晩年の「京マチ子さん」は“お隣さん”が超豪華 その1人「石井ふく子さん」が目の当たりにした“納骨直後の奇跡”とは
2019年5月12日、95歳でこの世を去った女優・京マチ子さん。戦時中から歌劇団の娘役スターとして活躍し、戦後に映画デビューするとたちまち看板女優となった。海外で高評価を受けた出演作が多い国際派女優でもある。後にテレビドラマと舞台にも進出したが、2006年の舞台「女たちの忠臣蔵」を最後に事実上の引退。静かな老後生活に入り、俳優仲間たちが時折その近況を伝えていた。
実際の様子をよく知る人物の1人に、テレビプロデューサーの石井ふく子さんがいる。京さんが死去した当時、石井さんは「週刊新潮」に対し、ベールに包まれた京さんの老後生活を明かしていた。その日々はまるで、ドラマのようだったという。
(以下「週刊新潮」2020年1月2・9日号の掲載記事を再編集しました。文中の年代等は掲載当時のものです)
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【新潮社の秘蔵写真】最晩年の「京マチ子さん」は上品シルバーヘアで笑顔 「これぞ大女優!」のオーラあふれる全盛期の姿も
奈良岡朋子、若尾文子、京マチ子
テレビで活躍した昭和世代が一つ屋根の下で余生をすごす――。倉本聰脚本のドラマ「やすらぎの郷」さながらの世界が、都内に存在していた。そこでの京マチ子との交流を、石井ふく子さんが回想する。

「15年ほど前、奈良岡朋子さんからいい物件があると教えられて、モデルルームを見て気に入ったので住むことに決め、奈良岡さんも住むようになりました。京さんが引っ越していらしたのは5、6年前ですね」
こうして昭和の名プロデューサーと戦後の名女優たちが集まり、都心の高層マンションがやすらぎの郷になったのだが、2019年に95歳で亡くなった京マチ子が加わるまでには、曲折があったという。
「ずっと面倒を見ていたマネージャーの方が亡くなって、お一人になった京さんから、南町田のマンションを見学してきてもらえませんか、と頼まれました。でも、南町田は遠いので都心がいいんじゃないか、と申し上げました。見学に行く日、私が住むマンションの空き状況をフロントの人に聞くと、『一部屋空いています』と言われてね。京さんに見ていただき、『奈良岡さんも私もいて、なにかあったときに便利だし』と伝えたら、『じゃあ、ここにしましょう』と。その後、若尾文子さんも住むことになったんです」
「私たちは別に変わらないものね」
さて、やすらぎの郷における交流だが、
「私が煮物を作るとき、京さんに連絡すると、『いただくわ』とおっしゃってくれて、京さんからお料理をいただくこともありました。かぼちゃの煮物が得意でした。京さんお気に入りの赤坂の日本料理屋さんとかに外食に行くことも。お正月は4人で集まって、おせちを食べる会をしておりました。朝10時ごろ、私の部屋に集まって『あけましておめでとうございます』と挨拶をする会です」
だが、2018年夏、京はケアマンションに移ったという。
「24時間、面倒を見てもらえるほうがいいからと。令和が発表されたとき京さんを訪ねると、『元号が変わって時代が変わるというけれど、私たちは別に変わらないものね』と、笑っていらっしゃいました。5月12日に亡くなる前日、お見舞いに行くと、私の手を握ってずっと離しませんでした。力強い握り方なので、大丈夫だと思ったのですが」
京がハワイで納骨された直後、雨が上がって虹が出たという。エンディングもまたドラマのようだった。
デイリー新潮編集部
