日本で最初に自転車の補助輪を作った男と、最後に作っている男。

扉をあけると、昭和の懐かしい工場風景が広がる。
堺市の安井製作所は昭和35年、日本で最初に補助輪を作った工場だ。
その頃に導入した機械が、丁寧にメンテナンスされて現在も稼動している。


平成10年、補助輪の最盛期には様々な工場で作っていたが、近年は中国製に押され、現在では日本で唯一、この工場だけが補助輪を作り続けている。
日本の最初であり最後となった補助輪の専門工場だ。


「体力が続く限り、意地でも作り続けますわ。
今54歳やけど、どこまでいけるんかなー」

そうニコやかに言うのは、安井製作所の社長、中村明氏だ。最初に補助輪を作った先代、安井清司朗氏の後を継いだ二代目だが、自分が最後の代だと言う。


実物を見ると、懐かしい記憶がよみがえってくる。

初めて補助輪なしで自転車に乗れた日を、誰もが覚えているのではないか。
ずいぶんとお世話になったが、よく考えれば何も詳しい事は知らない。
補助輪の現状と、どのように誕生し、どのように作るのかを社長に聞いてみた。

社長は補助輪の元となる鉄棒を見せてくれた。

「中国製は安くて品質も上がってきている。もう日本で補助輪を作るのも私が最後になるでしょう。でもうちの補助輪は、国産のA級品の鉄材を使っていて、品質では決して負けません。『こだわりがある安井の補助輪がええ』と言ってくれる所があるので続けられています。」

社長に補助輪の作り方を教えてもらった。

鉄棒を一定の長さに切断して、先端を平たくプレスする。


平たくした先端に穴を開ける。


棒を丸く曲げて、車輪と組み合わせる。


部品を出荷用のパックに詰めて、出来上がり。

社長は言う。「補助輪は一人で一から最後まで作れる。鉄の棒から最後まで、全工程を全部一人でやると、作った実感がもてるから面白いですよ。自分の手がけた補助輪を街中で見かけると嬉しくてね。最近は中国製見かける方が多いけどね(笑)」

「昔から、補助輪のようなモノを手作りする事はあったようです。ただ、誰もそれが売れるとは考えてなかった。それを『子どもが誰でも自転車に乗れるように』と、初めて製品化したのが先代でした。単に稼ぎたかったのかもしれませんが(笑)」

「今までになかった商品だったので、すぐ人気商品になりました。当時は作れば作っただけ売れたので、寝る間も惜しんで作り続けました。先代はどうやったらキレイで頑丈な補助輪が作れるか、日々研究していました。それが今街中でみかける補助輪の原型になっています。元々は鉄の板を曲げて作っていたんですが、丸棒にしたのも先代です。」

ちなみに当時の様子を、この工場に生まれ育った先代の娘、銅版画家の安井寿磨子さんが自分の子ども時代を振り返って「こどもほじょりん製作所」という絵本にしている。本を読むと、怒りっぽいけど筋が通った先代の姿が伝わってくる。

「ふざけんな!そんなむちゃなこと いうんやったらよそで買え!」

「ええかげんな しごとできるか。なんで わからんねん。 あいつはあほじゃ!」

一方で、娘の補助輪がとれた事を純粋に喜ぶやさしい面も。

「のれた のれた、のれた〜! すまこ、のれたぞ!」

その先代の後を継いだ中村さんの話を聞いた。

「私は日産に勤めるサラリーマンだったんですが、先代の娘さんと結婚して、「お前あとつがへんか?」「やりますー」って軽い気持ちで答えて、もう三十年(笑)。勤め人やと人から一生使われるでしょ?自分で工場やるのは面白いですよ。失敗も成功も全部自分のせいやしね。つらいことは何も無い。」

「昔は自分が知っているだけでも6つの工場で補助輪を作っていました。でも輸入品に押されて、みんなきつうなって廃業か倒産。うちは家族経営で、補助輪しか作ってなかったから規模を小さくしやすかった。

普通やったら人増やして、工場大きくして、いろんなモノを生産するでしょ。
でもそれやと、商品が売れんかっても、人がいるからなんか作らなあかん。
作っても在庫があまるから、赤字な価格でも売らなあかん。

それでも売れてお金が回る内は、銀行が金貸してくれる。
完全にあかんのはわかってるけど、作り続けないと倒産してしまう。
それで担保をどんどん銀行にとられて、全部とられて結局おしまい。

そんな光景を、何度も見てきましたわ。
もう笑うしかないような光景をね。」

「もし誰かが継ぎたがっても『やめとけ』って言います。この先はないです。
私の代で終わりやけど、何があっても意地でも続けるで!仕事楽しいしね。」

安井製作所さんのおかげで、日本の補助輪の誕生と終焉を、ここ堺市で見ることができた。しかしそもそも、日本で唯一の工場が、なぜ堺市にあるのだろうか?
たまたまなのだろうか?堺市役所に聞いてみた。


話を聞いたのは、市役所の「シティプロモーション担当」のハニワ課長だ。この部署は堺の魅力を世に伝えるため、様々な事業を展開しており、市内の名所や歴史に詳しい。

ちなみに隣にいるのは、堺市のPRをしている古墳女子だ。
その活躍は「1500年前の古墳女子とデートしてみた!」で見られる。

ハニワ課長が語る。
「堺市は、“ものの始まりなんでも堺”と言って、いろんなものの発祥の地で、昔から先取りの精神があるんです。戦国時代で鉄砲を量産しだしたのも堺で、その金属加工の技術によって、自転車製造も堺で始まりました。そのために補助輪の需要も多く、補助輪の専用工場が生まれる土壌があったんです。だから安井製作所の存在は偶然ではなく、堺が誇る文化だとも言えるでしょう。

堺発祥のモノは数多く、次のHPから詳細を見られるという。
堺観光ガイド:ものの始まりなんでも堺

例えば私鉄も堺が発祥で、チンチン電車(阪堺電気軌道)は明治44年(1911年)に開通し、今も堺市を走っている。

ハニワ課長によると、最近では「堺市シティプロモーション認定事業」という、民間事業者等と一緒になって堺市の認知度向上やイメージアップに寄与するプログラムも進めていると言うので、今回のように、堺発祥の何かに注目して提案してみても面白そうだ。

例えば昨年は、堺の食に特化したサイト「&Riceあんどらいす in SAKAI」のウェブサイト製作、堺出身のバンドが中心となったロックフェスの開催や市内各所で開催される若者向け交流イベント、これら3事業に対し支援を行った。今年の募集要項はこちらのページにあり、事業所の所在地は問わないということなので、堺市の内外の有志はぜひ応募してみてほしいそうだ。

さて、今回の特集はいかがだったろうか。
補助輪をきっかけに、よみがえる思い出もあるかもしれない。もうしばらくすると買えなくなる、こだわりの国産の補助輪を子どもにプレゼントしてみるのはいかがだろうか。

[PR記事]
■関連リンク
堺市シティプロモーション認定事業
1500年前の古墳女子とデートしてみた!

企画・取材・文章:谷口マサト