2011年4月25日、東京・青山葬儀所で営まれた葬儀

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【写真】恥じらいながら薬指の指輪を見せて…夏目雅子、1984年の婚約会見

2人の縁と生涯

第1回【がん罹患を19年間公表せず…没後15年「田中好子」、27歳で死去「夏目雅子」が“無二の親友”から”義理の妹“となるまで】を読む

 2011年4月21日、キャンディーズのメンバーとしてデビューし、後に女優として活躍した田中好子が死去した。55歳の若すぎる死。1985年に急性骨髄性白血病で逝った夏目雅子とは親友の関係にあり、夏目の死後に結婚した相手は夏目の兄だった。田中の没後15年に際し、2人の縁と生涯を「週刊新潮」のバックナンバーで振り返る。

(全2回の第2回:以下「週刊新潮」2011年5月5日・12日号「『夏目雅子』と『田中好子』」を再編集しました)

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承知の上での不倫

「雅子ちゃんにお兄ちゃんがいることを知ったのは、彼女の家に遊びに行った時です」(「偲ぶ会」での挨拶)

 この時、話が盛り上がるうちに、夏目が「好子ちゃんには、うちのお兄ちゃまなんかがいいんじゃない」と発言。これでその存在を意識するようになったという。

2011年4月25日、東京・青山葬儀所で営まれた葬儀

 田中と小達氏が実際にじっくり話す機会を持ったのは、夏目の死から2年経った87年。彼が経営するかつら会社のPR誌の対談の場だった。妹を通じて、田中のことを知っていた小達氏の依頼で実現したもので、2人はすぐにうちとけた。

 なお89年公開の広島原爆を扱った映画「黒い雨」(今村昌平監督)ではヌードも見せる迫真の演技で、田中は日本アカデミー賞主演女優賞など映画賞を総なめにした。

 この映画の撮影で小道具に使うかつらが必要となり、彼女は小達氏の会社を推薦。撮影現場を小達氏が訪ねて再会し、2人は互いに強く惹かれあっていったようだ。

 夏目雅子との出会いがキッカケで、小達氏との愛に突き進んでいった田中。しかし、彼には妻子があり、それを承知の上での不倫だった。その様はまるで、夏目雅子の、愛する男性に対する熱い情熱が乗り移ったかのようでもあった。

マスコミが追った三角関係

 かように田中に強い影響を与えたと思われる夏目雅子。その彼女が作家の伊集院静氏と出会ったのは、1977年のパリだった。当時、広告制作会社のディレクターを務めていた伊集院氏が手がける化粧品会社のCMに夏目がモデルとして抜擢されたことがキッカケである。

 当時、伊集院氏は妻子ある身だった。一方、無名だった夏目雅子はその後、凄まじい勢いでスターダムにのし上がっていく。

 そんな2人が再会するのは、CM撮影から1年後。東京や横浜などで食事をする仲になる。それがマスコミに発覚したのが82年秋のことだ。これが原因で伊集院氏は会社を退職。妻とも離婚する。

 しかし、当代きってのモテ男と呼ばれる伊集院氏にはもう1人、別の女優との交際も噂されていた。メディアはこの三角関係を懸命に追った。それでも夏目は一途に伊集院氏のことを思い続け、苦しい愛にのめり込んでいったのである。

 そして、2人は1984年、ついに結婚を果たした。しかし、その幸せも永くは続かなかったことはご存じの通りだ。喜びの絶頂にいた翌年、血液のがんである急性骨髄性白血病が彼女の命を奪ったのである。27歳の若さだった。

幸福が呼んだ新たな修羅

 前記の通り、その死から数年後、夏目を媒介とするように、田中と小達氏は引き寄せられていった。

「当時、小達氏が結婚していた相手は二度目の奥さん。スーちゃんも夏目雅子の激しい生き方に触発されるように、茨の道を進んでいったわけです」(女性誌記者)

 その甲斐あって、91年、田中は小達氏と結ばれる。しかし、この幸福が新たな修羅を呼んだ。

「当然ながら、芸能マスコミはこの結婚を、“不倫”“略奪婚”と書き立てました。また、この頃、20年以上、スーちゃんが所属していた事務所が経営不振に陥り、ギャラ支払いの遅滞など金銭トラブルが原因で彼女が独立。自分に非があるにもかかわらず、怒り心頭に発した女性社長が、スーちゃんの行為を裏切りだとして女性誌に告発する騒動が起こったんです」(同)

 その内容は、小達氏と結婚に至る経緯や、彼女が抱いていた伊藤蘭への対抗心、はては知られざる男性遍歴にまで及んだ。

「真偽のほどはともかく、この記事は、それまで健康的だが、控え目で清楚という評価が定着していたスーちゃんのイメージを粉々に打ち砕いてしまった」(前出・芸能記者)

燃えるひまわりのような残照

 それでも、彼女は最愛の人と念願の結婚を果たし、幸せを噛みしめていたに違いない。ところが、その後、最初の乳がんが彼女を襲ったわけである。それは奇しくも、夏目雅子が伊集院氏との結婚から白血病を発症したのと同じ、わずか1年後のことだった。

 小達夫妻と親交のあった片岡鶴太郎氏が語る。

「8年前からスーちゃんに絵を教えていました。彼女が最後に描いたのが、ひまわりの絵。夏目雅子さんが大好きな花で、小達さんが設立した基金の名前にもなっているんですよね(「夏目雅子ひまわり基金」)。彼女がどんな思いで、その絵を描いていたのかと思うと、胸が痛みます」

「女優」「略奪愛」「結婚1年後のがん発症」……。不思議な縁でつながった2人の女性に共通するキーワードはあまりに多い。田中の中では、燃えるひまわりのような夏目の残照がいつまでも遣り続けていたのだろうか。

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「好子ちゃんは無二の親友よ」――。第1回【がん罹患を19年間公表せず…没後15年「田中好子」、27歳で死去「夏目雅子」が“無二の親友”から”義理の妹“となるまで】では、田中の最期や夏目との関係を報じている。

デイリー新潮編集部