斉藤光毅(さいとう・こうき)01年8月10日生、神奈川県出身。170センチ・61キロ。スピードと技術に優れるアタッカー。写真:松尾祐希

写真拡大 (全3枚)

 今から約1年前、パリ五輪を目ざすチームが立ち上がった。3月初旬に行なわれたU-21日本代表の候補合宿を経て、2週間後に実施されたUAE遠征。メンバーリストにその名を連ねた。

 当時は攻撃陣で唯一の海外組。エース候補と目され、大岩剛監督からは背番号10を託された。期待に応え、3試合で1ゴール。しかし、以降は代表チームで輝きを放てず、苦しい時間を過ごしてきた。

 所属クラブでも苦戦し、思い通りのプレーができたとは言い難い。それでも、懸命にもがきながら答えを探してきた。今年3月に入ってからは、ゴールやアシストを連発。欧州挑戦3年目のシーズン終盤に差し掛かり、光が見えてきた。幼い頃から生粋のサッカー小僧だった注目株は、オランダの地で飛躍のきっかけを掴みつつある。

 パリ五輪世代で期待のタレントをディープに掘り下げるインタビュー連載。第2回目は、スパルタ・ロッテルダムの斉藤光毅だ。1年3か月後に迫った大舞台を目ざすエース候補の今に迫る。

――◆――◆――
 
 2020年11月。当時のチームメイトで海外経験豊富な三浦知良(現・UDオリヴェイレンセ)や松井大輔(現・Y.S.C.C.横浜)から多くの話を聞き、悲願だったヨーロッパでプレーする道を選んだ。横浜FCからベルギー2部のロンメルに旅立った。

 今でこそ笑って話すが、当時は異国の生活に不安しかなかった。「不安もあったし、間違っていたのかなと思う時もあって……」。だが、後戻りはできない。自分が出した答えを信じて走り出したものの、様々な困難が待ち受けていた。

 サッカーの文化はまるで違う。技術や戦術面は日本が上に感じた一方で、球際の勝負は今まで味わったことがないほどの厳しさがあった。当時を振り返り、斉藤はこう話す。

「ベルギー2部と日本は違う。Jリーグのほうが上手い選手が多いけど、球際とかはベルギーのほうが強い。ちょっと競技が違う感じがする」

 さらにロンメルはマンチェスター・シティと同じシティ・フットボール・グループに籍を置く。そのため、有望な若手が出場機会を求めてローン移籍で加わっている。生き残りをかけて毎日のように激しいバトルがそこかしこで繰り広げられる光景は日常茶飯事だった。

 まさに弱肉強食の世界。「『全員がステップアップしてやるぞ』みたいな空気で、『結果を残してやろう』という雰囲気」があった。横浜FCのアットホームな環境で伸び伸びプレーしてきた斉藤にとっては、初めての体験だった。

【動画】斉藤光毅が決めた“2人抜き”ゴラッソ
 横浜FC時代はクラブの生え抜きとして育ち、最初からある程度は自分の特徴を知ってもらっていた。だが、ベルギーでは一からのスタート。「慣れるまでに時間がかかり、自分のプレーが出せない。自分の感情的にもプレーが合っているのかを探っていた」。

 苦手だった肉弾戦で負けるケースもしばしば。縦に速いサッカーへの適応にも苦しみ、合流当初からまるで良さを出せなかった。

 また、難しかったのは異国の地での生活だ。チームには通訳もおらず、身の回りのことは自分でしなければならない。慣れない英語を使いながら日常生活を送るのは簡単ではなかった。

 ピッチ内外で環境に馴染むまでに時間を要し、シーズン後半戦からの合流となった欧州1年目のシーズンは、試行錯誤しながら終わりを迎えた。

 ロンメル2年目。英語力も高まり、徐々に仲間からの信頼も勝ち取れた。局面を打開する場面が増え、決定機に絡むシーンが増加。ボールも回ってくるようになり、笑顔も増えていく。

「楽しくプレーができていれば、相手にも伝わるし、自分も楽しい。それに伴って、味方も認めてくれた」という言葉通り、20試合に出場し5ゴールをマーク。ピッチ外でも英語でコミュニケーションが取れるようになり、少しずつベルギーでの生活に慣れてきた。
 
