コンピュータはコロンブスの卵を発見できるか
■コンピュータはコロンブスの卵を発見できるか
「サイレントマジョリティをコンピュータが浮かび上がらせる日」 2014年03月16日 『ガジェット通信』
http://getnews.jp/archives/530050
の続編。人間は案外当たり前のことを意識しないものだ。あまりにも身近なもの、たとえば空気を人間は普段意識しない。平和や安全、健康、親の保護…。
コンピュータサイエンスでデザインパターンというものが提唱される前も、プログラマたちはなんとなくは知っていた。コーディングしていると、よく登場する形があるな、と。ただそこにあえて着目はしなかった。デザインパターンというものを最初に聞いたプログラマは、その経験が長いほど「それがどうしたの?」と思うことだろう。これもいわばコロンブスの卵かもしれない。見知ったものを新たな視点(概念)で捉え直す。
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プログラムに限らず世の中に普遍的に登場するパターンがある。たとえば「三すくみ」。じゃんけんのグー・チョキ・パーだったり、へび・かえる・なめくじだったり、魏呉蜀だったり、生態系の安定解だったり。3つのものがそれぞれ牽制し合い、結果的にどれが勝者になるでもなく安定した状態を維持している。
「急がばまわれ」とかも、問題解決のためのパターンだろう。ことわざは人間が長い歳月をかけて作り出したパターンが多い。いろいろな場面に共通して現れる。でも、それを見出すのは容易ではない。目の前にあるのに存在に気づかない。
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困難さの理由の一つは、個々の人間に頼っているので、観測範囲が非常に狭いこと。学問の領域を超えて普遍的なパターンがあると思うのだが、両方にまたがって活動している人間は少ないから、共通のパターンの存在を認識できない。
そもそもことわざや言い伝えとかも、人間が言葉によって世代を超えて知識や経験を伝えることができるようになって、初めて発見されたパターンだろう。言葉を持たない動物には無理。
さらに交通手段や通信手段によって知識や経験の共有は進んではいる。しかし結局のところパターンの発見は人間(の脳)に頼ってるので、処理できる情報に限界がある。
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大昔は個人の脳の情報処理能力と入手できる情報量を比較すると、脳の情報処理能力が優っていたのだろう。だから少ない情報を駆使して世の中の真理を発見できる人間「天才」が活躍した。
しかし通信手段の発達で、いつのころか外部から得られる情報量の方が勝ってしまった。もはや人間の脳では情報を処理しきれない。
一方、コンピュータによる情報処理は、能力的には人間にまだまだ追いつかないけれど、大量の情報を処理できる。量が質を凌駕しつつある。ある意味チェスのプログラムと同じ。力任せの計算量の方がものをいう。
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たとえばプログラムからそこに存在する共通のパターン(デザインパターン)をコンピュータが炙り出せるか?見るプログラムの数が人間とコンピュータで同じだと、コンピュータは全然人間に張り合えないと思う。人間はコードの表面的な構造ではなく、それが表しているモデルを読み取れる。モデルに共通性があるが、コード上の表現方法が違うものを、コンピュータは同じとは判別できない。
