「練習に行こうと家のドアノブを回すと吐き気が…」193cmのイケメンJリーガーがキャリアを捨て「バズる」料理研究家になった“驚きのきっかけ”
Jリーグのサッカー選手から料理研究家へ――。“ユニフォームを脱ぎ、エプロンを着た男”として注目を集めているのは、小泉勇人さん(@zumi_meshi)だ。
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9年間にわたる選手生活の中で、公式戦出場はわずか14試合。思うような結果を残せず、葛藤を抱えた日々も少なくなかったという。そんな小泉さんは現在、料理研究家としてセカンドキャリアを築く一方、ABEMAの恋愛リアリティー番組『恋愛病院』への出演をきっかけに、その知名度をさらに高めている。
“挫折を経験した元Jリーガー”は、なぜ料理の道へ進み、再び人前に立つことを選んだのか。小泉さん本人に、これまでの苦悩と現在の心境を聞いた。(全3回の1回目)

小泉勇人さん ©三宅史郎/文藝春秋
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日韓ワールドカップがきっかけでサッカー少年に
――インスタグラムでも抜群のスタイルが話題ですが、実際にお会いすると193センチの高身長に驚かされます。サッカーを始めたのは、やはり幼い頃からスポーツに親しんでいたことがきっかけだったのでしょうか。
小泉勇人さん(以下、小泉) ありがとうございます。サッカーを始めたきっかけは、2002年、僕が6歳の時に日韓ワールドカップが地元の鹿島スタジアムで開催されていたんです。その熱気を間近で見て、「自分もやってみたいな」と興味を持ちました。当時はピアノや水泳、野球などほかにも習い事をしていて、特に水泳はガチでやって県大会優勝までいきました。ただ、1人競技だときついな、チームスポーツのほうが楽しいなと思って。中学でサッカー1本に切り替えました。
――習い事もたくさんされていたのですね。そこから、どのような経緯でJリーグ入りを果たされたのでしょうか。
小泉 中学に上がる時、セレクションを受けて鹿島アントラーズのジュニアユースに入りました。そこから3年間やって、ユースに絞られて、さらに外部から来る何人かのエリートたちも含めた60人くらいの中から選ばれ、そこからまた3年間やりました。誰も選ばれなかったり、上がれない年もある中で、本当に狭き門でしたね。
――ご自身のSNSでも、なかなか試合に出られなかったことや、何度も移籍を繰り返されたご経験について発信されていましたね。その中でも、一番お辛いと感じたのはどのような時でしたか。
小泉 毎週、試合という名のお披露目会があるんですね。そこに向けて、ひたすら練習してチャレンジしていくんですけど、ベンチ外だと、その土俵にすら立てないんです。
僕の場合、それが9年間ほとんどだったので……。自分はできると思っていたのに、他者の評価は違う。評価の乖離に苦しめられて、自分の存在意義を見出せなくなりました。自暴自棄になって、車の中でハンドルをバン! と叩いて叫んだりもしましたね。
家のドアノブを回すと吐き気が…辛かった選手時代の記憶
――今の小泉さんのお姿からは想像できないほど、お辛い思いをされていたのですね。
小泉 当時、同年代の選手はスターばかりでしたが、僕は「へたくそ!」「やめちまえ!」など、毎日のように罵声を浴びせられていました。
また、練習に行く前、家のドアノブを回すと、グラウンドを連想するスイッチが入ってしまうのか、吐き気がして家から出られなくなってしまったんです。ただでさえ試合に出ていない“給料泥棒”のゴールキーパーが、練習を休むわけにはいかない。そこで、すぐに練習へ行けるようにと、グラウンド近くに車を止めて、車中泊をしていましたね。
――身長193センチというお身体で、車中泊はとても大変だったと思います。そこから、お料理をSNSに投稿するきっかけはどのようなことでしたか。
小泉 ゴールキーパーにとって一番大事な開幕戦のシーズン直前、コロナ禍の自粛で2週間休まないといけなくなったんです。試合に向けてめちゃくちゃ頑張っていたので、「これだけ努力をしてきたのに……終わった……」と絶望しました。
そんなどん底にいた僕を変えてくれたのが、自炊でした。毎日の食事を自分で作るようにしたところ、体も心も変わってきたんです。「もしかしたら、これってなにかの気づきを与えてくれたんじゃないか?」と思いました。
だから、自粛中の2週間で家のキッチンをDIYして、料理記録のために新しくインスタグラムのアカウントを作ったんです。休みが終わったあとから本格的に料理を発信したところ、「現役Jリーガーの自炊」が珍しかったのか、SNSでバズりました。
――自炊のきっかけはコロナ禍だったのですね。その後、2023年に選手を引退され、本格的に料理研究家へ転身されました。もともとお料理は得意だったのでしょうか。
小泉 それが、料理はまったくできなかったんです。「お米を研ぐのも面倒くさいな」と思って、炊飯器すら使えなかった。冷凍チャーハンすら、真っ黒焦げにしていましたからね。
その時、母親に「こんなの作ったよ」って焦げたチャーハンの写真を送ったら、「あら、すごいじゃない」って褒めてくれたんです。でも本当は、「こんなものを食べて大丈夫かしら」と思いながらも、自炊のモチベーションを下げないように優しい言葉をかけてくれていたらしくて。僕、本当に家族に恵まれているんです。
「Jリーガー」という肩書を手放す恐怖
――素敵なお母様ですね。しかし、Jリーグのサッカー選手という輝かしいキャリアを手放すことに、不安はありませんでしたか。
小泉 正直、不安しかなかったです。貯金はほぼなかったですし、翌月の収入もゼロでした。
Jリーガーの僕に魅力を感じてくれたファンが、その肩書きがなくなった時、果たして応援してくれるのか。何者でもなくなる自分が、すごく怖かった。現役サッカー選手の時は頻繁に連絡をくれていたのに、引退したらさっぱり返事も来なくなった友人もいたりしました。
――それはお辛かったですね。やはり、肩書きだけで見る方も多かったのでしょうか。
小泉 そうですね。だけど、こうして僕の自炊投稿がバズって、料理研究家に転身したことを知ると、「X見たよ、すごいね!」と急に連絡が来たりすることもありましたね。
――すごい手のひら返しですね。小泉さんは現在、SNSの総フォロワー数が約40万人と、インフルエンサーとしても影響力のある存在となっていますが、どのような戦略でフォロワーを増やしてこられたのでしょうか。
小泉 最初にインスタグラムを立ち上げた時は、動画編集もまったくわからない状態でした。今のように自分の姿を映した投稿もなく、ただ献立を画像で投稿しているだけだったんです。
フォロワーさんから「もっと詳しくレシピを教えてほしい」という声をいただくようになって、文章でつらつら書くよりも、画像のほうがわかりやすいかなと思い、10枚ほどまとめて見やすく投稿するようにしました。すると、スライドして見てもらうことで滞在時間が延び、エンゲージメントが高まって、投稿が拡散されるようになったんです。
その後、「動画でも見たい」というお声もいただいたので、自分の姿も映して、ナレーションも入れて自炊するところを投稿してみたら、それもバズりまして。引退する頃には、フォロワー数を8万人まで伸ばすことができました。
〈家賃は選手時代の「約10倍」に…193cmのイケメンJリーガー→「バズる」料理研究家に転身した小泉勇人(30)が明かす、生活スタイルの“まさかの変化”〉へ続く
(佐藤 ちひろ)