 昨年3月下旬に行なわれたU-21代表のUAE遠征でも「日本語が恋しかった」とおどけて見せたが、プレーでは明らかにタフさがアップ。3試合全てに先発出場し、2戦目のカタール戦ではゴールをマークするなど、ドバイカップの優勝に貢献した。

「ステップアップした時に、あの半年の経験は生きる」。順応するまでに時間はかかったものの、手応えを掴んで2年目のシーズンは幕を閉じた。

 リーグ戦を終えたが、まだ戦いは続いた。シーズンが終わると、短いオフを挟んでU-21代表の一員として初の公式戦が待っていた。6月初旬にウズベキスタンで開催されたU-23アジアカップである。五輪の出場権は懸かっていないが、パリ行きを目ざすうえでは負けられない。最終予選のポット分けに関わるだけに、アジアNo1を目標に掲げた戦いの場に足を踏み入れた。

 この大会でも与えられた背番号は10番。チームからの期待値の高さがうかがえる。周りからも数少ない海外組として、獅子奮迅の活躍を求められていた。しかし――。

 この時、斉藤は難しい状況に置かれていた。オフを経て代表に合流したため、コンディションが上がっていなかったのだ。
 
 もちろん、本番に向けて状態を上げるためのトレーニングは行なっていた。大会中、斉藤も「初めてのことなので、何が正しいか色々と試しながらやっている状態。そのなかで現段階では自分なりの一番良い状態に持っていけている」と話していた。

 ただ、4−3−3や4−2−3−1の左サイドで得意のドリブルで打開する場面は数えるほど。UAEとの初戦(2−1)はハーフタイム、サウジアラビアとの2戦目(0−0)は61分まで出場するなど、大岩監督は試合の中でコンディションを上げていく狙いを持っていたが、なかなか状態は上がってこなかった。

 チームは3位で終わったものの、全6試合で斉藤は無得点。期待された働きはできたとは言えず、「今、考えれば、全然上がっていなかったな……」。不甲斐ない出来に悔しさを滲ませるしかなかった。

 それでも、代表での悔しさをいつまでも引きずるわけにはいかない。すぐに新たなシーズンが始まる。しかし、休む間はほとんどない。2022-23シーズンは、年末にワールドカップが行なわれる影響で、開幕が例年よりも早かったからだ。そうした状況下で斉藤はオランダリーグ1部のスパルタ・ロッテルダムに新天地を求めた。

 新たなチャレンジに胸がたかぶらないわけがない。だが、またしても難しい状況が待っていた。ウズベキスタンで大会を終え、本来は一度、日本に戻って渡蘭する予定だったのだが、コンディションの問題で直接向かうことを余儀なくされたのだ。

 ウズベキスタンから直行したため、代表でのリュックしかなく、財布も日本で使っていたものしかない。偶然、海外でいつも使用しているクレジットカードが1枚入っていたため、事なきを得たが、新居も決まらない状態でシーズンインを迎えたのだ。
 
 当時の出来事を振り返り、苦笑いを浮かべながら紡いだ言葉からは、慌ただしさがうかがえる。しかし、それ以上にアクシデントに戸惑う暇がないほど、新たな環境に食らいつくのに必死だった。

「代表遠征自体が辛かったので、オランダに来て辛いと感じなかった。辛いと思うより、余裕がなかったという感じ。もう頑張るしかないなと(笑)。がむしゃらにやるしかない」

 オランダ1部での戦いは、ベルギー2部とはまた異なる。サッカーの質も変わり、求められるプレーもまるで変わった。そして、何より一から仲間の信頼を勝ち取るしかなく、そうした環境の変化に慣れる時間を考えれば、そんなアクシデントは微々たるものに過ぎなかった。

 新たな地で何を掴むのか。ベルギーで培った“引き出し”が活かされるのか。本当の意味で海外挑戦がスタートしたとも言える斉藤は、一からポジション争いに身を投じていくが、またしても簡単に事は運ばなかった。

※後編に続く。次回は4月22日に公開予定です。

取材・文●松尾祐希(サッカーライター)