「宇宙一かわいいアイドルレスラー」中野たむとは何だったのか…昨年4月に衝撃の引退、華やかなリングの裏の「挫折と葛藤」
「宇宙一カワイイアイドルレスラー」を掲げ、女子プロレス団体「スターダム」のトップに君臨した中野たむ。昨年4月の横浜アリーナ大会での上谷沙弥との「敗者引退マッチ」に敗れ、リングはもちろん、一切の表舞台から姿を消した。
この四月に彼女の足跡を振り返るイベント「Tam Nakano Archive -Eternal Dream-」が開催されるなど、今なお女子プロレス界に大きな影響を与え続けるレスラー中野たむを振り返る。
文・写真:原悦生(写真家)
「この娘、大丈夫かな?」
昨年4月27日、中野たむが横浜アリーナで上谷沙弥に敗れて引退してから1年が経とうとしている。
「この娘、大丈夫かな?」
2017年、中野がスターダムにやって来た時、私はそう思った。後にこの話をすると中野は笑った。
「そうですよねえ。みなさん、そう思いますよね。いつも辞めたい、辞めるって言っていて。周りからも『長くは続かない』『すぐ辞める』って言われたんです」
そんな感じだから大江戸隊やSTARSに属していた初期は中野に魅力を感じなかった。でも中野は気になる存在になって行く。
不思議な世界に誘われている気がした。あの中野がこんなになれるなんて想像できるはずもなかった。
「宇宙一かわいい」というフレーズと「コズミック・エンジェルズ」というユニットの中心、どこかのお姫様の様ないでたちでの入場。それには不似合いのも思える「怨念」という言葉を白いベルト(ワンダー・オブ・スターダム王座)にさらに染み込ませた。
「白いベルトは感情のベルト。呪いのベルトって呼んでいるんですけれど、そういう自分の汚い部分、嫉妬、憎しみ、いろんな人の怨念がこもったベルト。気持ちの強さで自分の足りない部分を補って巻けるベルト」と中野は定義づけた。
2021年から引退を示唆していた
2021年7月、中野は「長くて2年くらいかな」と言った。それからも「残された時間」とか「終わり」とか、幕引きを示唆する言葉をよく使っていた。
2022年3月、日本武道館でジュリアとの髪切りマッチがあった。そこで中野は白いベルトを手にした。同年6月にはなつぽいとの金網マッチもあった。
「白いベルトが最終地点。そのチャンピオンロードをしっかりやったら、それが区切りなのかな、と思っていました。でも、白いベルトを取られたら、赤いベルト(ワールド・オブ・スターダム王座)が目的地に変わった」
2023年4月、横浜アリーナ。中野はジュリアから赤いベルトを奪った。中野は注目度を増した。同年5月には赤と白を同時に保持したこともある。
だが、同年10月、中野は試合中に左ヒザに重傷を負い、赤いベルトを返上したが、この年の女子プロレス大賞を手にした。すべてを投げ出して、引退も考えたが、2024年、中野はリングに帰ってきた。刀羅ナツコとの再戦が待っていた。
「ヒザは痛い。でもここで止めたら、去年とまったく同じになっちゃう。怖さとその怖さに負けたくないという気持ちとのせめぎあいで、正直メンタルめっちゃきつかったです。タイトルマッチの前日はずっと泣いていました。怖くて、怖くて、何をしていても涙が出てくる。でも最後までやり切れて、ベルトも取り戻せた。逃げなくてよかった」
「赤いベルトを取って、返上して、また取り返して、新たな夢が生まれた。それなのにあんな形で上谷に取られて、だから赤いベルトを取り返したい。スターダムを世界一にするという約束があった。ああ、でも『やめるやめる詐欺』をずっとやってますね」
「人から注目されるって、こんなに怖いんだ」
中野はこんなことも言った。
「注目される恐怖。人から注目されるって、こんなに怖いんだ」
華やかなスポットライトとファンの熱い視線を浴びてきらびやかな世界に身を置いているのに、試合が終わってホテルに戻ったら、部屋からほとんど出ずにUber Eat生活。本当?とにわかには信じられないが、それが中野たむなのだ。本人に聞いても安納サオリに聞いてもそうだと言う。
中野のデビュー戦(2016年7月18日)の相手は安納だった。中野が逆エビで負けている。
「サオリちゃんとのシングルもあった。私、強くなったでしょう。とんでもなく」
中野は自信たっぷりにそう言った。
中野はきれいなブリッジのきいたスープレックスを放つ。背中が開いたドレスを着ると、たくましかった。安納もそうだが、肩口から背中の筋肉に「鍛えてるなあ」と感じる。
中野たむの後継者たち
中野たむの後継者たちの話をしたこともある。上谷も中野がこの世界に引きずり込んだようなものだ。
「(一昨年12月)両国国技館で私をだまし討ちにして、上谷の腰に赤いベルト巻かせたことが憎いですよ。それから玖麗(さやか)に手を出そうとしたことも許せない」
