「やっぱり最初は現実なのか、薬物特有の幻覚なのか。10時37分、現行犯逮捕 その時もあまりピンと来ていなかった。あれ? ほんまかな、みたいな」「午後8時頃、いろんな物があったからトイレに流して……。毎回辞めようとと思ってトイレに流すんだけど、流しにいこうとしたらドーンと(警察が)入ってきた」と当時の様子を生々しく語った。

 何度もやめよう、やめようと思った。逮捕後に「勉強した」という清原氏によると、薬物で脳が支配されるため、何が大切なことなのかという頭の中での優先順位が変わるという。一番だったはずの家族。次の仕事……それよりも「薬物が一番になってしまう」。使用を続けるために、大切にしている人にもちょっとずつ嘘ついてしまう自分がいた。

「44日間、拘留されて、それで出て、2か月近く入院して。それからまた病院へ行った。(そこでアンケートを)書いて。薬物の専門家の先生が『あなたは薬物依存症です』と、診断された。俺からしたら薬物依存症って毎日使ってなきゃアカンみたいな、そういうイメージやった。俺はそういう悲しい時とかつらい、苦しい時とか毎日ではなく薬物をコントロールできていると思っていた。それ自体がもうアウト。だから先生に、『え、依存症ですか?』と(聞いた)。『立派に依存症です。それも重度です』と」

 片岡氏が「あれだけの清原さんを応援してくれた人たちがいて、申し訳ないなとピンとこなかったですか?」と語りかけると、

 清原氏は「独房で、1日が過ぎ、2日が過ぎ、日がたっていったら自分のやったことの大きさがブワーって来る」と反省の日々だったと振り返る。また「取調室では『清原さん』と呼ばれる。けど、独房では俺、『114番』だったから、114番と呼ばれる」と勾留中の生活や取り調べについても赤裸々に語った。

 逮捕されて感じたことは、まずは愛息のことだった。そして野球関係者、自分のファン。心の支えだった人の顔を思い浮かべると、日を追うごとに罪の大きさを感じてきた。

逮捕後は3度も職質 病院での注射跡が疑われ、警察署へ連行されたことも

 清原氏はこの収録までに、職質に3度遭っていた。食事を終えて、帰ろうとした時にパトカーが来て、そのまま警察へ行った。

「その時、たまたま糖尿の検査してた。採血したら注射の跡残るやんか。それで『腕、見せろ』と言われて見せたら、注射の跡がある。『これはなんだ』と。いやいや、今日病院行ってきたんです、と(言っても)だめだめと……」

 検査してもちろん陰性反応。しかし、周囲の目と戦っていた。

「目立つから、世の中の皆さんとかマスコミの皆さんも、警察の人たち(から)も、特に注目される。それが俺にとっては、つらいけど、ちゃんとしないといけないと。毎月、病院も通ってるし、そこで尿検査もする。覚せい剤依存者って認定された人のグループでね。テレビで見たことない? 依存者が集まって手を繋いで、お祈りする。それが今、みんな頑張ってるし、1か月後にまた会いましょうね、と」

 逮捕されて1年くらい、家から出なかった。世間に指をさされる怖さがあった。病院には行ったが、ほぼ、引きこもり生活。カウンセリングを受けたり、静かに日常を取り戻していった。

 動画を見たファンからは「片岡さん 配信ありがとう。清原さん出演ありがとう」「間違いなく野球界の歴史に残るスーパースター。貢献度もハンパないと思う。過ちは誰でもあります。これからの清原さんを応援してます」「片岡さん、グイグイ行くな。他の人じゃ聞けないようなことも、先輩を気遣いつつ聞いていく感じがとても良いし、それに真摯に答える清原さんも良かったです」などと応援コメントが多数寄せられている。先輩のことを思う、片岡氏にしか聞けないインタビューだった。(Full-Count編集部)