JR福知山線脱線事故で負傷した増田和代さん(左)とシンガーソングライター・おりせらふさん〈2026年4月25日午後 兵庫県伊丹市〉

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 乗客106人が亡くなり、562人が負傷したJR福知山線脱線事故から21年を迎えた4月25日、重傷を負った増田和代さん(兵庫県伊丹市)が事故の風化防止を願い、追悼ライブを開いた。

 会場となったJR伊丹駅前・カリヨン広場には、安心・安全な社会の実現を願い、事故で亡くなった方々を悼む姿が多くみられた。

JR伊丹駅前で開かれたJR福知山線脱線事故・追悼ライブ〈2026年4月25日 兵庫県伊丹市〉

 2005年4月25日、抜けるような青空だった。増田さんは母とともに、当時開催されていた愛知万博へ向かうために快速電車の3両目に乗車し、事故で腰の骨を折るなど重傷を負った。

 その後、PTSD(心的外傷後ストレス障害)や過呼吸、パニック障害……10種類以上の睡眠薬や抗うつ剤が手放せない生活が続いた。今でも日常生活で救急車のサイレンの音が聞こえてくると、あの光景がよみがえる。忘れたくても、あの惨状が襲い掛かかる。

増田和代さん「事故の犠牲者を追悼するセレモニーや行事が少なくなった」危惧をつのらせる〈2025年4月19日 兵庫県伊丹市〉

 苦しい日々を救ってくれたのは、1匹のシーズー犬「ゆめ」との出会い。もともと犬好きで「癒やしになるかもしれない」と飼い始めた。

 無邪気なしぐさをみせる「ゆめ」が増田さんを救う。痛み止めの薬の量が減り、笑うことができる自分がいた。

 2009年、トリマー(犬の美容師)の資格取得に励み、専門学校に通い皆勤賞。無事資格も取得し、伊丹市内にドッグサロン”yume & fairy”を開業。この春に13周年を迎えた。

 しかしその間、最愛の母が病に倒れ、2020年7月に帰らぬ人となった。

 追悼ライブは亡き母のためでもある。

 腰や脚を負傷した増田さんは、当初はリハビリの甲斐もあって、杖をついて歩くことはできたが、21年経った今、歩くのが困難になり、車いすが必須となり、ゆっくりとしか動けない。

JR福知山線脱線事故で負傷した増田和代さん(左)とシンガーソングライター・おりせらふさん〈2026年4月25日午後 兵庫県伊丹市〉

 ライブに出演したのは、電動車いすで生活する関西在住のシンガーソングライター・「おりせらふ(織瀬來歩)」さん(本名・東佳実)。

黙祷するおりせらふさん「13歳の時、脱線事故が起きた ニュース映像を見て、とても悲しい気持ちに」

 おりせさんは、生まれつき捻曲性骨異形成症という骨の疾患があり、ヘルパーのサポートを受けて生活している。手術の後遺症で脊椎も損傷した。

 現在は障がい者自立支援施設で相談員をするかたわら、ピアノや鍵盤楽器「インスタコード」と歌で路上ライブを開催、バリアフリーをテーマとしたテレビ番組にも出演、精力的に活動している。

 増田さんは、障がいをバネにひたむきにアーティストとして活躍するおりせさんの姿と自分を重ね合わせた。また前向きな歌詞や曲調にひかれ、出演を依頼した。

4月25日の追悼ライブに向けて増田さんがアプローチ、おりせさんの快諾を得た

 事故から21年という月日、増田さんは「決して忘れてはならない時間が過ぎた。しかし残念ながら、JR西日本では今もなお、基本的な安全意識が問われるような事案が繰り返されている」と心を痛める。

 そして、「亡くなった106名の方々は、たまたま乗った電車で、突然その日常を奪われてしまった。もし、乗る電車が1本違っていたら...。別の人が、あの電車に乗っていたかも知れない。そう思うと、命の重さ、そして日常がどれほど尊いものかを感じずにはいられない」と涙ぐんだ。

 また、「あの日、ゴールデンウィークを目前にして心弾んでいたと思う。どれだけ無念だっただろうと思うと、悔しさや悲しみが込み上げてくる」と語る。

愛犬「あん(メス・3歳)」を抱える増田さん

 事故から20年経った昨年(2025年)を境に、追悼行事が減った。

 増田さんは、「だからこそ私たちは、あの日のことを思い返して『安全とは何か』を考え続けることが大切」と訴える。

増田さんは事故から20年となった2025年にも、地元の伊丹市でイベントを企画した〈2025年4月19日〉

 JR西日本は昨年(2025年)10月、大阪府吹田市に事故車両の保存施設を建設した(一般には非公開)事故の遺族や負傷者にとって、受け止めはさまざま。

 増田さんはラジオ関西の取材に対し、「保存施設へ行くと、気を失ってしまうかも知れない。あの光景をリアルに思い出すから。ただ一般公開とすることには賛成。風化防止には、遺族や負傷者より、一般の方々に見てもらうことに意味があると思う」と数年来言い続けている。

会場では夕陽がまぶしい時間から、世代を問わず追悼の意を表する姿が夜まで続いた

 おりせさんが13歳の時、福知山線脱線事故が起きた。ニュース映像を目にして「何とも言えない衝撃」を受けたという。

 ライブでは、「この事故を今知った人もいると思う。それでもいい。少しでも語り継いでくれたら」と語り、オリジナル曲を中心に10曲を歌った。

増田さんの手にはLEDライトで灯した風船が

 主催したライブを終え増田さんは、「おりせさんは事故で亡くなった学生たちより若い世代。そうした世代の方々にも、事故の悲惨さと風化防止の意味を知ってもらえた。暖かい『つながり』を感じた日になった。そして事故で亡くなった乗客106人と、6年前にこの世を去った母に『日本は安全な社会になりましたよ』と報告できる日が来ますように」と前を向く。

“負傷者のメンタルと身体のケアとは”トークセッションでは活発な議論に〈2025年4月19日 兵庫県伊丹市〉