杉村春子、加賀まりこ、淡島千景…名女優が“母親役”に 「昭和の子どもたち」を描いた名作5選【こどもの日の映画案内】
子どもが被害者となる痛ましい事件事故が起きるたびに、社会と子どもの関係について深く考えさせられるという人は多いだろう。子どもは社会を照らす光であり、希望であってほしいと願う心はいつの世も変わらない。昭和の時代、まだ貧しかった日本でも子どもたちの喜怒哀楽は大人の心を揺さぶっていた。映画解説者の稲森浩介氏が「昭和の子ども」を描いた巨匠たちの5本を紹介する。
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【写真】キュートすぎる若き日の「加賀まりこ」も…子どもを題材にした「昭和の名作映画」
子どもたちの悲しみ
〇「大人の見る繪本 生れてはみたけれど」(1932年 サイレント)
小津安二郎監督は、子どもを描く名手でもあった。いくつかの傑作を残しているが、まず戦前、昭和7(1932)年の作品を紹介しよう。

郊外に引っ越した両親と兄弟の一家。近くには立派な家を構える上司がいて、同じ歳くらいの男の子もいた。兄弟は近所の悪ガキたちと喧嘩になるが、子どもたちとはそのうち仲良くなるものだ。上司の家で活動写真を上映するというので、みんなで観に行くことに。そこには父も来ていた。
上司が撮影した映像には父が写っていた。ふだん厳しい父が、フィルムの中ではおどけたり、変顔をするなど滑稽な姿を見せている。みんな面白がって笑い、その横で上司にお愛想を言う父。しかし兄弟はしだいに暗い気持ちになっていく。このあたりの小津の演出はさすがだ。セリフはないのに、兄弟の複雑な胸の内を表情だけで伝えている。
帰宅してから、父に文句を言う兄弟。「お父さんも重役になればいいじゃないか」「そう簡単には行かないよ」と。やがて子どもたちの寝顔を見て「こいつらも一生詫びしく爪を噛んで暮らすのか」と嘆く父。
昭和7年は、世界恐慌の波が押し寄せ、サラリーマンは減給・解雇の不安にさらされていた。前年には満州事変が起こり、戦争に突入していく暗鬱な時代だ。
父は強い人であってほしい、誰よりも偉い人であってほしいと子どもは願う。小津は生涯独身で子どもを持たなかったのに、どうしてこんなに気持ちがわかるのだろうかと思う。本作は、キネマ旬報ベスト・テンで1位を獲得している。
おならとテレビ
〇「お早よう」(1959年)
小津作品をもう一つ紹介しよう。
多摩川の土手沿いにある集合住宅。同じ平屋が何軒も並んでいる。東京オリンピックを5年後に控えた高度成長入口の時だ。そこに住む中学生たちが、通学途中にお互いの額を指で押すとおならを出すという練習をしている。
当時はこんな他愛もない遊びが流行っていたのだろうか。うまくできなかった子が、“中身”を出してしまうところは笑ってしまう。その子を「もうパンツ穿かなくていい」と叱る母親が杉村春子だ。
杉村は噂話が大好きな原田家の主婦。どこの家が洗濯機を買ったとか、町内会費が届いていないなどと触れ回る。相変わらずの上手さだ。
林家の夫(笠智衆)は定年が近いが、まだ中学生と小学生の子どもがいる。将来が不安なのに、テレビを買ってほしいとせがまれ困惑顔だ。この頃テレビの普及率はまだ30%程度で、テレビがある家で観るのが一般的だった。作品でも兄弟が相撲見たさに近所に入りびたる様子が描かれる。
兄弟はテレビを買ってくれない父に反抗して、口を利かなくなる。といっても話したい時はタイムをしたり、ジェスチャーで伝えるなどユーモラスな反抗だ。
反抗の末、プチ家出をした兄弟が帰宅すると、家には「ナショナルテレビ」の箱が置いてある。父が根負けして購入したのだ。大喜びをする兄弟に、当時の自分の姿を重ねる人もいるに違いない。
世相の反映だろうか、「生れてはみたけれど」のような哀感はない。カラー画面は明るさに溢れ、子どもたちを包み込むようにスケッチしている温かな作品だ。
一夏の出会いと別れ
〇「泥の河」(1981年)
小栗康平の第1回監督作品。船に住む姉弟との出会いと別れの一夏を叙情的に描く。
昭和31(1956)年、大阪の安治川。小学3年生の信雄は、川っぷちで食堂を営む両親(田村高廣、藤田弓子)と暮らしている。
