《JR福知山線脱線事故21年》車いすの女性シンガー、弾き語る「つながり」
乗客106人が亡くなり、562人が負傷したJR福知山線脱線事故から21年を迎えた4月25日、重傷を負った増田和代さん(兵庫県伊丹市)が事故の風化防止を願い、追悼ライブを開いた。
会場となったJR伊丹駅前・カリヨン広場には、安心・安全な社会の実現を願い、事故で亡くなった方々を悼む姿が多くみられた。

2005年4月25日、抜けるような青空だった。増田さんは母とともに、当時開催されていた愛知万博へ向かうために快速電車の3両目に乗車し、事故で腰の骨を折るなど重傷を負った。

苦しい日々を救ってくれたのは、1匹のシーズー犬「ゆめ」との出会い。もともと犬好きで「癒やしになるかもしれない」と飼い始めた。
無邪気なしぐさをみせる「ゆめ」が増田さんを救う。痛み止めの薬の量が減り、笑うことができる自分がいた。
2009年、トリマー(犬の美容師)の資格取得に励み、専門学校に通い皆勤賞。無事資格も取得し、伊丹市内にドッグサロン”yume & fairy”を開業。この春に13周年を迎えた。
しかしその間、最愛の母が病に倒れ、2020年7月に帰らぬ人となった。
追悼ライブは亡き母のためでもある。
腰や脚を負傷した増田さんは、当初はリハビリの甲斐もあって、杖をついて歩くことはできたが、21年経った今、歩くのが困難になり、車いすが必須となり、ゆっくりとしか動けない。

ライブに出演したのは、電動車いすで生活する関西在住のシンガーソングライター・「おりせらふ(織瀬來歩)」さん(本名・東佳実)。


おりせさんは、生まれつき捻曲性骨異形成症という骨の疾患があり、ヘルパーのサポートを受けて生活している。手術の後遺症で脊椎も損傷した。
現在は障がい者自立支援施設で相談員をするかたわら、ピアノや鍵盤楽器「インスタコード」と歌で路上ライブを開催、バリアフリーをテーマとしたテレビ番組にも出演、精力的に活動している。

増田さんは、障がいをバネにひたむきにアーティストとして活躍するおりせさんの姿と自分を重ね合わせた。また前向きな歌詞や曲調にひかれ、出演を依頼した。

事故から21年という月日、増田さんは「決して忘れてはならない時間が過ぎた。しかし残念ながら、JR西日本では今もなお、基本的な安全意識が問われるような事案が繰り返されている」と心を痛める。
そして、「亡くなった106名の方々は、たまたま乗った電車で、突然その日常を奪われてしまった。もし、乗る電車が1本違っていたら...。別の人が、あの電車に乗っていたかも知れない。そう思うと、命の重さ、そして日常がどれほど尊いものかを感じずにはいられない」と涙ぐんだ。
また、「あの日、ゴールデンウィークを目前にして心弾んでいたと思う。どれだけ無念だっただろうと思うと、悔しさや悲しみが込み上げてくる」と語る。

事故から20年経った昨年(2025年)を境に、追悼行事が減った。
増田さんは、「だからこそ私たちは、あの日のことを思い返して『安全とは何か』を考え続けることが大切」と訴える。


JR西日本は昨年(2025年)10月、大阪府吹田市に事故車両の保存施設を建設した(一般には非公開)事故の遺族や負傷者にとって、受け止めはさまざま。
増田さんはラジオ関西の取材に対し、「保存施設へ行くと、気を失ってしまうかも知れない。あの光景をリアルに思い出すから。ただ一般公開とすることには賛成。風化防止には、遺族や負傷者より、一般の方々に見てもらうことに意味があると思う」と数年来言い続けている。

おりせさんが13歳の時、福知山線脱線事故が起きた。ニュース映像を目にして「何とも言えない衝撃」を受けたという。
ライブでは、「この事故を今知った人もいると思う。それでもいい。少しでも語り継いでくれたら」と語り、オリジナル曲を中心に10曲を歌った。

主催したライブを終え増田さんは、「おりせさんは事故で亡くなった学生たちより若い世代。そうした世代の方々にも、事故の悲惨さと風化防止の意味を知ってもらえた。暖かい『つながり』を感じた日になった。そして事故で亡くなった乗客106人と、6年前にこの世を去った母に『日本は安全な社会になりましたよ』と報告できる日が来ますように」と前を向く。

