J1の得点ランキングに、彼の名前がない。ランキングの上位でなく、下位にさえ。

 リーグ戦8試合を終えたJ1リーグで、柿谷がいまだゴールネットを揺らすことができていない。ACLで3ゴールをあげているものの、リーグ戦無得点は居心地の良いものではないはずだ。

 ワールドカップに伴う中断前に、J1リーグはさらに7試合が組まれている。ここから爆発すれば、気持ちも新たにワールドカップへ向かうことができるだろう。しかし、ゴールから遠ざかったままザッケローニ監督に招集されると、日本代表でのパフォーマンスにも影を落とす。

 得点に見放されたストライカーのメンタリティには、相反するふたつの感情が入り込んでくる。強引さと消極さである。

 いつもなら周りの選手を使うシーンで、自ら突破を仕掛けたり、シュートへ持ち込んだりする。強引さが先行するのだ。味方選手へパスを出さないまでも、使う素振りをする──並走する味方に視線を送り、DFの注意をそちらへ惹き付ける──ことで、自らのプレーに余裕が生まれる。対峙するDFとの駆け引きで、優位に立てる。好調なストライカーは、目だけで相手を惑わせるものだ。

 ところが、「自分が取らなければ」といった気持ちが膨らむと、細かなところまで気持ちが行き渡らない。調子の良くない選手はピッチ上で視野が狭くなると言われるが、味方が見えていても使わない、使えないというのが実際の現象である。

 消極性が顔をのぞかせることもある。自らがゴールに嫌われ、チームが勝利から遠ざかると、ストライカーはより確実性の高いプレーを思い描く。ノーマルな心理状態なら迷わずフィニッシュする場面で、味方選手へのパスを選んだりするのだ。

 確実性や安全性を重視したプレーは、その代償として相手守備陣への脅威度を削ぎ落とす。意外性も抜け落ちてしまう。ストライカーもチームも、負の連鎖へ入り込んでいく。

 J1リーグでプレーする柿谷が、不要な強引さや消極性を感じさせることはない。勝負すべきところと味方を使う場面の見極めに、ここまでのところ大きな間違いはない。それだけに、リーグ戦ノーゴールという現実が重いのである。

 ワールドカップに驚きをもたらしたストライカーと言えば、1990年大会のトト・スキラッチ(イタリア)が印象深い。大会得点王を獲得した彼は、直前のセリエAでランキング4位の15ゴールをマークし、滑り込みで代表入りした。FWの序列は2大会連続出場のビアリ、カルネバーレ、ロベルト・バッジョに次ぐ4番手だったが、グループリーグ第3戦からスタメンに定着した。ビアリとカルネバーレの不振を、ひとりで埋めきった。

 94年大会でストイチコフと得点王を分け合ったサレンコ(ロシア)も、長く代表チームの得点源として君臨したわけではない。アメリW杯直前のシーズンにキャリアハイの16ゴールを記録し、代表に招集されたのだった。

 トト・スキラッチやサレンコの活躍に、確かな裏づけがあったわけではないだろう。どちら選手も、得点王候補にあげられていなかった。監督たちが拠りどころとしたきは、所属クラブで見せた彼らの「勢い」である。

 所属クラブで停滞気味なのは、柿谷だけではない。ブンデスリーガ2部でプレーする大迫も、3月14日を最後に6試合連続でゴールから遠ざかっている。

 ストライカーは突如として覚醒する。1本の得点が引き金となり、量産体制に入ることがある。柿谷のワールドカップを危惧するのは、まだ少しだけ早いかもしれない。
 
 日本代表の1トップは、2列目のタレントを輝かせる役割も帯びる。柿谷と大迫がザックの信頼をつかんできたのも、周囲との親和性が高いからである。

 ただ、接戦を勝ちきるには一発を秘めたオプションが必要だ。柿谷が食い込めていないJ1得点ランキング上位にも、魅力的な選手はいる。