ある夏の日、信雄は喜一という同じ歳の少年と出会う。みすぼらしい身なりの喜一は、川向こうに停泊している船に住んでいた。やがて姉の銀子とも仲良くなるが、姉弟の住む船は郭船で母がそこで客をとっていた。
信雄の両親は2人を温かく家に迎える。喜一は気に入られようと懸命に軍歌を歌って見せ、姉はいつも伏し目がちで静かだ。健気な2人の姿が悲しい。
船を訪れた信雄は姉弟の母(加賀まりこ)に初めて会う。この時の加賀はとても妖しく美しい。信雄に「いっつも波に揺られてんと、生きてるような気がせえへんようになったんよ」と気だるい様子で語りかける。
天神祭りの日。喜一のポケットには穴が空いていて貰った小遣いを落としてしまう。喜一は「お金を持って祭りに行くのは初めてだ」とはしゃいでいただけに切ない場面だ。
喜一の目がいい。厳しい環境でも卑屈にならず前向きな目だ。昭和の時代にはこんな子が確かにいたのだと思う。しかしある時、信雄は喜一の母が客をとっているのを偶然に見てしまい、逃げるように帰ってしまう。その時の喜一の目はとても悲しげだ。
翌日、船が曳航されていく。喜一は何も言わずに去って行くのだ。「きっちゃーん!」と呼びながらどこまでも追いかける信雄は、この夏のことをいつまでも忘れないだろう。
一緒にいることが幸せ
〇「にあんちゃん」(1959年)
昭和28(1953)年。前年にサンフランシスコ平和条約が発効し、主権回復したばかりの日本。まだ多くの人たちが貧困に喘いでいた。
佐賀県の鶴の鼻炭鉱。安本家の父親が亡くなり4人の子どもたちが残された。不況の波が押し寄せる炭鉱では、長男の喜一(長門裕之)も解雇される。喜一と長女の良子(松尾嘉代)は生活費のために下の2人をおいて炭鉱を出ることに。
原作は在日コリアンの安本未子の日記を書籍化したもので、ベストセラーとなり韓国でも映画化された。監督は今村昌平。この後「豚と軍艦」(1961年)、「にっぽん昆虫記」(1963年)でも、戦後日本の現実を描いていく。
物語は次女の未子(前田曉子)の視点で描かれる。「にあんちゃん」とは次男の高一(沖村武)のことだ。高一と未子は、学校に弁当も持っていけないので昼休みは校庭で過ごす。やがて、預けられた家も居づらくなり夜逃げをする。
高一を演じる沖村の演技に注目したい。どんな逆境にも決して音を上げないたくましさと、家族を大切に思う少年だ。高一は生活費を稼ぐために、東京に行き月島にある自転車屋に働き口を求めるが、すぐに警察に通報されて送り返される。東唐津の駅には兄弟たちが迎えに来ていた。
高一の願いは、兄弟4人が一緒に住むことだ。洋服が破れていてもいい、満足に食べられなくてもいい。家族が一緒にいることが大切なのだ。今も昔も、子どもたちの願いは変わらない。
愛を求めて
〇「黄色いからす」(1957年)
父の愛を求める小学生を描いた五所平之助監督作品。当時、ゴールデングローブ賞の外国語映画賞を受賞している。
父・一郎(伊藤雄之助)が、母・マチ子(淡島千景)と息子・清(設楽幸嗣)のところに15年ぶりに中国から復員してきた。戦争の影をまだ引きずっている頃だ。一郎はかつての勤務先に復帰したが、思うような仕事をさせてもらえずに悩む。そんな父に甘えたかった清だが、相手にしてもらえない。
やがて赤ん坊が生まれ夢中になる両親。寂しく思う清は、怪我をしたカラスの面倒をこっそりみるようになった。弟や妹ができた時の、子どもの複雑な気持ちは変わらない。
大晦日の日、清はうっかりして赤ん坊に怪我をさせて父にひどく叱られる。そして隠していたカラスも放されてしまい、清は絶望して家を出た。何をしても空回りして誤解される、そんな清の姿が愛おしい。
傷心の清を我が子のように面倒を見るのは、隣家の鎌倉彫り店を経営する雪子(田中絹代)だ。そして学校の担任・靖子先生(久我美子)も、悩んでいる清を心配してオルゴールを贈り励ます。
この2人の愛情の深さがとても胸に染みる。今ではどうなのだろう。少なくともこの作品には、子どもは社会全体で育てるのだという温かさが込められている。
やがて清が無事に戻ると、父は涙を流して初めて力強く抱きしめるのだ。元旦の青空に父と2人で凧を揚げる清は、眩しいほどの笑顔を見せていた。
稲森浩介(いなもり・こうすけ)
映画解説者。出版社勤務時代は映画雑誌などを編集
デイリー新潮編集部