「玖麗、かわいいですよね。アイドル性すごいなあ。応援されるのがわかります。たむにないものがある。中野たむは憎しみとか負の感情で戦ってきたけど、玖麗は天性のベビーフェイス。透明でまっすぐで純粋。私は陰、彼女は陽。たむは負の感情を表に出すことで応援されてきて、実は長与千種よりダンプ松本寄りだと思っている。彼女は長与千種。さくらあやのほうが私寄りかな。ドロドロした感情で戦っているから」
中野には玖麗とさくらに自分の持っている一部を分け与えた印象がある。技で言えば、バイオレット・スクリュー・ドライバーを玖麗に、トワイライト・ドリームという名のスープレックスをさくらに譲った。
「物事が変わる時は、何かをなくさなきゃいけない時。前に進もうとする時は、問題が起きるんです。ずっとそうだった。失われるものは多くても、もっと得るものがあるはずです」
話をしていると、中野の目から涙があふれきた。しっかりと話すが、中野の涙は止まらなかった。会うたびに中野は泣いた。中野には多くの挫折や心の葛藤があった。
「上谷も苦しい思いをしたんでしょう。全部ぶつけてくればいい。私が全部飲み込んであげるから。でも、憎しみだけでは赤いベルトを背負えない。上谷はすごく繊細な子だから。大丈夫かなって、心配もちょっとあります」
短くても、たくさんの人にトラウマを残すような
戦う相手にそんな気遣いも見せたが「何を懸ける?」と上谷に問われて中野は「引退」という言葉を口にした。
「敗者引退マッチ」で中野を引退させた上谷は2025年を突っ走り、女子として初めてプロレス大賞MVPを受賞した。そして、2026年もトップを走っている。
「打ち上げ花火って一瞬だからきれいじゃないですか。私はそういうプロレス人生を送りたいと思っている。短くても、たくさんの人の心にトラウマを残すような」
「白いベルトを取った時、スターダムに初参戦した時、赤いベルトを取った時でも、中野たむはずっと変わっていないんじゃないかな。いつも負けそうで、折れそうで、くじけそうで、でもどん底から這い上がってきた中野たむというプロレスラー像は変わらない。もし、変わるときが来るとすれば、終わるときじゃないかな」
「中野たむという選手自身がスターダムの、女子プロレスの象徴になっていく。私は変わらない。世間がそれを認めていくだけ。私って最初アンチに叩かれまくって、アイドル崩れで、弱くて、ただキャピキャピしていているだけで、だれにも認めてもらえなかった。白いベルト取って少し認めてもらって、コズミック・エンジェルズがあって、赤いベルト取って。ちょっとずつちょっとずつ、認めてくれる人たちが増えていった」
「これまで数え切れないほどの挫折を味わってきた」そんな自分自身を「中野たむは弱いと思う」と表現した。同時に、「弱さを知っているから強いと思う」とも言った。
「自分の弱さを知らないと真の強さは得られない。人生ってね、いつか終わりが来るまで無限に夢を叶え続けられる」
肉体的にも精神的にもたくましくて強い中野の記憶。
上谷の視野から中野は消えた。でも上谷は「中野たむ」の記憶を捨てることはできない。そして、玖麗もまた「私は私」と言いながら「中野たむ」という存在が頭にある。
「上谷沙弥vs中野たむ」から1年。4月26日の横浜アリーナ。「上谷沙弥vs玖麗さやか」。上谷は赤いベルト、玖麗はコズミック・エンジェルズを懸ける。
また、勝者がいれば、敗者がいる。もちろん、上谷は中野ではないし、玖麗も中野ではない。だが、どちらが勝っても負けても、これはある意味、「中野たむ」によって導かれた試合なのかも知れない。
中野たむメモリアル催事
《Tam Nakano Archive -Eternal Dream-》
日程:2026年4月16日(木)〜4月29日(水・祝)
会場:manseibashi tube(神田万世橋マーチエキュート内)
⇒詳細はこちらから
昨年4月27日、横浜アリーナ大会にて行われた上谷沙弥との「敗者引退マッチ」に敗れ、リングから姿を消した中野たむ。
あの伝説の日から1年ー
中野たむが残した軌跡を振り返るとともに、今のスターダムへ連綿と続く物語をより深く味わうことができる特別な催事の開催が決定。
歴代コスチュームなど、中野たむの足跡をたどる展示に加え、いまの玖麗さやかが描いた中野たむ、その絵画を来場者の皆様にのみ、本邦初公開。メモリアルグッズも多数新発売。本催事限定の来場者特典も配布。ぜひ会場へお越しください。
中野たむ
スターダム所属の女子プロレスラー。アイドルを経て2016年にデビュー。「宇宙一カワイイアイドルレスラー」を掲げるルックスと狂気を秘めた激しいファイトスタイルで人気を博し王座に君臨。女子プロレス界のトップスターとなる。ミスiD2019ではアメイジングミスiDを受賞。2023年女子プロレス大賞を受賞。2025年4月27日、横浜アリーナ大会にて行われた上谷沙弥との「敗者引退マッチ」に敗れ、リングから姿を消す。
